2015年01月24日

明けた(新年の挨拶)

 帝国魔導院決闘科がとてもおもしろかったので召喚指揮候補生をやってみたらおもしろくなかった。

 頭を使わないんですよ。じゃんけんじゃないのが売りみたいなこと書いてあったけれど、とどのつまり変形じゃんけんなんですよね。決闘科みたいな、どうやって相手を切り崩せばいいのか考える要素がまったくない。私が惚れたのはそこなんですよ。

 川崎部の人たちの理想のゲームはそういう方向なんでしょうか。
 かっこいいタイトル画面とか音声入りのエンディングテーマとか美麗なキャラクタービジュアル(主要キャラだけ)に注力していくのですか。
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2014年12月24日

バカのゲーム

 Twitterで最近よく見かける「新聞の投書欄に『最近のアニメは女の子がかわいいだけだ。中身のあるアニメを作って欲しい』なんて中国人がいっている」ツイートがある。製作者に言ったって無駄だろうに。需要があるから作っているのだ。



 最近のゲームは(このエントリ内だけですでに3回、最近を使った)、ソシャゲと呼ばれるケータイでできるゲームを指すようになってきた。少し前までは家庭用コンピュータゲーム(おかんはなんでもかんでもファミコンと呼ぶアレ)を指す言葉だった。さらにコンピュータゲームの前はトランプやオセロなどアナログゲームを意味する言葉だった。

 ゲームの意味が変わることで、ゲームの価値も移行している。トランプやオセロは家族や仲間達との団欒を担ってきた。コンピュータゲームに没頭していると暗いヤツだと嗤われた。ソシャゲは暇つぶしのゲームだ。ゲームは能動的にするものではなく、時間が空いたときに時間をつぶすためのものになってしまった。ランキング上位のソシャゲは、絵が美麗で、とても親切だ。バカでもできる。

 世の中はわかりやすいほうへ推移している。頭のいい人間はクレームをつけないから、頭の悪い人間の「わけわかんねーぞ!」のクレームばかり集まるようになり、それに対応し、従えば、わかりやすいものができる。頭の使い方を忘れかねない。振り返ってみれば私もインプットはTwitterオンリ。

 ゲームは趣味だ。趣味は余暇にやるものだ。ゲームで頭を使えないのは、本職で頭を酷使しきってしまっているからだ(そう思いたい)。余裕がなくなってしまった。
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2014年12月22日

見つめ合わないと素直にお話できる

 eikaさんとオフってきた。
 いろいろ遊んだけれど、今回はオフの粗筋を書くのはやめよう。

 誰かと遊ぶときは「目を見て話そう」が目標だったのに、さっぱり忘れていた。いつも通りの目を合わせないcさんであった。よくないね!

 人間関係の作り方のへたくそさを「でも私は人間が好きだから」と言い訳して、根本的な問題ではなく手段を知らないだけだと思い込もうとしていたのだけれど。人間の好悪はぜんぜん問題になっていなくて、問題なのは恐怖なのではないかと最近になって気付きはじめた。

 好きではあるけれど、信じきれていない。踏み込めず、躊躇ってしまう。
 人間はあまりにも膨大すぎる。変な完璧主義の私は人間を理解しきれずに、理解しようとすることを投げ出してしまう。
 今まで私と関わってくれたすべての人間に謝らなければならない気分に陥ったりもする。しかし、彼らはそんなことを望んではいないだろう。自信のなさこそ意思疎通の障害だ。

 暗黒の学生時代に人間と関わることを諦めてしまった私は、いまさら一人前になることもできないだろう。人間関係を結ばなかった代わりに得たものといえば、感覚。別にひとより感度が高いわけではなく、独自の嗜好を深めた結果の感覚。誰とも重なり合うことの少ないひとりだけの感覚だ。
 感覚などただの受信だから、それをなんらかの形で発信しなければ長所にはならない。比較対象の人間がいなければ、私のへんてこな感覚も通常運行でしかない。感覚がおかしいのは意思疎通において短所。

 若い頃より幾ばくかは穏やかになったのを自分でも感じる。それでもまだ足元が確かではない、地盤の緩さを心配して怯えている。この感覚は時間とともに慣れて気付きにくくなるだけで、解消はしないのだろう。

 私は人を理解して、人をより佳くしたい。でも、私のもつ感覚では独りよがりになってしまいそうだ。まずは自分を佳いものにしたまえよ。話はそれからだ。





 追記
 私が理解できる人間はいないから、私が理解できる人間を作ることが理想となっているようだ。これは愛の投影かな?
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2014年12月01日

人間という名のモンスター

 11月はまったく更新できなかったよウエーン。
 これからどんどん忙しくなるから、もっともっと遊べなくなるぞー。

 遊戯王のモンスターってさ、プレイヤーの心を表してるって何巻かの単行本で書いてあった。器の遊戯の心はマシュマロンであり破壊竜ガンドラでありサイレント・マジシャンなのだ。

 人間は動物ではあっても動物的ではなく人間的で、人間は人間の顔をしているのは、それは社会性がそうさせているからだ。常識やら秩序やら礼儀やらっていうのは社会を動かすためにある。意思疎通をするためにはひとりひとりの人間を均す必要があって、均すからこそ人間であるといえる。人間から常識やら秩序やら礼儀やらを剥ぎ取れば、それはモンスターだ。

 私はこれまでも自分探しなんてのはバカにしてきた。モンスターを呼び起こしてどうしようってんだ。すごくおかしいんだよ。ああ、言ってしまえばキチガイなんだ。狂っている。それが自分。それが本質。
 モンスターとは感情だから論理とは正反対、言葉とは論理の上に築かれた人工物、なので言葉で感情を丸め込むのは無理がある。他人にはどうにもできない。個の中で押し込めるしかないんだよ。しかし、できないことを欲望するのがまた人間だ。飼い慣らせない極悪モンスターほど、他人に認められて全面的に肯定してもらいたい。
 人間は人間であることに誇りをもちすぎている。危険なほどに過剰な自信だ。自分の中にモンスターが棲んでいることを知りたがらない、いや、認められない。怖いんだよ。たとえばADHDの文章を読んでいて、いくつか共感できてしまうと、恐怖する。これは自分探しと矛盾しない。自分探しに出かける探索者はゴールにお宝があると考えている。実際にはモンスターが眠っているだけなのだ。大人になるにつれ丸くなるのは、モンスターの存在を暗黙のうちに認め、自分が平凡に埋没することに安堵するからではないか。子どもの頃はあんなに、普通であることに反発していたのに。

 全員がモンスターの人狼をやっている。すでに条件をクリアしてゲームには勝利しているのに、それに気付かずに殺し合いをしている。
 勝利しているのだ。私達はてんでばらばらの個性をもった世界にふたりといないモンスターだ。だからきっと私達の幸せは別々のところにあって、そこに辿り着くだけなのだ。ひとつの幸せをみんなで奪い合わなければならないのは、常識やら秩序やら礼儀やらの均された思考が邪魔をしているからだ。感情は個に秘めよ。自分の中でモンスターを純化すれば、鋭き欲望となってほかの誰にも邪魔をされない快楽の地へと導いてくれるはず。

 その欲望がひとりでは叶えられないものだったらどうするんだろう。
 ふたりといないモンスターを探さなければならないのか。
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2014年10月19日

ラウンダバウト

 ケータイにGPSがついているので迷うことがなくなった。
 電車の乗り換えもどう乗り継げば安くて早いのか一発で分かる。
 人と連絡をとりたかったら電話なりメールなりLINEすればいい。

 ひとりで不自由なく生きてゆける。歩いていて道を聞かれることはもうなんじゃないかな。誰かに世話にならず、誰の世話もしない。若い世代にはこの生き方が普通に見えている。今の時代の正しい生き方だ。

 いつでも切り離せる緩い関係だけがある。けれど、どこかで不足を感じている。まだそこまで心が適応できていない。確固なるつながりを夢想し、酸欠に喘いでいる。夢は夢、夢の中にしかないものだ。

 死の危険がなく、食べ物にも困っていない。状況は幸せなのに、満足を得られない。欲望には際限がないから? 当たり前の幸せは知覚できない。そのくせ、知覚できない幸せを脅かすリスクには敏感で、受け入れられない。

 幸せを知覚できないのをもったいないと思う気持ちが、もはや古いのだろう。どんどん幸せを取り込んで踏み台にする。そこから幸せと感じることに手を伸ばし、踏み台を高く更新してゆく。向上心、なのだろう。

 個人が幸せを追求すれば、多くの場合それは奪い合いになる。個人主義を極めた人間には他人の幸せを慮る能力がない。個人主義はこれからもっと加速する。幸せの交通整理をすべきなのだ。これは絶対に必要。

 人間の種類が増えて、全体の数は減る。
 幸せのマッチングがきちんとなされれば、減少は最小に抑えられる。
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2014年09月26日

他種族を殺すことについて

 韓国の犬食いを馬鹿にするやつは他国から鯨食いに文句言われてもいいんだよな?
 ってのを以前書いた(たぶん)。

 食べることと生きることの関連について『くびき りんね』という小説を登竜門に投稿している。
 収まりの悪い気持ち悪いさを読み手に感じさせる小説だった。結論は出せていない。

 人間を殺すことは違法だ。たとえ法で縛っていなくても、本能は忌避する。
 人間は豚や牛を食べるために殺す。ここにはあまり罪悪感はない。
 虫はうるさいだけでも殺す。魚は食べるためなら殺してもいいだろう。
 曖昧な線引きがたくさんある。

 人間でも虫でもできれば殺したくはない。

 命は重いといいますけれど、それは人間の命だけではないですか?

 たとえば、飼っているポチを殺せばアフリカの子供の命がひとり救えるとしたらポチを殺す?
 私だったら殺さない。人間の命はワニの命より重いけれど、殺さない(ポチはワニの名前です)。
 種族以上に、心の距離が関係している(能動的に殺すのと受動的に救われる違いもあるな)。

 心の距離。なんだそれは。

 ファンタジで考えてみよう。
 チートな主人公が豚っ鼻のオークを死屍累々にしてエルフの王女を救出する。
 どっちも人間ではないのに。悪の命は軽いのかしら?

 そもそも悪ってなんだよ。気に入らないやつのこと? 確かに「死ね」って思うことある。

 ゲームで殺戮するのはいけないこと? 実際の命はなにひとつ失われていないのに。ゲーム世界での情緒を大切にしているの?

 野生の動物はお腹がいっぱいだとそれ以上は狩りをしないらしい。本当かな。

 人間は領土を巡ったり宗教問題を起こしたりして、人間同士で戦争する。→問題の根底は別のところにありそうだ。

 人間はほかの動物に襲われることが極端に少ない。だから想像しにくい。
 殺すかどうかを判断する基準はなに? 感情かな。法律は衝動殺人の抑止に役立っているかな。「人命は尊い」コンセンサスを作る役目を果たしているね。法律がなければ殺人鬼になれる? 人間に似ているけれど人間ではない亜人なら殺せる? 言葉が通じなければ殺しやすいよね。言葉が通じると、たとえキノコでも殺しにくいな。意思疎通できるかどうかが重要なわけ? 相手の心情を忖度してしまうから? 結局、罪悪感を感じにくくしたいだけじゃないの。本来ならなにを殺しても罪悪感を感じる余地があるってことだ。目に見えない虫をつぶしてしまうことを杞憂してちゃ生きていけないわけです。生きるためには食べるわけで食べることは殺すことだし。葉を食べる野菜は殺したことにならないのかな。人間って植物に対しては虫以上に罪悪感を感じにくいよね。精進料理は肉抜き料理。かすみ食ってろ。霊が見える人──特にカルマが見える人に直接聞いてみたい。
 殺す人間は殺される覚悟をしないといけない? 捕食者の身分でも?
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2014年09月25日

物語の維持費

◆c > http://urasunday.com/tpwcw/index.html [2014/9/22 01:43:51]
◆c > これみんなで作ってくようにしたらいいのになんでこんなことにしちゃったんかな。 [2014/9/22 01:44:17]
◆アスロマ > みんなで作っていくようにとはどういう意味でしょう [2014/9/22 01:47:13]
◆アスロマ > 現在の投稿して投票で決めるのはよろしくないということかな [2014/9/22 01:47:46]
◆アスロマ > 漫画がソーシャルゲームのシナリオになるってあまり魅力を感じないなあ [2014/9/22 01:48:45]
◆c > ソーシャルゲームはもっとファミコンのときみたいなカオスになればいいのになー。 [2014/9/22 01:56:16]
◆アスロマ > カオスになるといいですねえ [2014/9/22 01:56:42]
◆アスロマ > ちょっと小奇麗過ぎる [2014/9/22 01:56:59]


 いくらチャットだといっても、これはちょっと散漫すぎやしないか。

 リンク先でどんな企画してるのかっていうと「世界観とキャラクタを用意しとくんで物語作ってくださいね」です。私としては「ふざけんな」です。
 ええっとですね、なにから書けばいいのかな。
 これはとある場所、とある掲示板の話です。「あなたは世界観と設定と物語、それぞれをどのぐらい大切にしますか?」ってスレッドが立った。確か、私もそのスレッドにレスポンスしたっけな。なに書いたか覚えてないけれど。うーん「どれも大切です」って書いた記憶があるようなないような……。
 大切さはどれも同じだけれど、作業手順ってのはあって、なにを書きたいのか決めたらそこから作る。
 私は物語から作る。例外を書いたことはまだないはずだ。そんな私だから「世界観とキャラクタを先に用意しといたんであとは物語だけ作ってくださいねー」が信じられない。
 物語って創作の中心じゃない? 世界観とかキャラクタって外観じゃないか! まあ商業に乗せるゲームだから外観が脆いと即死するってのは理解できるけれど。だったら白紙から作りたいな。
 骨抜きの肉を出して「さあ、あとは骨を入れるだけ」とさも準備は万端です、みたいにいわれても「骨に肉付けするほうが簡単だよ……」って思うじゃん? この喩えが通じるかわからんじゃん?
 それにさ、世界観とかキャラクタって作るとき楽しいとこなんだよな。なんで楽しいとこ取っちゃうの? そこがやりたいんだよ私は!
 特に結論を出さずに、感情的に終わります。



 ファミコンのカオスは先駆者たちの熱きソウルでした。
 アスロマさんがいう小奇麗ってのはきっと「どっかで見たことがあるゲーム」ばかりだからだと思う。個性をぶつけてくるファミコンソフトたちとは対極ですね。
 私だったら「どっかで見たことあるゲーム」って、作ってる間にパッションがなくなりそうだ。私が作る必要ないんだし。
 近頃のコピペ省エネ主義はよくわからない。老いたのだろう。
posted by clown-crown at 03:04| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月14日

星の王子さまを読んだ。

 読んだ。

 私はもう大人だったからか、わからなかった。
 小さな星を巡る話は銀河鉄道777のようで面白かったけれど。

 わからないからといってほかの誰かの読書感想文を読む気にもなれない。嫌いではないのだ。なにが大切なものなのか、という個人の主観に因るものを「こうだ」と言われたくない気持ちがわだかまっているだけだ。

 そう考えると、私は子どもの頃の気持ちを忘れていてわからないんじゃなくて、私は独自に別のものを導き出しているから星の王子さまを受け入れられない。のだ。

 なんとなく、星の王子さまは読んでおかないといけない気がして読んだだけ。
 今まで読んだことがなかったから。

 本当はSFものが読みたかったのだ。
 存在しない世界の根底から語るようなSFを。
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2014年08月17日

楽しい戦い(?)

 RPGのキャラクタのパラメータって多いよね?
 と、藪から棒に同意を求めるclown-crown(仮)。

 HPでしょーMPでしょー攻撃力にー防御力ー、素早さとかー器用さとかー、あと運のよさとかもあるよねー。まーここまではよくパラメータでー。クリティカル率とかあるのもあるんだよ。で、クリティカルは攻撃力の何倍かってのを決めるパラメータとかあって、なんかぐちゃぐちゃよね。結局、重要なのは攻撃力と素早さだったりして。じゃーほかのパラメータはなんのためにあるんだよー、と憤慨してみる。

 攻撃力は物理攻撃力のことで、魔法攻撃力とか魔法防御力とか分けられてるのもあるね。すごい。もっとすごいのは各魔法ごとに抵抗値があったりする。火魔法の抵抗値が高いと夏でも快適なんだろうか。

 抵抗値をたくさん作るんだったら、それよりHPをたくさん作ったほうがリアルじゃないのかな。
 人間にはいろんな死因があって、それぞれからダメージを受けるけれど、そのダメージを受けるのはHP一本ってのはなんだか腑に落ちないのよ。HPが100として、殴打で腹に20ダメージ与えて、切創で腕に20ダメージ与えて、火魔法で20ダメージ与えて、水魔法で20ダメージ与えて、毒で20ダメージ与えても生きてる気しない? 致命傷の1/5を5回だけれど、それぞれ違うダメージだったらなんとかなりそうじゃない?

 ゲームの面白さとしてもさ、勝利条件(敗北条件)が複数あったほうが戦術を考える余地があるんじゃないかな。カードゲームなら、相手のライフポイントを削るのが定石なんだろうけれど、山札切れを狙うこともできる、みたいな。

物理体力:100
熱体力:100
冷気体力:100
毒体力:100

 熱体力と書いたところで思ったけれど、0-50みたいな帯域があって、そこから外れると死ぬってのもいいかも。すべての体力がまったくの無関係ってのも変だから、各体力の積が総合体力とするのもいいかも。

 人間って絶妙なバランスの環境で生きてる。熱だけじゃなくて、酸素濃度とか、重力とか、あとまあいろいろあるんじゃないかな。なにがいいたいのかよくわからないね。私もわかってないよ。
posted by clown-crown at 04:39| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月15日

欲望を使う

 眠れない状況であるときこそ眠い。

 布団に入ると眠れなくなることってよくありますね。
 いつでも手に入ると思うと、なんとなく手が伸びなくなってしまう。あんなに欲しがっていたのに。長編RPGでラスボス前にゲームをやめてしまうのも同じかも。セックス依存症の男も、女を口説き落とすまでは性欲が高まっているのに、いざセックスとなるとやる気がなくなるのだとか。

 想像力のせいかな。
 自分はこうしたい!と思うと、それに対する期待が高まる。幾多の困難を乗り越えて、その頂きに眠る宝物を手に入れる。宝箱を眼前にしたとき「本当にいいのかな?」と思う、確かに幾多の困難を乗り越えてきたはずだけれど、乗り越えた今となってはそんなに大層な努力ではなかった気がする。宝箱を開けたとき、その内容が想像していたものと違っていて小さな落胆を覚える。開けなければよかったとさえ思うかもしれない。多くの場合、いや違うな、どんな場合であっても、夢がその興奮のまま手に入ることはない。こんなものかと思ったり、予想を大きく外していたりする。それなのに現象として夢は叶っている。

 想像が間違っていて、そしてそれは正しい。
 夢が想像のままであったなら、満足してしまうだろう。満足したら、その先はない。手に入れた夢をずっとループさせ続けるだけ。だから不完全であることを楽しむ。夢見ては失敗し、夢を叶えては別の夢を見る。夢を叶えるよりも夢を見るほうが楽しいのだと気付いた。
posted by clown-crown at 16:29| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする