2014年12月01日

人間という名のモンスター

 11月はまったく更新できなかったよウエーン。
 これからどんどん忙しくなるから、もっともっと遊べなくなるぞー。

 遊戯王のモンスターってさ、プレイヤーの心を表してるって何巻かの単行本で書いてあった。器の遊戯の心はマシュマロンであり破壊竜ガンドラでありサイレント・マジシャンなのだ。

 人間は動物ではあっても動物的ではなく人間的で、人間は人間の顔をしているのは、それは社会性がそうさせているからだ。常識やら秩序やら礼儀やらっていうのは社会を動かすためにある。意思疎通をするためにはひとりひとりの人間を均す必要があって、均すからこそ人間であるといえる。人間から常識やら秩序やら礼儀やらを剥ぎ取れば、それはモンスターだ。

 私はこれまでも自分探しなんてのはバカにしてきた。モンスターを呼び起こしてどうしようってんだ。すごくおかしいんだよ。ああ、言ってしまえばキチガイなんだ。狂っている。それが自分。それが本質。
 モンスターとは感情だから論理とは正反対、言葉とは論理の上に築かれた人工物、なので言葉で感情を丸め込むのは無理がある。他人にはどうにもできない。個の中で押し込めるしかないんだよ。しかし、できないことを欲望するのがまた人間だ。飼い慣らせない極悪モンスターほど、他人に認められて全面的に肯定してもらいたい。
 人間は人間であることに誇りをもちすぎている。危険なほどに過剰な自信だ。自分の中にモンスターが棲んでいることを知りたがらない、いや、認められない。怖いんだよ。たとえばADHDの文章を読んでいて、いくつか共感できてしまうと、恐怖する。これは自分探しと矛盾しない。自分探しに出かける探索者はゴールにお宝があると考えている。実際にはモンスターが眠っているだけなのだ。大人になるにつれ丸くなるのは、モンスターの存在を暗黙のうちに認め、自分が平凡に埋没することに安堵するからではないか。子どもの頃はあんなに、普通であることに反発していたのに。

 全員がモンスターの人狼をやっている。すでに条件をクリアしてゲームには勝利しているのに、それに気付かずに殺し合いをしている。
 勝利しているのだ。私達はてんでばらばらの個性をもった世界にふたりといないモンスターだ。だからきっと私達の幸せは別々のところにあって、そこに辿り着くだけなのだ。ひとつの幸せをみんなで奪い合わなければならないのは、常識やら秩序やら礼儀やらの均された思考が邪魔をしているからだ。感情は個に秘めよ。自分の中でモンスターを純化すれば、鋭き欲望となってほかの誰にも邪魔をされない快楽の地へと導いてくれるはず。

 その欲望がひとりでは叶えられないものだったらどうするんだろう。
 ふたりといないモンスターを探さなければならないのか。
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2014年10月19日

ラウンダバウト

 ケータイにGPSがついているので迷うことがなくなった。
 電車の乗り換えもどう乗り継げば安くて早いのか一発で分かる。
 人と連絡をとりたかったら電話なりメールなりLINEすればいい。

 ひとりで不自由なく生きてゆける。歩いていて道を聞かれることはもうなんじゃないかな。誰かに世話にならず、誰の世話もしない。若い世代にはこの生き方が普通に見えている。今の時代の正しい生き方だ。

 いつでも切り離せる緩い関係だけがある。けれど、どこかで不足を感じている。まだそこまで心が適応できていない。確固なるつながりを夢想し、酸欠に喘いでいる。夢は夢、夢の中にしかないものだ。

 死の危険がなく、食べ物にも困っていない。状況は幸せなのに、満足を得られない。欲望には際限がないから? 当たり前の幸せは知覚できない。そのくせ、知覚できない幸せを脅かすリスクには敏感で、受け入れられない。

 幸せを知覚できないのをもったいないと思う気持ちが、もはや古いのだろう。どんどん幸せを取り込んで踏み台にする。そこから幸せと感じることに手を伸ばし、踏み台を高く更新してゆく。向上心、なのだろう。

 個人が幸せを追求すれば、多くの場合それは奪い合いになる。個人主義を極めた人間には他人の幸せを慮る能力がない。個人主義はこれからもっと加速する。幸せの交通整理をすべきなのだ。これは絶対に必要。

 人間の種類が増えて、全体の数は減る。
 幸せのマッチングがきちんとなされれば、減少は最小に抑えられる。
posted by clown-crown at 06:18| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月26日

他種族を殺すことについて

 韓国の犬食いを馬鹿にするやつは他国から鯨食いに文句言われてもいいんだよな?
 ってのを以前書いた(たぶん)。

 食べることと生きることの関連について『くびき りんね』という小説を登竜門に投稿している。
 収まりの悪い気持ち悪いさを読み手に感じさせる小説だった。結論は出せていない。

 人間を殺すことは違法だ。たとえ法で縛っていなくても、本能は忌避する。
 人間は豚や牛を食べるために殺す。ここにはあまり罪悪感はない。
 虫はうるさいだけでも殺す。魚は食べるためなら殺してもいいだろう。
 曖昧な線引きがたくさんある。

 人間でも虫でもできれば殺したくはない。

 命は重いといいますけれど、それは人間の命だけではないですか?

 たとえば、飼っているポチを殺せばアフリカの子供の命がひとり救えるとしたらポチを殺す?
 私だったら殺さない。人間の命はワニの命より重いけれど、殺さない(ポチはワニの名前です)。
 種族以上に、心の距離が関係している(能動的に殺すのと受動的に救われる違いもあるな)。

 心の距離。なんだそれは。

 ファンタジで考えてみよう。
 チートな主人公が豚っ鼻のオークを死屍累々にしてエルフの王女を救出する。
 どっちも人間ではないのに。悪の命は軽いのかしら?

 そもそも悪ってなんだよ。気に入らないやつのこと? 確かに「死ね」って思うことある。

 ゲームで殺戮するのはいけないこと? 実際の命はなにひとつ失われていないのに。ゲーム世界での情緒を大切にしているの?

 野生の動物はお腹がいっぱいだとそれ以上は狩りをしないらしい。本当かな。

 人間は領土を巡ったり宗教問題を起こしたりして、人間同士で戦争する。→問題の根底は別のところにありそうだ。

 人間はほかの動物に襲われることが極端に少ない。だから想像しにくい。
 殺すかどうかを判断する基準はなに? 感情かな。法律は衝動殺人の抑止に役立っているかな。「人命は尊い」コンセンサスを作る役目を果たしているね。法律がなければ殺人鬼になれる? 人間に似ているけれど人間ではない亜人なら殺せる? 言葉が通じなければ殺しやすいよね。言葉が通じると、たとえキノコでも殺しにくいな。意思疎通できるかどうかが重要なわけ? 相手の心情を忖度してしまうから? 結局、罪悪感を感じにくくしたいだけじゃないの。本来ならなにを殺しても罪悪感を感じる余地があるってことだ。目に見えない虫をつぶしてしまうことを杞憂してちゃ生きていけないわけです。生きるためには食べるわけで食べることは殺すことだし。葉を食べる野菜は殺したことにならないのかな。人間って植物に対しては虫以上に罪悪感を感じにくいよね。精進料理は肉抜き料理。かすみ食ってろ。霊が見える人──特にカルマが見える人に直接聞いてみたい。
 殺す人間は殺される覚悟をしないといけない? 捕食者の身分でも?
posted by clown-crown at 00:17| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月25日

物語の維持費

◆c > http://urasunday.com/tpwcw/index.html [2014/9/22 01:43:51]
◆c > これみんなで作ってくようにしたらいいのになんでこんなことにしちゃったんかな。 [2014/9/22 01:44:17]
◆アスロマ > みんなで作っていくようにとはどういう意味でしょう [2014/9/22 01:47:13]
◆アスロマ > 現在の投稿して投票で決めるのはよろしくないということかな [2014/9/22 01:47:46]
◆アスロマ > 漫画がソーシャルゲームのシナリオになるってあまり魅力を感じないなあ [2014/9/22 01:48:45]
◆c > ソーシャルゲームはもっとファミコンのときみたいなカオスになればいいのになー。 [2014/9/22 01:56:16]
◆アスロマ > カオスになるといいですねえ [2014/9/22 01:56:42]
◆アスロマ > ちょっと小奇麗過ぎる [2014/9/22 01:56:59]


 いくらチャットだといっても、これはちょっと散漫すぎやしないか。

 リンク先でどんな企画してるのかっていうと「世界観とキャラクタを用意しとくんで物語作ってくださいね」です。私としては「ふざけんな」です。
 ええっとですね、なにから書けばいいのかな。
 これはとある場所、とある掲示板の話です。「あなたは世界観と設定と物語、それぞれをどのぐらい大切にしますか?」ってスレッドが立った。確か、私もそのスレッドにレスポンスしたっけな。なに書いたか覚えてないけれど。うーん「どれも大切です」って書いた記憶があるようなないような……。
 大切さはどれも同じだけれど、作業手順ってのはあって、なにを書きたいのか決めたらそこから作る。
 私は物語から作る。例外を書いたことはまだないはずだ。そんな私だから「世界観とキャラクタを先に用意しといたんであとは物語だけ作ってくださいねー」が信じられない。
 物語って創作の中心じゃない? 世界観とかキャラクタって外観じゃないか! まあ商業に乗せるゲームだから外観が脆いと即死するってのは理解できるけれど。だったら白紙から作りたいな。
 骨抜きの肉を出して「さあ、あとは骨を入れるだけ」とさも準備は万端です、みたいにいわれても「骨に肉付けするほうが簡単だよ……」って思うじゃん? この喩えが通じるかわからんじゃん?
 それにさ、世界観とかキャラクタって作るとき楽しいとこなんだよな。なんで楽しいとこ取っちゃうの? そこがやりたいんだよ私は!
 特に結論を出さずに、感情的に終わります。



 ファミコンのカオスは先駆者たちの熱きソウルでした。
 アスロマさんがいう小奇麗ってのはきっと「どっかで見たことがあるゲーム」ばかりだからだと思う。個性をぶつけてくるファミコンソフトたちとは対極ですね。
 私だったら「どっかで見たことあるゲーム」って、作ってる間にパッションがなくなりそうだ。私が作る必要ないんだし。
 近頃のコピペ省エネ主義はよくわからない。老いたのだろう。
posted by clown-crown at 03:04| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月14日

星の王子さまを読んだ。

 読んだ。

 私はもう大人だったからか、わからなかった。
 小さな星を巡る話は銀河鉄道777のようで面白かったけれど。

 わからないからといってほかの誰かの読書感想文を読む気にもなれない。嫌いではないのだ。なにが大切なものなのか、という個人の主観に因るものを「こうだ」と言われたくない気持ちがわだかまっているだけだ。

 そう考えると、私は子どもの頃の気持ちを忘れていてわからないんじゃなくて、私は独自に別のものを導き出しているから星の王子さまを受け入れられない。のだ。

 なんとなく、星の王子さまは読んでおかないといけない気がして読んだだけ。
 今まで読んだことがなかったから。

 本当はSFものが読みたかったのだ。
 存在しない世界の根底から語るようなSFを。
posted by clown-crown at 22:50| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月17日

楽しい戦い(?)

 RPGのキャラクタのパラメータって多いよね?
 と、藪から棒に同意を求めるclown-crown(仮)。

 HPでしょーMPでしょー攻撃力にー防御力ー、素早さとかー器用さとかー、あと運のよさとかもあるよねー。まーここまではよくパラメータでー。クリティカル率とかあるのもあるんだよ。で、クリティカルは攻撃力の何倍かってのを決めるパラメータとかあって、なんかぐちゃぐちゃよね。結局、重要なのは攻撃力と素早さだったりして。じゃーほかのパラメータはなんのためにあるんだよー、と憤慨してみる。

 攻撃力は物理攻撃力のことで、魔法攻撃力とか魔法防御力とか分けられてるのもあるね。すごい。もっとすごいのは各魔法ごとに抵抗値があったりする。火魔法の抵抗値が高いと夏でも快適なんだろうか。

 抵抗値をたくさん作るんだったら、それよりHPをたくさん作ったほうがリアルじゃないのかな。
 人間にはいろんな死因があって、それぞれからダメージを受けるけれど、そのダメージを受けるのはHP一本ってのはなんだか腑に落ちないのよ。HPが100として、殴打で腹に20ダメージ与えて、切創で腕に20ダメージ与えて、火魔法で20ダメージ与えて、水魔法で20ダメージ与えて、毒で20ダメージ与えても生きてる気しない? 致命傷の1/5を5回だけれど、それぞれ違うダメージだったらなんとかなりそうじゃない?

 ゲームの面白さとしてもさ、勝利条件(敗北条件)が複数あったほうが戦術を考える余地があるんじゃないかな。カードゲームなら、相手のライフポイントを削るのが定石なんだろうけれど、山札切れを狙うこともできる、みたいな。

物理体力:100
熱体力:100
冷気体力:100
毒体力:100

 熱体力と書いたところで思ったけれど、0-50みたいな帯域があって、そこから外れると死ぬってのもいいかも。すべての体力がまったくの無関係ってのも変だから、各体力の積が総合体力とするのもいいかも。

 人間って絶妙なバランスの環境で生きてる。熱だけじゃなくて、酸素濃度とか、重力とか、あとまあいろいろあるんじゃないかな。なにがいいたいのかよくわからないね。私もわかってないよ。
posted by clown-crown at 04:39| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月15日

欲望を使う

 眠れない状況であるときこそ眠い。

 布団に入ると眠れなくなることってよくありますね。
 いつでも手に入ると思うと、なんとなく手が伸びなくなってしまう。あんなに欲しがっていたのに。長編RPGでラスボス前にゲームをやめてしまうのも同じかも。セックス依存症の男も、女を口説き落とすまでは性欲が高まっているのに、いざセックスとなるとやる気がなくなるのだとか。

 想像力のせいかな。
 自分はこうしたい!と思うと、それに対する期待が高まる。幾多の困難を乗り越えて、その頂きに眠る宝物を手に入れる。宝箱を眼前にしたとき「本当にいいのかな?」と思う、確かに幾多の困難を乗り越えてきたはずだけれど、乗り越えた今となってはそんなに大層な努力ではなかった気がする。宝箱を開けたとき、その内容が想像していたものと違っていて小さな落胆を覚える。開けなければよかったとさえ思うかもしれない。多くの場合、いや違うな、どんな場合であっても、夢がその興奮のまま手に入ることはない。こんなものかと思ったり、予想を大きく外していたりする。それなのに現象として夢は叶っている。

 想像が間違っていて、そしてそれは正しい。
 夢が想像のままであったなら、満足してしまうだろう。満足したら、その先はない。手に入れた夢をずっとループさせ続けるだけ。だから不完全であることを楽しむ。夢見ては失敗し、夢を叶えては別の夢を見る。夢を叶えるよりも夢を見るほうが楽しいのだと気付いた。
posted by clown-crown at 16:29| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月17日

男女間のメール

 ありのーままにー恥ずかしいこと書くのーよ。

 ネットでは女は女というだけで声をかけられることが多いようだ。ネットは基本的に匿名であるのでストリートナンパよりも難易度が低い。女であればモテるのである。ではなぜ「モテない」などという女がいるのかというと、モテの基準が違うからである。知らない男から言い寄られてもそれは『迷惑好意』なのであってモテているとは認識していないのだ(うまいこと言った)。
 男は違う。誰だろうと告白されたら妄想を広げてしまう。「美人だったりして」「いや、文章からしてかわいいタイプだ」「……えろいかな?」。男は種を蒔ければいいから女であれば誰にでも惚れるが、女は子を産まなければならないので男を選別する、だなんて説を聞いたりする。現象を後付けで説明するのだから理由はなんだっていいのだけれど、私は別の理解をすることにしている。
 私いわく「女は本能的に運命の人を待っている」。まるで少女漫画のような台詞ではあるのだけれど、私の観察した範囲ではこの解釈がもっとも即している。

 (さて、なにから書けばいいのだ?)

 女は男を見るとき、恋人になりえるか否かの判断をしている。そして、一度下された判断はなかなか覆らない。女は感情に生き、女の感情は粘性だ。さらにそして、女は自我が少ない。恋人になりえるか否かの判断は簡単なものだ。とりあえず普通であればよい。

 比較のために男の場合を書いてみよう。
 判断開始──「恋人? そんなことよりセックスしようぜ」──判断終了。これはジョークですけれど、それほど間違っていないジョークです。真面目にはいえぬ真理もあるのじゃ。男は性欲が強いから、まず性欲を満たさないと正常な判断はできんよ。セックス後の男の態度こそ愛のバロメータ、ってわけでもないけどねー。それはガセだ。性欲を満たせば睡眠欲が襲ってくるわけで、その本能に抗って終わってからも甘い言葉を吐くやつは女遊びの激しい男だけだろ。
 セックスと聞くとあからさまに嫌悪する人もあれど、メイクラブといわれるだけの行為だと私は思うよ。セックスを通して相手が見える。

 男は釣った魚に餌をあげない問題ってあるよね。私がいま作ったから、いま生まれた。
 「セックスしたら男が素っ気なくなった。私の身体目当てで愛はなかったのね!」と思う女が意外に多いようだ。素っ気なくなった、というのはメールの頻度が下がったとかなんとか、そんな現象を指しているらしい。それは逆だと思う。愛されてるよ。
 いいですか? 男が女を口説くときはセックスエンジンを使っているのです。「セックスしたい!」という強い気持ちです。これは女には想像だにできぬ無限大パワーです。このセックスエンジンを使ってうおおおおおとがんばるわけです。すごくがんばってます。どのぐらいすごいかというと「女のつまらない話でもうまく相槌を打ち、まるで盛り上がっているかのように会話せしめる」程度の力です。さて、セックスするなりお付き合いの契約を交わすなりして区切りをつけると、セックスエンジンはお休みです。いつまでもそんなものを使っていたら最悪死ぬ。これからは永遠を共に過ごすのであるのだから自然体で愛し合うのです。つまりだ! 素っ気ない行動は愛が冷めたわけではなく、いままでがむしゃらなやり方をしていたのを通常運行に戻しただけの話なのだ。
 それがわかってても愛されてる実感がほしい女がいるよね。「それでも運命の人なら私を満足させてくれるはず!」。そういう女を騙してくれる男はいくらでもいるので浮気したらいいと思うよ。バレない限りは。

 (なにが言いたいんだよ)

 そうそう、運命の人はいないっていう話だった。理想像をもってても、それにピチッとはまる男なんていませんー。眠ってなんていまーせーんー(ネタが古い)。
 仲がいいカップルっていうのは、お互いが理想像になったカップルですよね。理想像から恋人を探すんじゃなくて、恋人が理想的に見えてくる。愛の力ってそういうものよね(はぁと)



 恋愛経験ゼロのくせによくこういうことが書けるな私は。
 分析ばかりしてても恋人はできないのにね。
 穴はいっぱいあるだろうから、そこんとこは大目に──いや、生温かい目で見ててよ。
posted by clown-crown at 01:38| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月10日

Mのきもち

 マゾヒストのことだよ。

 SとMは表裏一体というのに、なんで私はMの気持ちがわからないのか、うーんうーん唸って頭ン中ぐるぐるしてMの人に聞いてみたりして少しずつわかってきた気がするよ!

 コミュ障だからさ!

 コミュ障コミュ障って免罪符のように安売りしてるけれど、あれホントは人見知りじゃなくて空気読めない人を指すらしいね。でも私は人見知りの意味で使ったよ。マジメ系クズって言葉もあるよね。これもだいたい似たような人間を指すんじゃないのかなあ。しゃべらない人間はマジメに見えるね。

 話が逸れたな……。
 コミュ障ってのは字面の通り、相手に伝える能力が働いてないだけで、考えることはちゃんと考えてるんだよね。なんでそれを出さないのか。そりゃ気質的に無理ってことなんだけれど、その気質ってなにってこと。

 自信がない。これがいちばん大きい理由だろうな。自分に自信がないから、自分のことを表現できない。否定されたらどうしよう、嫌な顔をされたらどうしよう、間違ったことを言っていたらどうしよう、とまあそんなことを考えてしゃべれなくなってしまう。しゃべるってのは賭けだ。しゃべると好感度パラメータが上下する。しゃべらずにやり過ごすのも一手ではあるけれど、なにもしないとじわじわ蒸発するものさ好感度ってのは。

 コミュ力がない。自信がなくてコミュ障になると、しばらくしてコミュ力がなくてコミュ障が進行する。当たり前だ、経験値が獲得できないんだから。コミュ力がなくてコミュ障になって、コミュ障だからコミュ力がないのだ。

 めんどい。うん、めんどくさがりなんだ、すまない。私だってちゃんと人間らしく振舞っていた時期もあった。でもねー、なんだろうねー、あれねー、スイッチ入れっぱなしってのはエコじゃないんだよ。私は人間初の省エネ大賞受賞を夢見てるんだよ。怠惰スーツほしい。

 Mの話しようとしてたら、欝っぽい話になってたねえ。でもこれ必要な話なんで、カットできない。

 必要なのは、私がめんどくさがりってことなんだよ。

 私はねー、あんまり人間っぽくなろうと努力してないんだよね。人間っぽくっていうとわかりにくいかな、どうだろう? 普通っぽくっていえばわかる? いい人になろうと思ってがんばったら精神科医にかからないといけなくなるような、根が悪い人間なんだよ。ひゃはは。

 人間ってホントにおしゃべりが好きか? めんどくさい人間関係を捨てられなくて間をもたせてるだけじゃないのか? 仮におしゃべりが好きなんだとしても、それは自分の話をしゃべりたいだけで、相手の話なんてどうだっていいんだろ? ああん? 素直になれよ。

 みんな人間の皮をかぶってるんだよ。真の人間なんてどこにもいないのに、みんなそれをお手本にして、自分が人間なんだと思い込ませて生活してる。ホントに人間なの?

 ド底辺のクズじゃないの? 虫けらにも劣るゴミでしょ? 澄ました顔で、ホントはぐちゃぐちゃな脳みそを抱えてるんでしょ? つまらないプライドにすがり付いてなんとか生きてるだけの愚物なんだろ?

 私は、そういうがんばりがない。がんばりなんてめんどくさいからしてない。素ってわけでもないけどね。

 Mっていうのは、がんばってる人なんだろうね。がんばっている状態が常態になるようにがんばっていて、ひたすらずっとがんばっていて、ずっとずっとがんばり続けてきた、もう当たり前になったがんばりをでもどこかで誰かに認めてほしくて、「私の前ではがんばらなくていいんだよ」とがんばらない自分を認めてほしい。そんな人。
posted by clown-crown at 00:02| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月07日

オラ東京さ行ってきただ

 モノノケ市というイベントが東京で開催すると聞いてeikaさんに「いっしょに行きましょう」と誘った。モノノケ市の開催地は京都だということが一週間前に判明する。でもまあせっかくなので東京行ってきただ。



 今回は車です。
 長距離を車でドライブするたびに痛感しては忘れるんだけれど、公共交通のほうが安価である。価格は重要な基準なので、今後は忘れないようにしたい。

 金曜夕方から高速に乗ってSAで仮眠摂り摂り土曜朝早めにeikaさんとやべえさんに合流して東京に向かいスカイツリーとすごろく屋に行ってやべえ邸で買ったゲームなどを遊びながら寝て日曜起きたら適当に帰るスケジュール。

 まず水曜にeikaさんが遊べないかもしれないと言ってきてオフ会の危機、「こりゃ中止かなー」と思いながら待っていたら金曜の5時ぐらいに「大丈夫です!」と連絡が来たので急いで出発。
 時間的にはたっぷり余裕があるのですけれど、明るいうちに高速道路の走りに慣れておかないと、またなにかやらかしそうで怖かったのです。
 そういえばなにもお土産を買ってなかったので静岡SAでお茶系お菓子をみっつほど購入する。このときに珈琲無料券をもらった。なかなか眠れないので鉛筆を買ったり、コンビニ弁当(スパゲティチキンカレーピラフ)食べたりしていた。田舎のSAはお茶がタダなのでいいですね。静岡のお茶はうまい。
 けっきょくちゃんと寝たのは海老名SAでした。その前に深海魚展示してるSAがあったけれど、あれはどこだったかな。で、やべえさんが起きたのを見計らって合流地点に到着。たまプラーザというなんだか気の抜けた駅は、時間が早いせいでほとんどのお店が始まっていない。ぼんやりしばらく待ってやべえさんと合流。普通の人でした。ちなみに私はカジュアルなスーツで……なんだよそれって、ジャケットなんだけど。ほら、ホスト風のスーツっぽいんだけれどやたらオシャレ服ってあるじゃん? あれを薄めたようなやつを着てました。長髪とあいまって音楽家みたいだと思った(個人の使用感です)。あとはeikaさんですね。早めに到着できそうとあらかじめ言っていました。私たちが合流したことを聞くとあと20分ぐらいで着くと言っていました。けれどなにか得体の知れない現象の介在により、少しだけ遅れて合流しました。ウカツ! 服装はジェダイみたいなマント羽織ってた。ライトセーバもってたら完璧だったね。

 eika ウカツ!

 スカイツリーは以前の人狼メンツと行ったときほどは並んでなく、わりとするっと入れました。スカイツリー内部では宝探しイベントが開催されていて、その暗号を解いてゆくところスカイツリーをさらに昇らないといけないことが予測されたので(上の展望階層に昇るには入場料とはまた別途お金がかかる)断念しました。やっぱり商売ですね。無料で参加できるってのは虫が良すぎると思ってたんだ! 腹立ち紛れに書くけれど、スカイツリーのお姉さんのイントネーションがおかしかったんだけれど、あれは語学に秀ですぎて日本語を使用する機会が少ない方たちだったんですかね。
 景色はよかったですよ。高所恐怖症の私は縁に身を乗り出して下を覗くなんてことはできませんでしたけれど。でも、ガラス床には立ったぜ!(謎の反発心)
 スカイツリーの根元には和風のお店が並んでいてものすごく心が惹かれました。刀風番傘とかあったし。お腹が空いててスルーだったのが悔しい。
 スカイツリー内のお店はべらぼうに高いということで、覚えてない駅で降りてなんだかよくわからない中華料理店で食べました。隣は二郎系ラーメンでした。ひとりのときはそーゆー店に入ってみたいものですね一回でいいから。私とeikaさんが八宝菜でやべえさんが麻婆茄子。中華って外れはないと思うんですよ。値段の高い店はそれなりの店構えしてるから避けられるし、量が多いことはあっても少ないことはない。味もわりと安定してる。でも、その店は外れだったかもしれない。悪く言うと同行したeikaさんとやべえさんに気を使わせてしまうかもしれないけれど。責任は店にある。味は悪く悪いというほどではないけれど、なんだか野菜くささ(きのこくささ?)が残っていたし、スープはやたら酢っぽい。白飯はうまかったのが慰め。やべえさんは麻婆茄子が辛すぎてご飯大盛りで頼んでいたのにさらに追加注文するはめになったし(有料)、それでも食べきれない辛さだった(あとで発覚するのだがやべえさんはけっこう食べる人)。これはウカツ!でしたね。

 やべえ ウカツ!

 eikaさんが頭痛がするというので薬を買ったあと(スカイツリーで昇降した気圧変化の影響か?)、すごろく屋に到着。いやあ、いろんなゲームがありますね。私はもともと買うつもりだったDixitの拡張版を買いました。拡張版なるものはひとつなのだと思い込んでいたら、拡張版4まで出ているらしい。2と3を買ったのだぜ。4は品切れだったのだぜ。拡張版にはただ変な絵の描いてあるカードが入っているだけで説明もなにもない。これは絵を買うようなものなのだ。私はそれとプラス、マスカレイドを買ったぜ。Dixitは3人以上いないと遊べないゲームで、ぼっちの私は3人以上で集まる機会がなかなかないので2人で遊べるゲームがほしかったのだ。このゲームはやべえさんも買ったので、東京の方はやべえさん邸で遊ぶといいよ。
 ゲーム内容は、誰がなんのキャラなのか確定しない状況(自分さえ)で、自分がもっているはずのキャラの能力を使ってお金を稼ぐゲームです。記憶力と推理力が試されるよ! 記憶力のない私が買うべきゲームではなかったが、いいのだ。絵がいいから(絵を重要視するclown-crown(仮)さん)。あとはブギーポップのイラストレータの人が絵を描いたUNOっぽいゲームを買うか悩んだけれど、やべえさんが買ったんで私はやめた。ほかにもシェフィとかいろいろあったね。

 歩き疲れたのと、ゲームを買っってほくほくしたのとで、足早にやべえ邸に向かうが、途中で誰も傘を持っていないことに気付く。すごろく屋の玄関前に置いてきてしまったようだ。はじめに気付いたやべえさんはウカツ!度が低くなると自分で弁論していたのだけれど、私の傘は骨が折れてていつ捨てるか迷ってた傘だし、eikaさんはビニー傘だったので、金銭損害はやべえさんがいちばんだろう。ウカツ!は免れぬ。

 c ウカツ!
 eika ウカツ!
 やべえ ウカツ!

 まあ、あとはゲーム三昧でしたよ。マスカレイドとかUNOみたいのとかドラフトワークとかアリスのお茶会とか王宮のささやきとかやりました(Dixitは本体がないので遊べない)。eikaさんはケモナーのようだ。
 夕食はやべえさんに寿司を奢ってもらって(やべえさんは1人前セットを平らげたあとサーモンとアナゴ(めちゃ長い)を頼んで、さらに海栗の炙り飯を食べていた)、帰りにコンビニで酒とかお菓子買ってまたゲーム三昧だった(やべえさんはポテトチップスもばりばり食べた)。

 私はいつの間にか寝てた。eikaさんはやはり忙しいらしく、早朝にやべえ邸を発つというので、私もいっしょに帰ることにした。eikaさんをたまプラーザまで車に乗せて。このとき私はまだ後の起こる悲劇を知らなかった!
 帰りは順調でしたね。行きは90km/hぐらいでゆっくり走っていて、帰りは平均して110km/hぐらいかな。やべえ邸はゆっくりできるし、車中も私のテリトリ内なんだけれど、それでも家のベッドで寝るに勝るものはないからね。高速道路を走っている途中でやべえさんからskypeの通知が来て「挨拶かな? やべえさんは律儀だな」と思ってそのまま走行、静岡SAで内容を見たら「eikaさんが車に置いてあった枕をもっていってしまったらしいので電話してください。090-××××-××××」だってさ。どうしたら枕がeikaさんの手荷物に紛れるのだろうか。ウカツ!っていうか、なんか次元が違うよね。まあ、温厚なclown-crown(仮)さんはそんなことで腹を立てたりせず、珈琲無料券を使っておいしい珈琲を啜りながら「じゃあ次のオフ会企画してね」で済ますスマートな紳士である。

 はてさて、注目の総合得点は。

 c ウカツ!
 eika ウカツ!ウカツ!ウカツ!
 やべえ ウカツ!ウカツ!

 さすが初代迂闊者の称号をもつeikaさんである。
 しかし、このオフ会を企画したのはそもそもモノノケ市に参加するためで、東京ではなく京都だということを1週間前まで気付かずにやべえさんに指摘されてはじめて気付くそのウカツ!さこそ次世代を期待されたウカツ!ではないだろうか。

 c +30000ウカツ!

 再計算すると、

 c ウカツ!+30000ウカツ!
 eika ウカツ!ウカツ!ウカツ!
 やべえ ウカツ!ウカツ!

 clown-crown(仮)さんの優勝である。
posted by clown-crown at 00:05| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする