2014年03月22日

帝国魔導院決闘科をクリアした

 深夜に書いたルートは使いませんでした。おおざっぱに書いただけだしね。

 データを網羅すれば3回ループでクリアもできるかもね。
 必要な技をそろえても剣術値を上げないと勝てないから、剣属性を選んだほうがいいのかな。

 シークレットエンドはノーマルエンドに大幅加筆されたものだった。
 ちゃんと伏線を回収してて安心したよ。最終的にインフレがすごいとこまで突き抜けてて笑う。



 追記
 4周目のつもりだったけど、テキストには3周目って書いてある。
 ってことは2周目クリアも夢じゃない?
posted by clown-crown at 14:04| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

帝国魔導院決闘科をプレイした

 ループものということで(つまらなそうだなあ)とやらず嫌いしていたのだけれど、もしかしたら私が求めている頭脳戦のヒントが得られるかもしれないので試した。ほとんど完璧だった。

 何度もループさせればいくらでも強くなれるけれど、頭を使えば少ないループ数でもクリアが可能なバランスが絶妙だ。
 私はゲームでキャラが強くなることに快感を見出すタイプなので、詰まるのが嫌いだ。解決までの道筋が一本でないと本来はパズルとはいわない。そこまで厳密ではなくとも、パズル的なゲームは往々にして制約が多いものだ。このゲームには脳筋な別解が用意されていて、それを選んでも失敗感がほとんどないのがいい。実にいい。

 パズルの作りこみも、とても優れている。RPGにありがちな戦闘表現を一見踏襲していながら、頭脳戦向けのシステムに書き換えている。戦闘前に使用する技をあらかじめオーダしておくことや、運要素がないことなどだ。しかし、それらはまだ斬新なシステムとは言い難い。ランナーズイクリプスに前例がある。
 特筆すべきなのはMPの概念がないことだ。これは非常に心地よかった。頭脳戦を考えるときにまず考えるのがこのMPだ。使えるリソースを枠で囲ってやれば作り手は楽にプレイヤをコントロールできる。しかし帝国魔導院決闘科はそれを排した。それによってプレイヤコントロールはぐんと難しくなっただろう、でも、プレイヤである私は枠を意識しにくくなった。難しい局面でも詰みの感覚が薄れるのだ。

 近頃の流行であるキャラ重視もちゃんと押さえている。40人登場するにも関わらず、だ。名前がないのがよかったのだろう。
 ストーリにも謎が孕んでいて、キャラやストーリといった私が気にしないポイントも作りこまれている。気付いていないポイントもたくさんあるだろう。

 17回のループでクリアした。初回攻略なので試行錯誤も混じっている。説明書を読むと、4回以内のループでクリアすると別エンディングを見られるようだ。考えてみようか。

 ネタバレするので折り畳むとする。






 舞台裏
posted by clown-crown at 01:34| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月16日

続赤白黒黄

 曖昧な情報だけでしゃべる。
 黒子のバスケという漫画が週刊少年ジャンプで連載していて、作中人物にはみな色の名前が付けられている。名前に入っている色と髪の色が一致していて、キャラ性を高めている。

 最近のクリエイタはキャラを重視するようだ。濃ければ濃いほどよい。RWBYはキャラと色を関連付けるだけでなく、シンボルまで用意している。

 なんだか学術的になってきた。技術なのだ。理論なのだ。過去の人気作を分解して、要素を取り出し、換骨奪胎。優秀な炭鉱夫がいくらでもいる。サブカルからサブが抜ける日はそう遠くなさそう。

 アニメや漫画はもう古い。
 手探りできる媒体はないものか。
posted by clown-crown at 12:20| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月09日

赤白黒黄

 REBYを観た。
 Twitterでよく話題に挙げる人物がいて、しばらくは気に留めなかったのだけれど、なにかの拍子にフックがかかり検索をしてみた。
 WEB上で配信しているアニメのようだ。トレイラは一見の価値がある。









 本編はほとんど観た。というのは、最終話のみ動画が再生できなかったからだ。
 メリケンが日本のアニメを参考に作ったらしいのことが書いてあった。だからこそいっそう彼の国のアニメは違うなあ、と思うのだった。
 日本のアニメならば、超人的主人公には普通人の語り手がいるものなのだけれど(驚き役とか解説役として)、このRWBYにはいない。キャラとしてのヘタレはいても主人公と行動を共にしているわけではないし、彼自身けっこう強い。
 凄さや詳細を解説してしまうと、次のアクションはもっと凄く!とパワーインフレが起きてしまうからかな、とか考えた(短いアニメだから尺が足りないだけかもしれない)。

 考えたところで、こういうのを思い出した。
http://alfalfalfa.com/archives/4545625.html

 ドラゴンボールを崇めて、ワンピースを腐す流れ。2chではよくある話の流れのようだ。
 私はこの比較で技術だとか才能の違いが表れているとは思わない。なにを表現したいか、それが違うのと思うのだ。ドラゴンボールはRWBYのトレイラに近い。疾走感を前面に表現している。

 そう考えてみると、解説役の有無を日本のアニメとRWBYの違いと捉えるのはもったいない。解説役がいないことで、シーンの解釈を受け手に預ける。まどろっこしいことをせずに表現したいものだけを表現する。作り手は受け手を信頼しているのだ(無責任ともいう)。
 この手法は日本のアニメだと思いつかないけれど、胎界主がそんな感じだ。漫然と読んでいるだけでは理解できない。あれは作者も、解説できるものは解説しようとしているらしいのだけれど。ナレータを使用しない縛りを自分自身に課していて、設定を言葉で書くのはキャラの台詞だけだ。

 別にこの手法が良いと言いたいわけじゃない。半端なことをやれば雰囲気アニメ・雰囲気マンガの域を出ない。

(いろいろ書いてるけれど、英語力ゼロ近似のお前だからそう感じただけだけなんじゃねえの?)
(うん。本当はRWBYもきっちり設定を解説しているアニメなのかもね)
posted by clown-crown at 23:17| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月15日

楽しい戦い(破)

 ファンタジから現代に振り返ってみると、モンスターなんていう存在そのものがイメージしにくくなってますね。散歩に出かけて怪我をするようなことはほとんどないし、あっても他種族による傷害より他人によるもののほうが圧倒的に多い。

 ファンタジの世界における冒険は自然との戦いを背景としているのかな。現代において近いのは旅行だけれど、普通の旅行とはかなり毛色が異なる。秘境を突き進む冒険をする人間なんて今どのくらいいるんだろう。そもそも秘境が少ない。旅行者目当ての地域ほど旅行者を呼び込むための施設が充実している始末です。

 ファンタジは確かに想像世界だけれど、リアルさがまったくなく形式だけが残ってゆくようではいずれ廃れると思うのです。
 面白い戦いが知略であるなら、それを表現するシチュエーションも暴力に限らないでよいのではないか。戦いではなくモンスターを開発する必要があります。
posted by clown-crown at 19:49| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月04日

楽しい戦い(1)

4gen.png

 モンスター一種につきひとつずつ図のような属性表を用意する。
 属性表は地水火風の属性を表現しており、それぞれ右下上左にゆくほど強い。図の中心は属性が失われた状態を示す。

 たとえば火の精霊サラマンダであれば、図の上のほうに初期属性がある。
 サラマンダには相対する水属性──水流魔法などをぶつけることによって無力化することができる。

 ここまでが基本形。

 サラマンダが火炎魔法を使うとサラマンダの火属性が回復したり、強い水属性攻撃を加えすぎるとフロストサラマンダに強化されるなどの頭脳戦の要素も考えたものの、体力を削るこれまでのゲームとあまり代わり映えしないどころか、手心を加えて攻撃しないといけない(ポケモン捕獲のように)ため爽快感が得られないなどの理由により没案とする。

 体力を二次元で表記することがこのアイディアの新しさである。サラマンダが地属性魔法を使って火地属性になったとした場合、水だけではなく風属性も使って攻撃しなければならない。二次元であることを活用するとこういうことになるのだけれど、その戦いを頭脳戦だと感じるかといえばそうではなく面倒くささだけを感じるのである。

 要素を増やせば戦略的になるのではないという一例かもしれない。これを考えた当時は体力と属性を統合したミニマライズの発見だと思ったのだが。
posted by clown-crown at 18:59| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ライオンにチェスで挑む

 将棋でもチェスでも、リバーシでも、バックギャモンでも、トランプでもなんでも構いません。面白いでしょうか? いくら将棋が好きでも、RPGの戦闘が将棋だったら違和感が大きすぎて楽しめないでしょう。
 竜の強さを表現するために、飛車と角行をそれぞれ最初から竜王と竜馬にしましょうか? それでは強いと思うよりずるいと思ってしまいそうです。

 将棋は没としたほうがいいでしょう。
 楽しい戦いに必要と思われる項目を挙げてみます。

・戦いの実感を得られること
・戦う前から勝敗が見えていないこと
・運の要素が強くないこと(勝因が明らかであること)
・逆転の要素があること(消化試合は楽しくない)
・相手から戦略の妨害を受けること

 ひとつ目とふたつ目はこれまで書いてきたことです。
 みっつ目は運要素の排斥です。これは強さの実感が得られにくいためです。強さの実感が得られなければ戦いの実感も得られにくいものになります。
 よっつ目の逆転要素の創出。体力の戦いは一方的であるがゆえに面白くないと論じてきました。知力の戦いでも同じならば知力で戦う意味がないのです。
 いつつ目。これはいつつある中で実質唯一の、生産的な項目です。実のところほかの項目は面白くないものを作らないための禁止事項ばかりだからです。

 ここから少しディープなゲームの話。

 ほとんどのゲームの戦いは相手の体力を0にすることが勝利条件のものばかりなので、威力の高い攻撃を繰り出すのみです。これは弱点を突くであるとか魔法の相性があっても同じです。その中でもっともダメージを与える選択肢を選ぶだけです。クリティカルや回避があればまた変わってきますけれど、それでも期待値を計算に入れれば算出できます。

 こちらの最適な行動を狂わせてくる攻撃があればいいのです。それが単調な戦いに潤いを与えます。
 魔法を封じてくる敵などいいですね。既存のゲームではこういった妨害はステータス異常という形で表現することが多いのですけれど、異常であることが常であるぐらいにもっとバリエーションを増やすべきです。いくら削っても攻撃力が下がるわけでもない体力を削ることばかりに集中するのはやめてみてはどうでしょう。

 マーガレットは戦いのあらゆる要素を凝縮して、相対的にスタンの重要性が上がったことが面白さのひとつだと思っています。

 うん、だいぶ方向性が見えてきました。
 私は正解を知っていてこのエントリを書いているわけではぜんぜんないのです。書きながら、頭の中を整理しています。
posted by clown-crown at 02:12| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ネコを食べるネズミはいない

 戦いというものについて考えているのです。
 戦いというものは戦う前からだいたいにおいて決着がついているのです。どんなに鍛えたところで鼠は猫には勝てません。

 ゲームの世界では往々にして勇者が竜を退治するのですけれど、もしも本当に身の丈が何倍もある爬虫類がいたらどんな屈強な人間でも倒せないでしょう。レベルを上げても種族の限界があります。

 ああいや、ゲームの設定に文句を言いたいわけではないのです。
 脆弱なものが強大な敵を打ち負かすカタルシスは知っています。どうしたら自分が楽しい戦いができるのかを追求したいのです。

 格上の相手を思い浮かべてください。喧嘩では百回やって百回負ける相手でも、将棋ならば十回勝てるかもしれません。頭脳戦ならばまぐれで一回ぐらいは勝てると思いませんか? 相手の集中力が切れたところを畳みかければ……何度も戦えばそんなチャンスも巡ってきそうです。

 知力は体力よりも揺れやすいのです(勝敗が生命に直結しないからでしょうか)。
 竜に頭脳戦で挑んでみるのはどうでしょう。もともと神話などでも、人間は怪物に対して戦うときは知略を巡らせることで勝利するパターンだったはずです。コンピュータゲームに移行する間に細部が削ぎ落とされ、頭脳戦を挑むことができないシステムになったのだと思います。

 では具体的にどんな頭脳戦ならば楽しいでしょうか。
posted by clown-crown at 01:01| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月24日

試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。

 【試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。/尾形真理子】よんだー。

 作家やのうて、コピーライタですとな。本をぎょうさん読んでるんだろう、下手な職業作家より上手。なにがうまいと思わせてんのか考えてみたら、きちりと問題提起してて解決も派手すぎんゆーことかな。このバランス感覚って才能でどうにかなるものじゃあるめーし、やっぱコピーライタとしての経験が生きてんのかね。
posted by clown-crown at 14:13| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月18日

筆談ホステス

 【筆談ホステス/斉藤里恵】を読んだ。

 そういえばすみ付き括弧で/入れて著者名も入れて書くのが定型だった。思い出した。
 写真を見ると本当に美人だ。聾者の自伝。

 なぜこの本を手に取ったのか。筆談でホステスをしている人の話を読めば、口下手の私にも得られるものがあるのではないのか、と考えた。
 水商売とはいえ、銀座のホステスだからあっぱらぱーでは勤まらない。男を楽しませるプロフェッショナルだと、随所で感じさせる。一流は一流だなあ。ネガティブも原動力としてうまく消化してしまう生き方だ。

 ネガティブなものを頭の中から追い出したい。
 仕事中はネガティブなことばかり考えてしまう。それを解消できなくて、ツイッターで垂れ流してしまう。ここ最近のブログもネガティブなことばかり書いているようだ。
 私は私が理想的だと思える人間になりたい。なれなくても演じるのだ。
 SMな話も書かないほうがよいだろう。SMが悪いものだとは思わないけれど、今の私には毒だ。さびしいとか孤独だとかいう言葉も同様に慎みたい。

 善人になりたいわけではなく、負担のない人格になりたい。ストレスが大きいと思考まで歪み、余計に嫌なことが集まってきてしまうように感じられる。

 理想の人間になれれば、私がいま咽喉から手が出るほどほしがっているものも自動的にもてるようになるはず。たとえば「友達がほしい」だって、無理に友達を作ろうとするより、友達にしたいと思わせる人格になったほうが長期的戦略として有効だ。

 私が生かせるものはなんだろう。
 クリエイトをしているときはわかりやすい成果物があったけれど、どうだろう。絵や文を使ってもっと積極的に誰かと関わってゆくのは?
posted by clown-crown at 23:36| パリ ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする