2015年08月10日

0.01の理解

 赤ん坊はなんにでも興味をもち、せわしなく動き回っては母を消耗させる。赤ん坊というのは非常に感覚が優れていて、正しく知覚する。だからいろんなことを経験させたほうがいい。これと同じことが青春時代にも起こっている。感覚が鋭敏になって、これまでとは違う自分に変態する。なぜ青春時代に鬱屈するのか、それは新しい自分に更新されて、感じるものすべてが新情報になるからだ。あまりに膨大な情報量をぶつけられると人間は混乱する。たとえば、知らない道を車で運転するとき、いつもより疲れないだろうか。どこを注意して観察すればいいのかわからないから全体に注意しなければならず疲れてしまう。何度も通った道であれば、重点的に注意すればいい箇所がわかっているため疲労は少ない。逆にいうと、注意しなくてもいい箇所については見なくなる。これが私のいうところの鈍磨だ。
 赤ん坊は世界を学ぶために弄繰り回したり、口に入れたりする。青春時代も世界を学ぶために悩んでいる。
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盆休みです

 盆休みの前は久しぶりに感情が煮えていました。
「他人よりも苦労しているのに評価されていない」というイライラに支配されていたのです。
 だいぶ冷静になれた気がしますが、まだかな。評価されるというのは受け身であって、他人の行動によって達成されるものなんですよね。大人になったら他人に期待しないほうがいいですよ。
 偽りでも装っているだけでもいいから、私は安定するべきなのです。なにかを他人に預けるのは安定しない要因になりやすい。



 理解の話をします(今までの話とは無関係です)。
 私は分類を理解だと思い込んでいる節があります。

ぶん‐るい【分類】
[名](スル)事物をその種類・性質・系統などに従って分けること。同類のものをまとめ、いくつかの集まりに区分すること。類別。「五十音順に―する」「―表」


り‐かい【理解】
[名](スル)
1 物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。「―が早い」
2 他人の気持ちや立場を察すること。「彼の苦境を―する」
3 「了解2」に同じ。


 分けたからといって理解しているわけではないのですよね。分けると分かるは違う。でも分類してしまう。すでに知っているものの中から似ているものを検索して同じフォルダに放り込んでしまう。大まかには分けているけれど、実際にはくっつけているんじゃないのか? 具体的なイメージがあって、ほかのものとは違うと感覚的に理解できないと個別に理解できない。私は中学生時代、期末テストより学年末テストのほうが成績がよかったです。いきなりなんの自慢かと思われるかと思いますけれど、感覚的理解は自転車の乗り方のようなもので、一度覚えると物覚えがいいのです。テストで使えたのは中学生時代までですけれどね。高校以降は一夜漬けのほうが効率がよかったので、ほとんどそれでテストを乗り切りました。高校の勉強は抽象的でイメージが作りにくいのですよ。

 ここから高校生の話です。
 青春時代というのはその晴れやかな言葉の響きとは対照的に、とても鬱屈した精神状態であることが多いです。大人になる準備なのでしょう。芋虫から蝶になるようなものです。いきなり姿が変わるし、行動様式も変えなければならない。戸惑いは必至です。落ち着けといって落ち着けるものでもないでしょう。「今の感受性の高さを利用して貪欲にインプットをし続けろ」と私は言います。ゆうきゆうの心理学マンガなんてどうでしょう、とても中高生向きだと思います。ああそれと、大人なんて子供が考えているほどご立派なものではないです。私も未だに子どもの頃考えていた大人になれなくて、本当にこれでいいのかな?なんて思ったりしています。そういう意味では私は青春時代まっただ中なのかもしれない(さすがに痛いからやめてください)(永遠のセブンティーンだ)(や!め!ろ!)。
 私も高校生時代は悩んだのです。たぶん、どうでもいいことで悩んでいましたけれど、そのどうでもいいことが基盤となって私を支えている気がします。どうでもいいことって、すでに通過してしまったからそう思えるんですよ。あの頃は何度も死ぬことを考えていた。きっと鈍感になったんだろうなあ。死にたくなるような思いでようやく通過して、踏みしめて、見える風景がある。そこに辿り着くまでに鈍磨してしまったけれど、後悔しない生き方ができるといいですね。
 頑固親父って嫌いなんですけれど、頑固になってしまう気持ちがなんとなくわかったりもするんです。来た道を戻る恐怖がわかりますか。死ぬ思いをして、鈍磨して、やっと着いたのが間違った場所だとはなかなか認められません。生き方を否定されることに等しい。まあでも、振り返るのは悪いことではない。来た道を戻るのも勇気です。やってみたら案外二度目は楽だったりします。

 高校生も頑固親父も、道に迷ったら情報収集してみましょう。人間が悩んでいるときって、実は答えはもうできていて、背中を押してもらいたいだけだったりする。そんなときは言葉が自分の気持ちを照らし出してくれる。インプットしてみましょう。文字列の中から最初に見つけた言葉があなたがいちばん望んでいるものです。
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2015年07月27日

こんばんは

 ご機嫌いかが?
 ずっと更新していなかったので手を付けてみました。特に書きたいことがあったわけではないのですけれどね。ずっと続けていたのでこのブログは私の成長記録のようなものだとも思っていまして、空白があるとこのときなにがあったのか思い出せなくなりそうで。

 ブログを書かないのって健全なことですよ。特にこのブログの文章エントリなんかはね。リア充はあくまでSNSを補助的に活用するんです。自己表現として使うのはメンヘラです。メンヘラも増えてきて市民権を得そうな勢いですけれど。

 今日はストパーマッスィーンが届きました。髪がうねっているのです。ブログでは書きましたっけ、私が天パだってことは。髪を伸ばしているところなので、それはもう植物のように繁茂するのです。天パと黒髪長髪は相性が悪くてですね、見た目が汚らわしいんです。わかります? いくら毛が多くてもストーンと落ちていれば格好が付きますし、あるいは茶髪ならまだ幾分かは軽やかに見えます。一度、金髪にしたことがありますけれど(銀髪にするために)、あれはずいぶんと毛が痛みましたからね。ストパーならまだ毛の痛みは少ないかもしれないと願いを込めて購入しました。どうなんでしょうね。一日しかもたないみたいですけれど。

 あとなにか書くことあったっけ。
 メンタルなことを書いておきたい。ネタがない。そうだ、これは疑問なんだけれど、なんで女性は男性と違って未練がましくないんでしょうか。女性は理想を追う論なんてものを以前このブログで書きました。理想ではないと思ったらすぐに切れるのですか。結婚するまでは理想の男性を求め続けようってことですか。最近は結婚の敷居も低くなって、結婚の枠から外れる=離婚するのも容易になりましたね。なにもかもが理想的な相手なんていないと思います。お互いが理想的な人間になろうと努力するほうが結局は理想の関係になれるのではありませんか。我慢できないなにかがあったんでしょうか。
 SMに興味津々の私がこんなことをいうのも変ですね。でもSMだってSが一方的にMを従わせているわけではないですよ。前提の信頼関係がなければ始まりませんからね。でも一方的なSMも興味あるなあ。私は自分でも本心を見失ってしまった人間なので、うまくやれないでしょうけれどね。折れたことのない意思の槍をもつSの貫禄にMは惚れるのかなあ。私はそういうのとは無縁だなあ。

 閑話休題閑話休題。
 人間はみんな自分の人間具合を心配しているのです。なぜなら人間から逸れてしまうと攻撃の的になるから。みんな人間になろうとして、集団から外れた人を攻撃します。攻撃することによって自分は人間側だと安心できるようです。でも、みんなが目指している理想的な人間──すべての多数決で勝てる人間なんていないんですよ。だってそれって、あまりに人間っぽくないでしょう。

 女性への恨み節が混じったエントリになってしまった。私はもっと未練がましくない人間になるべきなのではないか。しかしそれは、平均的な人間になるということでもあるのでは。
posted by clown-crown at 01:04| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月16日

がんばるんば

 スゴい人を見たとき、「なーにをそんなにムキになっちゃってんのプッ」と斜に構えて小ばかにするか、「私もあんなふうになれたらいいなあ」と素直に感心するか。
 がんばりってのは誰かに牽引してもらうのがいちばん楽だと思っているので、憧れの人が多いほうががんばれる。がんばりで楽って変かな。前者はがんばらない楽を選択した人だから進歩しない。素直さ大事。
 これは同意してもらえる内容だと思う。

 じゃ、スゴくない人(やわらかい言い方を廃止するとダメな人)のことをどう感じるのが、いちばんいいのかなんてことを考える。
 職場にも仕事ができないダメな人がいて、器の小さい私なんかはイライラしているのですけれど、私より仕事ができる人は私にイライラしている素振りを見せないのですよね。「上の人間」ってのはそーゆーものなんだな、とか考えてしまうのですよ。
 大人だから面と向かって不快を示さないだけ、ってのもあるとは思う。でもそれだけではないような。
 がんばれる人はがんばるためのメンタルをもってる。「下」を見ても「ああはなるまい」ぐらいしか考えず、「下」を見ないようにしている。人間は見ているほうに引っ張られるからねー。引っ張られるなら「上」を見る。
 職場全体の能率を考えるなら、ダメを引き上げる必要性も出てくるけれど、ダメな人は職場全体なんて見えていないから「自分だけ厳しくされている」なんて不平をいいそうだ。がんばりのメンタルをもってない人にがんばらせるのって困難よ。
 スゴいとかダメの基準だって、自分が有利になるように設定しているはずなのだ。ダメだと見下してる相手から別の基準でダメだと見下されているかもしれない。たとえば「仕事は精確さだ」と「仕事は速さだ」とか。「下」に積極的に関わろうとする人は、それによって自分が「上」であることを確認したいダメンタルの持ち主だよねって話です。

 がんばりってのは本人にしかわからなくて、死に物狂いでやっても失敗した人もいれば、かるーく一発クリアできる人もいる。現状の上か下かは基準によっては数値にできるけれど、メンタルはどうやったって計れないのでそこをダメ出ししてはいけない。「仕事を教えているのにメモをとらない」のはメモをとることによって聞き漏らしてしまうリスクを避けたのかもしれないし、がんばりにはその人に合ったやり方がある。

 自分の過去を持ち出して「お前はあの頃の俺よりがんばってない」っていうジジイが多いので辟易としている。その頃とは状況が違うし、お前の過去は美化されてる。「技術が進んで楽になったが、やることが増えた」なんてのはどこの世界だって似たようなものだろう。楽になった部分だけ指してがんばりが足りないといってるような文明を否定する原始人はマンモスの肉でも食ってろ。
posted by clown-crown at 08:56| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月09日

やっぱ嘘

 多数の論理が嫌い、というのは嘘です。
 正しさはぜーんぶ嫌いだ。

 論理的に正しいからってそれがなんなんだよべろべろばー!
posted by clown-crown at 23:33| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

正しさの尺度

 人間はなぜ矛盾した行動をとるのか。
 それはね、正しさの尺度がひとつではないからさ。

 私は正しさを嫌っている。正しさとは、世間だとか良心だとか常識だとか倫理だとかそんなものだ。全部を嫌っているのではないのだ。民主主義の正しさ、多数が嫌い。

 昔のエントリで、自己言及は矛盾が追いかけてくるとかなんとか書いたはずだ。だから自己言及しないようにしよう、と。
 なんで自己言及が矛盾を呼び込むのか考えるに、自分とは特別な基準点だからではないか。特別な基準点であるから、ここではねじくれてしまう。「クレタ人は嘘吐きだ」と言ったとき、すべてのクレタ人は嘘吐きとなる。だが、この発言者がクレタ人であったときすべてのクレタ人を嘘吐きに塗り替えた自らの発言がねじくれて逆襲してくる。「自分で髭を剃らない男の髭を剃る」と言ったとき、自分で髭を剃らない男はこの発言者によって剃られる。だが、この発言者自身には発言がねじくれて返ってくるのだ。

 自分とは特別だ。格別で格段で特段だ。
 正しさとは論理があって初めて現れる概念だ。世間の論理、良心の論理、常識の論理、倫理の論理。ひとつの論理だけ(ここまでしかバックアップがとれなかった)
posted by clown-crown at 01:59| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月19日

興味関心のグラフ

 理系だからああだとか文系だからこうだとか、なにか言ったつもりになるのはバカの所業なのですけれど、私もバカなのでその分類法を使いますね。

bunnkei.png

 これが文系のグラフです。
 縦軸が知識の量、横軸が知識の幅です。私が勝手に思いついたグラフなので信憑性はどこにもありません。
 赤いのが文系Aくんで緑が文系Bさんです。このふたりは多少のズレはありますが、興味関心の大部分が重なっているので、会話が弾みます。

rikei.png

 こちらは理系のCくん、Dさん。
 文系組とズレはそれほど変わらないはずなのに、重なる部分はあまりないですね。しかし、ズレが一致すれば深い部分まで相互理解ができるのです。

boku.png

 これはどこかの誰かさんです。
 なんだこれ! 変な形してる! これじゃあ一致する相手なんているわけないだろ! そもそもグラフの面積が小さすぎやしないか? どういう人生送ったらこんなグラフになるの! なんのために生きてるの!
posted by clown-crown at 15:09| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

エイプリルフールぐらいは嘘を吐くのをやめよう

 自称「どM」=大抵、偽物。

 おおまかなところはよくいわれる「本物のSM観」なんだけれど、Mから見たSの描写がおもしろかったので引用しよう。

出血大サービス「どS」様は
どんなに怒っていても至って柔和な物腰で、
決して人に悪い印象を与えません。
場合によっては、仏様のような印象すら与えます。
だから、ちょっと会話をしただけだとMっぽく見られがちです。

ですが、本当はいつも心の中で
哲学的に悶々とあらゆることに想いを巡らせています。
でも、自分の本性を曝け出すことに抵抗があるから
優しい「仮面」をはずしませんし、はずそうとしません。
実はとっても繊細でナイーブなのです。


 だってさ!
 ここのところ10年ぐらい男性向けのSM的な商品が増えてきた気がしてたんだけれど(SMよりリョナに近いのかもしれないわからない)、これって若い人たちの趣向なんじゃないのかしらね。若い人たちの傾向って引用部分とダブらない?(そういえば男性がフェミニストをこじらせるとリョナ趣向になる話を聞いた)
 でもこの引用のS評はまだ(本物のSでなく)エゴサドだと思うけれど。間違ってるんじゃなくて不足してるのかな。なんだろうなー。
 SがMに見えるとかMはSっぽいとか、確かにそうかもしれないけれど、修辞ですよ。
 SMと一言でいっても、その関係の形はさまざまで、それをなんとか体系付けたいなと考えているのですよ。そうすればマッチングしやすいでしょ? あと、SMプログラムも作りやすくなる。

 以前にもこのブログでSMプレイの分類した? そうだね。でも、あれまだ決定打って感じしなかったんだよね。
 単純に分けても肉体的なプレイと精神的なプレイがあるけれど、肉体的なプレイも結局は間接的に精神を刺激しているだけなんじゃないかって思うのですよ。精神的プレイは嫌いで肉体的なプレイだけが好きって人は見たことないしなー。

 となると分類なんてものははじめからなくて、深度だけがあるのかなって。SM深度が進むと今まで嫌だったプレイでも快楽を得られるようになるって感じでさ。数直線にしたらおもしろそうだ。M女が好むプレイの平均がとれたら、かなり有用なデータになるのではないかね。

浅い 言葉責め──目隠し──露出──緊縛──浣腸 深い

 みたいなっ!
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2015年03月27日

完璧趣味な乙女たち

 白馬に乗った王子さまなんてのは、恋に恋する乙女を嘲るときに使う安易な常套句であった。最近では嘲りにも使わない廃れて廃れきった表現だ。
 まあでも、表現が廃れたところで乙女心の本質は変わってないな、というのが私の見解である。

 婚活に失敗する男の典型例が『妥協しすぎてしまうこと』で、女は『理想が高すぎること』らしい。おもしろくないですか? おもしろいよね。

 『※ただしイケメンに限る』は、なかなか息が長いネットスラングだね。聞き飽きた。そりゃイケメンのほうがいいだろう。でもな、顔面偏差値に拘るのってむしろ男のほうじゃないの? 鏡に映った自分の顔に吼えるなよ。

 蓼食う虫も好き好きで、顔面偏差値なんて偏差値であって絶対的なものじゃない。
 あばたもえくぼで、ブッサイクだって好きなら気にならなくなるし、なんならイケメンにも見えてくる。

 雰囲気イケメンなんて言葉もあるとおり、イケメンかどうかなんて雰囲気で変わるものだし、女なんて雰囲気で左右される生き物だ。顔の造作を変えるのは難しくても、イケメンを気取るなんてのはそう難しいことじゃない。イケメンだと認知されてくれば、周囲もそんな扱いをしてくるし、そんな扱いを受ければ自信が出てきて顔の造作から変わってくるものだ。万歳万歳万々歳。

 あー違う違う。私はモテるモテないの次元の話をしようとエントリ書いてたんじゃなかった。

 王子さまになる話だ。
 要するにつまり、完全無欠の人間になればいいんじゃないのってことさ。

 そんな人間はいないが。
 いないが、そう錯覚させることはできる。

 前述したように、女性ってのは雰囲気に呑まれやすいものだから、そう振舞えばそうなのだと錯覚してくれる。だってそもそも王子さまを探してるんだし「この人かも」と思わせるのは簡単でしょ(今は私が読者を錯覚させようとしている)。

 女性はドラマが好きで、演出が好きで、理想が高くて、運命を求めていて、ヒロインなんだよ。
 なぜなら、
 女性はぱっとしない現実に鬱屈していて、つまらない生活に飽きていて、しょうもなくくだらないものに囲まれていて、平凡でしかない自分に葛藤を抱いていて、それをなんとかしてくれる存在を欲しているんだよ。

 確固としたものが自分の中にはないから、それを恋人に求めるのさ。どう? わかりやすい?
 わかりやすいものってのはだいたい嘘だよ。
posted by clown-crown at 02:06| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月15日

画面が長いのは部屋の冷蔵庫のアスペクト比と同じにしたからです

 冷蔵庫がびっくりするぐらい反響ないですね。反響がないのもひとつの反響。
 製作秘話みたいなの語ろうかな、と思いました。

 公開したときにも書いてあるとおり、これはアンチ合成ゲームなんです。
 素材の数から組み合わせが何通りあるか調べて、ひとつひとつ合成して検証する。作業ゲーム好きな私でもそれはちょっとタルいです。レシピがあらかじめわかっていても、素材を集めるまでが大変だったりして、とかく合成ゲームは面倒くさい。
 そこで冷蔵庫です。
 素材の数は10種類。どれも簡単に好きなだけ手に入ります。作れるものは最初からレシピがそろっています。むしろこのゲームで気にすべきなのは、素材を持ちすぎてしまうこと。気をつけてくださいね。

 このゲームには自作絵を使っていません。独身男性の雰囲気を作りたかったからです。私の絵はかわいすぎますからね(まがお)。画面に色味が少ないのもわざとです。決して手抜きではないのです。
(──うん、まあ手抜きにしか見えないよね。最近のゲームはクオリティが高いからなあ。個人製作じゃちょっとやそっとじゃ追いつかないよ。その代わりといってはなんだけど、文字の一部を手書きにしている。ノートのようなぬくもりを感じてもらえたらいいな)

 脱線するけれど。いわゆる見やすいデザインというのは、あくまで一般的な人間にとって見やすいデザインであって、色盲の人には見えづらいものが多いらしい。色の効果を多用するからね。色味を使わずにわかりやすいデザインを作るのも、やる意義はあるのだ。

 閑話休題。
 写真を多用したのは、なんとなくメシテロしたかったからです。サブリミナル効果でお前を殺す!

 プレイヤと一体になってほしくて主人公には一言もしゃべらせませんでした。おかげでストーリ展開が作りにくいったらなかったです。クリアまで辿り着けた人がいるとは思いませんけれど、いたとしてもストーリの全貌はわからないでしょうね。
 そういえば小説でも私はそんな作風だったから、仮に主人公がしゃべったとしてもそこは変わらなかったかもしれない。
 いいんです。このゲームの肝は探索することですから。アイテムを手に入れるための探索はありませんけれど、プレイヤがこのゲームを進めるために探索するのです。本来のゲームのおもしろさって「そこ」にあるんじゃないかなって思います。どんなゲームなんだろう、というワクワク感。
 最近じゃゲームのジャンル分けがきっちりされていて、そのジャンルごとのテンプレートができあがってしまっている。だからはじめてのゲームでも既視感がある。わかりやすいけれど、新しさがない。ワクワクしない。期待通りのおもしろさがある。
 世の中は勝手に分かりやすい方向へ進んでゆきますから。たまには私みたいなのがいてもいいじゃないですか。

 この主人公はプレイヤである以前に、私です。生活ってやつは難しい。
 私はそんなに神経質じゃないですけれどね。賞味期限切れのものも平気で食べるし、食材が中途半端に残るぐらいなら3倍ぐらいまでは増量して料理します。

 あとはなんか秘話っぽいのあったかな。

 設定では主人公の両親は農家じゃないとか? 本当にどうでもいい話だな。反響のないマイナにすらなれないゲームの裏話なんて、誰も読みはしないさ。
posted by clown-crown at 00:47| パリ | TrackBack(0) | 製作日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする