2014年12月24日

バカのゲーム

 Twitterで最近よく見かける「新聞の投書欄に『最近のアニメは女の子がかわいいだけだ。中身のあるアニメを作って欲しい』なんて中国人がいっている」ツイートがある。製作者に言ったって無駄だろうに。需要があるから作っているのだ。



 最近のゲームは(このエントリ内だけですでに3回、最近を使った)、ソシャゲと呼ばれるケータイでできるゲームを指すようになってきた。少し前までは家庭用コンピュータゲーム(おかんはなんでもかんでもファミコンと呼ぶアレ)を指す言葉だった。さらにコンピュータゲームの前はトランプやオセロなどアナログゲームを意味する言葉だった。

 ゲームの意味が変わることで、ゲームの価値も移行している。トランプやオセロは家族や仲間達との団欒を担ってきた。コンピュータゲームに没頭していると暗いヤツだと嗤われた。ソシャゲは暇つぶしのゲームだ。ゲームは能動的にするものではなく、時間が空いたときに時間をつぶすためのものになってしまった。ランキング上位のソシャゲは、絵が美麗で、とても親切だ。バカでもできる。

 世の中はわかりやすいほうへ推移している。頭のいい人間はクレームをつけないから、頭の悪い人間の「わけわかんねーぞ!」のクレームばかり集まるようになり、それに対応し、従えば、わかりやすいものができる。頭の使い方を忘れかねない。振り返ってみれば私もインプットはTwitterオンリ。

 ゲームは趣味だ。趣味は余暇にやるものだ。ゲームで頭を使えないのは、本職で頭を酷使しきってしまっているからだ(そう思いたい)。余裕がなくなってしまった。
posted by clown-crown at 03:16| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月22日

見つめ合わないと素直にお話できる

 eikaさんとオフってきた。
 いろいろ遊んだけれど、今回はオフの粗筋を書くのはやめよう。

 誰かと遊ぶときは「目を見て話そう」が目標だったのに、さっぱり忘れていた。いつも通りの目を合わせないcさんであった。よくないね!

 人間関係の作り方のへたくそさを「でも私は人間が好きだから」と言い訳して、根本的な問題ではなく手段を知らないだけだと思い込もうとしていたのだけれど。人間の好悪はぜんぜん問題になっていなくて、問題なのは恐怖なのではないかと最近になって気付きはじめた。

 好きではあるけれど、信じきれていない。踏み込めず、躊躇ってしまう。
 人間はあまりにも膨大すぎる。変な完璧主義の私は人間を理解しきれずに、理解しようとすることを投げ出してしまう。
 今まで私と関わってくれたすべての人間に謝らなければならない気分に陥ったりもする。しかし、彼らはそんなことを望んではいないだろう。自信のなさこそ意思疎通の障害だ。

 暗黒の学生時代に人間と関わることを諦めてしまった私は、いまさら一人前になることもできないだろう。人間関係を結ばなかった代わりに得たものといえば、感覚。別にひとより感度が高いわけではなく、独自の嗜好を深めた結果の感覚。誰とも重なり合うことの少ないひとりだけの感覚だ。
 感覚などただの受信だから、それをなんらかの形で発信しなければ長所にはならない。比較対象の人間がいなければ、私のへんてこな感覚も通常運行でしかない。感覚がおかしいのは意思疎通において短所。

 若い頃より幾ばくかは穏やかになったのを自分でも感じる。それでもまだ足元が確かではない、地盤の緩さを心配して怯えている。この感覚は時間とともに慣れて気付きにくくなるだけで、解消はしないのだろう。

 私は人を理解して、人をより佳くしたい。でも、私のもつ感覚では独りよがりになってしまいそうだ。まずは自分を佳いものにしたまえよ。話はそれからだ。





 追記
 私が理解できる人間はいないから、私が理解できる人間を作ることが理想となっているようだ。これは愛の投影かな?
posted by clown-crown at 00:57| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月01日

人間という名のモンスター

 11月はまったく更新できなかったよウエーン。
 これからどんどん忙しくなるから、もっともっと遊べなくなるぞー。

 遊戯王のモンスターってさ、プレイヤーの心を表してるって何巻かの単行本で書いてあった。器の遊戯の心はマシュマロンであり破壊竜ガンドラでありサイレント・マジシャンなのだ。

 人間は動物ではあっても動物的ではなく人間的で、人間は人間の顔をしているのは、それは社会性がそうさせているからだ。常識やら秩序やら礼儀やらっていうのは社会を動かすためにある。意思疎通をするためにはひとりひとりの人間を均す必要があって、均すからこそ人間であるといえる。人間から常識やら秩序やら礼儀やらを剥ぎ取れば、それはモンスターだ。

 私はこれまでも自分探しなんてのはバカにしてきた。モンスターを呼び起こしてどうしようってんだ。すごくおかしいんだよ。ああ、言ってしまえばキチガイなんだ。狂っている。それが自分。それが本質。
 モンスターとは感情だから論理とは正反対、言葉とは論理の上に築かれた人工物、なので言葉で感情を丸め込むのは無理がある。他人にはどうにもできない。個の中で押し込めるしかないんだよ。しかし、できないことを欲望するのがまた人間だ。飼い慣らせない極悪モンスターほど、他人に認められて全面的に肯定してもらいたい。
 人間は人間であることに誇りをもちすぎている。危険なほどに過剰な自信だ。自分の中にモンスターが棲んでいることを知りたがらない、いや、認められない。怖いんだよ。たとえばADHDの文章を読んでいて、いくつか共感できてしまうと、恐怖する。これは自分探しと矛盾しない。自分探しに出かける探索者はゴールにお宝があると考えている。実際にはモンスターが眠っているだけなのだ。大人になるにつれ丸くなるのは、モンスターの存在を暗黙のうちに認め、自分が平凡に埋没することに安堵するからではないか。子どもの頃はあんなに、普通であることに反発していたのに。

 全員がモンスターの人狼をやっている。すでに条件をクリアしてゲームには勝利しているのに、それに気付かずに殺し合いをしている。
 勝利しているのだ。私達はてんでばらばらの個性をもった世界にふたりといないモンスターだ。だからきっと私達の幸せは別々のところにあって、そこに辿り着くだけなのだ。ひとつの幸せをみんなで奪い合わなければならないのは、常識やら秩序やら礼儀やらの均された思考が邪魔をしているからだ。感情は個に秘めよ。自分の中でモンスターを純化すれば、鋭き欲望となってほかの誰にも邪魔をされない快楽の地へと導いてくれるはず。

 その欲望がひとりでは叶えられないものだったらどうするんだろう。
 ふたりといないモンスターを探さなければならないのか。
posted by clown-crown at 02:58| パリ 🌁 | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月19日

ラウンダバウト

 ケータイにGPSがついているので迷うことがなくなった。
 電車の乗り換えもどう乗り継げば安くて早いのか一発で分かる。
 人と連絡をとりたかったら電話なりメールなりLINEすればいい。

 ひとりで不自由なく生きてゆける。歩いていて道を聞かれることはもうなんじゃないかな。誰かに世話にならず、誰の世話もしない。若い世代にはこの生き方が普通に見えている。今の時代の正しい生き方だ。

 いつでも切り離せる緩い関係だけがある。けれど、どこかで不足を感じている。まだそこまで心が適応できていない。確固なるつながりを夢想し、酸欠に喘いでいる。夢は夢、夢の中にしかないものだ。

 死の危険がなく、食べ物にも困っていない。状況は幸せなのに、満足を得られない。欲望には際限がないから? 当たり前の幸せは知覚できない。そのくせ、知覚できない幸せを脅かすリスクには敏感で、受け入れられない。

 幸せを知覚できないのをもったいないと思う気持ちが、もはや古いのだろう。どんどん幸せを取り込んで踏み台にする。そこから幸せと感じることに手を伸ばし、踏み台を高く更新してゆく。向上心、なのだろう。

 個人が幸せを追求すれば、多くの場合それは奪い合いになる。個人主義を極めた人間には他人の幸せを慮る能力がない。個人主義はこれからもっと加速する。幸せの交通整理をすべきなのだ。これは絶対に必要。

 人間の種類が増えて、全体の数は減る。
 幸せのマッチングがきちんとなされれば、減少は最小に抑えられる。
posted by clown-crown at 06:18| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月26日

他種族を殺すことについて

 韓国の犬食いを馬鹿にするやつは他国から鯨食いに文句言われてもいいんだよな?
 ってのを以前書いた(たぶん)。

 食べることと生きることの関連について『くびき りんね』という小説を登竜門に投稿している。
 収まりの悪い気持ち悪いさを読み手に感じさせる小説だった。結論は出せていない。

 人間を殺すことは違法だ。たとえ法で縛っていなくても、本能は忌避する。
 人間は豚や牛を食べるために殺す。ここにはあまり罪悪感はない。
 虫はうるさいだけでも殺す。魚は食べるためなら殺してもいいだろう。
 曖昧な線引きがたくさんある。

 人間でも虫でもできれば殺したくはない。

 命は重いといいますけれど、それは人間の命だけではないですか?

 たとえば、飼っているポチを殺せばアフリカの子供の命がひとり救えるとしたらポチを殺す?
 私だったら殺さない。人間の命はワニの命より重いけれど、殺さない(ポチはワニの名前です)。
 種族以上に、心の距離が関係している(能動的に殺すのと受動的に救われる違いもあるな)。

 心の距離。なんだそれは。

 ファンタジで考えてみよう。
 チートな主人公が豚っ鼻のオークを死屍累々にしてエルフの王女を救出する。
 どっちも人間ではないのに。悪の命は軽いのかしら?

 そもそも悪ってなんだよ。気に入らないやつのこと? 確かに「死ね」って思うことある。

 ゲームで殺戮するのはいけないこと? 実際の命はなにひとつ失われていないのに。ゲーム世界での情緒を大切にしているの?

 野生の動物はお腹がいっぱいだとそれ以上は狩りをしないらしい。本当かな。

 人間は領土を巡ったり宗教問題を起こしたりして、人間同士で戦争する。→問題の根底は別のところにありそうだ。

 人間はほかの動物に襲われることが極端に少ない。だから想像しにくい。
 殺すかどうかを判断する基準はなに? 感情かな。法律は衝動殺人の抑止に役立っているかな。「人命は尊い」コンセンサスを作る役目を果たしているね。法律がなければ殺人鬼になれる? 人間に似ているけれど人間ではない亜人なら殺せる? 言葉が通じなければ殺しやすいよね。言葉が通じると、たとえキノコでも殺しにくいな。意思疎通できるかどうかが重要なわけ? 相手の心情を忖度してしまうから? 結局、罪悪感を感じにくくしたいだけじゃないの。本来ならなにを殺しても罪悪感を感じる余地があるってことだ。目に見えない虫をつぶしてしまうことを杞憂してちゃ生きていけないわけです。生きるためには食べるわけで食べることは殺すことだし。葉を食べる野菜は殺したことにならないのかな。人間って植物に対しては虫以上に罪悪感を感じにくいよね。精進料理は肉抜き料理。かすみ食ってろ。霊が見える人──特にカルマが見える人に直接聞いてみたい。
 殺す人間は殺される覚悟をしないといけない? 捕食者の身分でも?
posted by clown-crown at 00:17| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月25日

物語の維持費

◆c > http://urasunday.com/tpwcw/index.html [2014/9/22 01:43:51]
◆c > これみんなで作ってくようにしたらいいのになんでこんなことにしちゃったんかな。 [2014/9/22 01:44:17]
◆アスロマ > みんなで作っていくようにとはどういう意味でしょう [2014/9/22 01:47:13]
◆アスロマ > 現在の投稿して投票で決めるのはよろしくないということかな [2014/9/22 01:47:46]
◆アスロマ > 漫画がソーシャルゲームのシナリオになるってあまり魅力を感じないなあ [2014/9/22 01:48:45]
◆c > ソーシャルゲームはもっとファミコンのときみたいなカオスになればいいのになー。 [2014/9/22 01:56:16]
◆アスロマ > カオスになるといいですねえ [2014/9/22 01:56:42]
◆アスロマ > ちょっと小奇麗過ぎる [2014/9/22 01:56:59]


 いくらチャットだといっても、これはちょっと散漫すぎやしないか。

 リンク先でどんな企画してるのかっていうと「世界観とキャラクタを用意しとくんで物語作ってくださいね」です。私としては「ふざけんな」です。
 ええっとですね、なにから書けばいいのかな。
 これはとある場所、とある掲示板の話です。「あなたは世界観と設定と物語、それぞれをどのぐらい大切にしますか?」ってスレッドが立った。確か、私もそのスレッドにレスポンスしたっけな。なに書いたか覚えてないけれど。うーん「どれも大切です」って書いた記憶があるようなないような……。
 大切さはどれも同じだけれど、作業手順ってのはあって、なにを書きたいのか決めたらそこから作る。
 私は物語から作る。例外を書いたことはまだないはずだ。そんな私だから「世界観とキャラクタを先に用意しといたんであとは物語だけ作ってくださいねー」が信じられない。
 物語って創作の中心じゃない? 世界観とかキャラクタって外観じゃないか! まあ商業に乗せるゲームだから外観が脆いと即死するってのは理解できるけれど。だったら白紙から作りたいな。
 骨抜きの肉を出して「さあ、あとは骨を入れるだけ」とさも準備は万端です、みたいにいわれても「骨に肉付けするほうが簡単だよ……」って思うじゃん? この喩えが通じるかわからんじゃん?
 それにさ、世界観とかキャラクタって作るとき楽しいとこなんだよな。なんで楽しいとこ取っちゃうの? そこがやりたいんだよ私は!
 特に結論を出さずに、感情的に終わります。



 ファミコンのカオスは先駆者たちの熱きソウルでした。
 アスロマさんがいう小奇麗ってのはきっと「どっかで見たことがあるゲーム」ばかりだからだと思う。個性をぶつけてくるファミコンソフトたちとは対極ですね。
 私だったら「どっかで見たことあるゲーム」って、作ってる間にパッションがなくなりそうだ。私が作る必要ないんだし。
 近頃のコピペ省エネ主義はよくわからない。老いたのだろう。
posted by clown-crown at 03:04| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月14日

星の王子さまを読んだ。

 読んだ。

 私はもう大人だったからか、わからなかった。
 小さな星を巡る話は銀河鉄道777のようで面白かったけれど。

 わからないからといってほかの誰かの読書感想文を読む気にもなれない。嫌いではないのだ。なにが大切なものなのか、という個人の主観に因るものを「こうだ」と言われたくない気持ちがわだかまっているだけだ。

 そう考えると、私は子どもの頃の気持ちを忘れていてわからないんじゃなくて、私は独自に別のものを導き出しているから星の王子さまを受け入れられない。のだ。

 なんとなく、星の王子さまは読んでおかないといけない気がして読んだだけ。
 今まで読んだことがなかったから。

 本当はSFものが読みたかったのだ。
 存在しない世界の根底から語るようなSFを。
posted by clown-crown at 22:50| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月17日

楽しい戦い(?)

 RPGのキャラクタのパラメータって多いよね?
 と、藪から棒に同意を求めるclown-crown(仮)。

 HPでしょーMPでしょー攻撃力にー防御力ー、素早さとかー器用さとかー、あと運のよさとかもあるよねー。まーここまではよくパラメータでー。クリティカル率とかあるのもあるんだよ。で、クリティカルは攻撃力の何倍かってのを決めるパラメータとかあって、なんかぐちゃぐちゃよね。結局、重要なのは攻撃力と素早さだったりして。じゃーほかのパラメータはなんのためにあるんだよー、と憤慨してみる。

 攻撃力は物理攻撃力のことで、魔法攻撃力とか魔法防御力とか分けられてるのもあるね。すごい。もっとすごいのは各魔法ごとに抵抗値があったりする。火魔法の抵抗値が高いと夏でも快適なんだろうか。

 抵抗値をたくさん作るんだったら、それよりHPをたくさん作ったほうがリアルじゃないのかな。
 人間にはいろんな死因があって、それぞれからダメージを受けるけれど、そのダメージを受けるのはHP一本ってのはなんだか腑に落ちないのよ。HPが100として、殴打で腹に20ダメージ与えて、切創で腕に20ダメージ与えて、火魔法で20ダメージ与えて、水魔法で20ダメージ与えて、毒で20ダメージ与えても生きてる気しない? 致命傷の1/5を5回だけれど、それぞれ違うダメージだったらなんとかなりそうじゃない?

 ゲームの面白さとしてもさ、勝利条件(敗北条件)が複数あったほうが戦術を考える余地があるんじゃないかな。カードゲームなら、相手のライフポイントを削るのが定石なんだろうけれど、山札切れを狙うこともできる、みたいな。

物理体力:100
熱体力:100
冷気体力:100
毒体力:100

 熱体力と書いたところで思ったけれど、0-50みたいな帯域があって、そこから外れると死ぬってのもいいかも。すべての体力がまったくの無関係ってのも変だから、各体力の積が総合体力とするのもいいかも。

 人間って絶妙なバランスの環境で生きてる。熱だけじゃなくて、酸素濃度とか、重力とか、あとまあいろいろあるんじゃないかな。なにがいいたいのかよくわからないね。私もわかってないよ。
posted by clown-crown at 04:39| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月15日

欲望を使う

 眠れない状況であるときこそ眠い。

 布団に入ると眠れなくなることってよくありますね。
 いつでも手に入ると思うと、なんとなく手が伸びなくなってしまう。あんなに欲しがっていたのに。長編RPGでラスボス前にゲームをやめてしまうのも同じかも。セックス依存症の男も、女を口説き落とすまでは性欲が高まっているのに、いざセックスとなるとやる気がなくなるのだとか。

 想像力のせいかな。
 自分はこうしたい!と思うと、それに対する期待が高まる。幾多の困難を乗り越えて、その頂きに眠る宝物を手に入れる。宝箱を眼前にしたとき「本当にいいのかな?」と思う、確かに幾多の困難を乗り越えてきたはずだけれど、乗り越えた今となってはそんなに大層な努力ではなかった気がする。宝箱を開けたとき、その内容が想像していたものと違っていて小さな落胆を覚える。開けなければよかったとさえ思うかもしれない。多くの場合、いや違うな、どんな場合であっても、夢がその興奮のまま手に入ることはない。こんなものかと思ったり、予想を大きく外していたりする。それなのに現象として夢は叶っている。

 想像が間違っていて、そしてそれは正しい。
 夢が想像のままであったなら、満足してしまうだろう。満足したら、その先はない。手に入れた夢をずっとループさせ続けるだけ。だから不完全であることを楽しむ。夢見ては失敗し、夢を叶えては別の夢を見る。夢を叶えるよりも夢を見るほうが楽しいのだと気付いた。
posted by clown-crown at 16:29| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月17日

男女間のメール

 ありのーままにー恥ずかしいこと書くのーよ。

 ネットでは女は女というだけで声をかけられることが多いようだ。ネットは基本的に匿名であるのでストリートナンパよりも難易度が低い。女であればモテるのである。ではなぜ「モテない」などという女がいるのかというと、モテの基準が違うからである。知らない男から言い寄られてもそれは『迷惑好意』なのであってモテているとは認識していないのだ(うまいこと言った)。
 男は違う。誰だろうと告白されたら妄想を広げてしまう。「美人だったりして」「いや、文章からしてかわいいタイプだ」「……えろいかな?」。男は種を蒔ければいいから女であれば誰にでも惚れるが、女は子を産まなければならないので男を選別する、だなんて説を聞いたりする。現象を後付けで説明するのだから理由はなんだっていいのだけれど、私は別の理解をすることにしている。
 私いわく「女は本能的に運命の人を待っている」。まるで少女漫画のような台詞ではあるのだけれど、私の観察した範囲ではこの解釈がもっとも即している。

 (さて、なにから書けばいいのだ?)

 女は男を見るとき、恋人になりえるか否かの判断をしている。そして、一度下された判断はなかなか覆らない。女は感情に生き、女の感情は粘性だ。さらにそして、女は自我が少ない。恋人になりえるか否かの判断は簡単なものだ。とりあえず普通であればよい。

 比較のために男の場合を書いてみよう。
 判断開始──「恋人? そんなことよりセックスしようぜ」──判断終了。これはジョークですけれど、それほど間違っていないジョークです。真面目にはいえぬ真理もあるのじゃ。男は性欲が強いから、まず性欲を満たさないと正常な判断はできんよ。セックス後の男の態度こそ愛のバロメータ、ってわけでもないけどねー。それはガセだ。性欲を満たせば睡眠欲が襲ってくるわけで、その本能に抗って終わってからも甘い言葉を吐くやつは女遊びの激しい男だけだろ。
 セックスと聞くとあからさまに嫌悪する人もあれど、メイクラブといわれるだけの行為だと私は思うよ。セックスを通して相手が見える。

 男は釣った魚に餌をあげない問題ってあるよね。私がいま作ったから、いま生まれた。
 「セックスしたら男が素っ気なくなった。私の身体目当てで愛はなかったのね!」と思う女が意外に多いようだ。素っ気なくなった、というのはメールの頻度が下がったとかなんとか、そんな現象を指しているらしい。それは逆だと思う。愛されてるよ。
 いいですか? 男が女を口説くときはセックスエンジンを使っているのです。「セックスしたい!」という強い気持ちです。これは女には想像だにできぬ無限大パワーです。このセックスエンジンを使ってうおおおおおとがんばるわけです。すごくがんばってます。どのぐらいすごいかというと「女のつまらない話でもうまく相槌を打ち、まるで盛り上がっているかのように会話せしめる」程度の力です。さて、セックスするなりお付き合いの契約を交わすなりして区切りをつけると、セックスエンジンはお休みです。いつまでもそんなものを使っていたら最悪死ぬ。これからは永遠を共に過ごすのであるのだから自然体で愛し合うのです。つまりだ! 素っ気ない行動は愛が冷めたわけではなく、いままでがむしゃらなやり方をしていたのを通常運行に戻しただけの話なのだ。
 それがわかってても愛されてる実感がほしい女がいるよね。「それでも運命の人なら私を満足させてくれるはず!」。そういう女を騙してくれる男はいくらでもいるので浮気したらいいと思うよ。バレない限りは。

 (なにが言いたいんだよ)

 そうそう、運命の人はいないっていう話だった。理想像をもってても、それにピチッとはまる男なんていませんー。眠ってなんていまーせーんー(ネタが古い)。
 仲がいいカップルっていうのは、お互いが理想像になったカップルですよね。理想像から恋人を探すんじゃなくて、恋人が理想的に見えてくる。愛の力ってそういうものよね(はぁと)



 恋愛経験ゼロのくせによくこういうことが書けるな私は。
 分析ばかりしてても恋人はできないのにね。
 穴はいっぱいあるだろうから、そこんとこは大目に──いや、生温かい目で見ててよ。
posted by clown-crown at 01:38| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月10日

Mのきもち

 マゾヒストのことだよ。

 SとMは表裏一体というのに、なんで私はMの気持ちがわからないのか、うーんうーん唸って頭ン中ぐるぐるしてMの人に聞いてみたりして少しずつわかってきた気がするよ!

 コミュ障だからさ!

 コミュ障コミュ障って免罪符のように安売りしてるけれど、あれホントは人見知りじゃなくて空気読めない人を指すらしいね。でも私は人見知りの意味で使ったよ。マジメ系クズって言葉もあるよね。これもだいたい似たような人間を指すんじゃないのかなあ。しゃべらない人間はマジメに見えるね。

 話が逸れたな……。
 コミュ障ってのは字面の通り、相手に伝える能力が働いてないだけで、考えることはちゃんと考えてるんだよね。なんでそれを出さないのか。そりゃ気質的に無理ってことなんだけれど、その気質ってなにってこと。

 自信がない。これがいちばん大きい理由だろうな。自分に自信がないから、自分のことを表現できない。否定されたらどうしよう、嫌な顔をされたらどうしよう、間違ったことを言っていたらどうしよう、とまあそんなことを考えてしゃべれなくなってしまう。しゃべるってのは賭けだ。しゃべると好感度パラメータが上下する。しゃべらずにやり過ごすのも一手ではあるけれど、なにもしないとじわじわ蒸発するものさ好感度ってのは。

 コミュ力がない。自信がなくてコミュ障になると、しばらくしてコミュ力がなくてコミュ障が進行する。当たり前だ、経験値が獲得できないんだから。コミュ力がなくてコミュ障になって、コミュ障だからコミュ力がないのだ。

 めんどい。うん、めんどくさがりなんだ、すまない。私だってちゃんと人間らしく振舞っていた時期もあった。でもねー、なんだろうねー、あれねー、スイッチ入れっぱなしってのはエコじゃないんだよ。私は人間初の省エネ大賞受賞を夢見てるんだよ。怠惰スーツほしい。

 Mの話しようとしてたら、欝っぽい話になってたねえ。でもこれ必要な話なんで、カットできない。

 必要なのは、私がめんどくさがりってことなんだよ。

 私はねー、あんまり人間っぽくなろうと努力してないんだよね。人間っぽくっていうとわかりにくいかな、どうだろう? 普通っぽくっていえばわかる? いい人になろうと思ってがんばったら精神科医にかからないといけなくなるような、根が悪い人間なんだよ。ひゃはは。

 人間ってホントにおしゃべりが好きか? めんどくさい人間関係を捨てられなくて間をもたせてるだけじゃないのか? 仮におしゃべりが好きなんだとしても、それは自分の話をしゃべりたいだけで、相手の話なんてどうだっていいんだろ? ああん? 素直になれよ。

 みんな人間の皮をかぶってるんだよ。真の人間なんてどこにもいないのに、みんなそれをお手本にして、自分が人間なんだと思い込ませて生活してる。ホントに人間なの?

 ド底辺のクズじゃないの? 虫けらにも劣るゴミでしょ? 澄ました顔で、ホントはぐちゃぐちゃな脳みそを抱えてるんでしょ? つまらないプライドにすがり付いてなんとか生きてるだけの愚物なんだろ?

 私は、そういうがんばりがない。がんばりなんてめんどくさいからしてない。素ってわけでもないけどね。

 Mっていうのは、がんばってる人なんだろうね。がんばっている状態が常態になるようにがんばっていて、ひたすらずっとがんばっていて、ずっとずっとがんばり続けてきた、もう当たり前になったがんばりをでもどこかで誰かに認めてほしくて、「私の前ではがんばらなくていいんだよ」とがんばらない自分を認めてほしい。そんな人。
posted by clown-crown at 00:02| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月07日

オラ東京さ行ってきただ

 モノノケ市というイベントが東京で開催すると聞いてeikaさんに「いっしょに行きましょう」と誘った。モノノケ市の開催地は京都だということが一週間前に判明する。でもまあせっかくなので東京行ってきただ。



 今回は車です。
 長距離を車でドライブするたびに痛感しては忘れるんだけれど、公共交通のほうが安価である。価格は重要な基準なので、今後は忘れないようにしたい。

 金曜夕方から高速に乗ってSAで仮眠摂り摂り土曜朝早めにeikaさんとやべえさんに合流して東京に向かいスカイツリーとすごろく屋に行ってやべえ邸で買ったゲームなどを遊びながら寝て日曜起きたら適当に帰るスケジュール。

 まず水曜にeikaさんが遊べないかもしれないと言ってきてオフ会の危機、「こりゃ中止かなー」と思いながら待っていたら金曜の5時ぐらいに「大丈夫です!」と連絡が来たので急いで出発。
 時間的にはたっぷり余裕があるのですけれど、明るいうちに高速道路の走りに慣れておかないと、またなにかやらかしそうで怖かったのです。
 そういえばなにもお土産を買ってなかったので静岡SAでお茶系お菓子をみっつほど購入する。このときに珈琲無料券をもらった。なかなか眠れないので鉛筆を買ったり、コンビニ弁当(スパゲティチキンカレーピラフ)食べたりしていた。田舎のSAはお茶がタダなのでいいですね。静岡のお茶はうまい。
 けっきょくちゃんと寝たのは海老名SAでした。その前に深海魚展示してるSAがあったけれど、あれはどこだったかな。で、やべえさんが起きたのを見計らって合流地点に到着。たまプラーザというなんだか気の抜けた駅は、時間が早いせいでほとんどのお店が始まっていない。ぼんやりしばらく待ってやべえさんと合流。普通の人でした。ちなみに私はカジュアルなスーツで……なんだよそれって、ジャケットなんだけど。ほら、ホスト風のスーツっぽいんだけれどやたらオシャレ服ってあるじゃん? あれを薄めたようなやつを着てました。長髪とあいまって音楽家みたいだと思った(個人の使用感です)。あとはeikaさんですね。早めに到着できそうとあらかじめ言っていました。私たちが合流したことを聞くとあと20分ぐらいで着くと言っていました。けれどなにか得体の知れない現象の介在により、少しだけ遅れて合流しました。ウカツ! 服装はジェダイみたいなマント羽織ってた。ライトセーバもってたら完璧だったね。

 eika ウカツ!

 スカイツリーは以前の人狼メンツと行ったときほどは並んでなく、わりとするっと入れました。スカイツリー内部では宝探しイベントが開催されていて、その暗号を解いてゆくところスカイツリーをさらに昇らないといけないことが予測されたので(上の展望階層に昇るには入場料とはまた別途お金がかかる)断念しました。やっぱり商売ですね。無料で参加できるってのは虫が良すぎると思ってたんだ! 腹立ち紛れに書くけれど、スカイツリーのお姉さんのイントネーションがおかしかったんだけれど、あれは語学に秀ですぎて日本語を使用する機会が少ない方たちだったんですかね。
 景色はよかったですよ。高所恐怖症の私は縁に身を乗り出して下を覗くなんてことはできませんでしたけれど。でも、ガラス床には立ったぜ!(謎の反発心)
 スカイツリーの根元には和風のお店が並んでいてものすごく心が惹かれました。刀風番傘とかあったし。お腹が空いててスルーだったのが悔しい。
 スカイツリー内のお店はべらぼうに高いということで、覚えてない駅で降りてなんだかよくわからない中華料理店で食べました。隣は二郎系ラーメンでした。ひとりのときはそーゆー店に入ってみたいものですね一回でいいから。私とeikaさんが八宝菜でやべえさんが麻婆茄子。中華って外れはないと思うんですよ。値段の高い店はそれなりの店構えしてるから避けられるし、量が多いことはあっても少ないことはない。味もわりと安定してる。でも、その店は外れだったかもしれない。悪く言うと同行したeikaさんとやべえさんに気を使わせてしまうかもしれないけれど。責任は店にある。味は悪く悪いというほどではないけれど、なんだか野菜くささ(きのこくささ?)が残っていたし、スープはやたら酢っぽい。白飯はうまかったのが慰め。やべえさんは麻婆茄子が辛すぎてご飯大盛りで頼んでいたのにさらに追加注文するはめになったし(有料)、それでも食べきれない辛さだった(あとで発覚するのだがやべえさんはけっこう食べる人)。これはウカツ!でしたね。

 やべえ ウカツ!

 eikaさんが頭痛がするというので薬を買ったあと(スカイツリーで昇降した気圧変化の影響か?)、すごろく屋に到着。いやあ、いろんなゲームがありますね。私はもともと買うつもりだったDixitの拡張版を買いました。拡張版なるものはひとつなのだと思い込んでいたら、拡張版4まで出ているらしい。2と3を買ったのだぜ。4は品切れだったのだぜ。拡張版にはただ変な絵の描いてあるカードが入っているだけで説明もなにもない。これは絵を買うようなものなのだ。私はそれとプラス、マスカレイドを買ったぜ。Dixitは3人以上いないと遊べないゲームで、ぼっちの私は3人以上で集まる機会がなかなかないので2人で遊べるゲームがほしかったのだ。このゲームはやべえさんも買ったので、東京の方はやべえさん邸で遊ぶといいよ。
 ゲーム内容は、誰がなんのキャラなのか確定しない状況(自分さえ)で、自分がもっているはずのキャラの能力を使ってお金を稼ぐゲームです。記憶力と推理力が試されるよ! 記憶力のない私が買うべきゲームではなかったが、いいのだ。絵がいいから(絵を重要視するclown-crown(仮)さん)。あとはブギーポップのイラストレータの人が絵を描いたUNOっぽいゲームを買うか悩んだけれど、やべえさんが買ったんで私はやめた。ほかにもシェフィとかいろいろあったね。

 歩き疲れたのと、ゲームを買っってほくほくしたのとで、足早にやべえ邸に向かうが、途中で誰も傘を持っていないことに気付く。すごろく屋の玄関前に置いてきてしまったようだ。はじめに気付いたやべえさんはウカツ!度が低くなると自分で弁論していたのだけれど、私の傘は骨が折れてていつ捨てるか迷ってた傘だし、eikaさんはビニー傘だったので、金銭損害はやべえさんがいちばんだろう。ウカツ!は免れぬ。

 c ウカツ!
 eika ウカツ!
 やべえ ウカツ!

 まあ、あとはゲーム三昧でしたよ。マスカレイドとかUNOみたいのとかドラフトワークとかアリスのお茶会とか王宮のささやきとかやりました(Dixitは本体がないので遊べない)。eikaさんはケモナーのようだ。
 夕食はやべえさんに寿司を奢ってもらって(やべえさんは1人前セットを平らげたあとサーモンとアナゴ(めちゃ長い)を頼んで、さらに海栗の炙り飯を食べていた)、帰りにコンビニで酒とかお菓子買ってまたゲーム三昧だった(やべえさんはポテトチップスもばりばり食べた)。

 私はいつの間にか寝てた。eikaさんはやはり忙しいらしく、早朝にやべえ邸を発つというので、私もいっしょに帰ることにした。eikaさんをたまプラーザまで車に乗せて。このとき私はまだ後の起こる悲劇を知らなかった!
 帰りは順調でしたね。行きは90km/hぐらいでゆっくり走っていて、帰りは平均して110km/hぐらいかな。やべえ邸はゆっくりできるし、車中も私のテリトリ内なんだけれど、それでも家のベッドで寝るに勝るものはないからね。高速道路を走っている途中でやべえさんからskypeの通知が来て「挨拶かな? やべえさんは律儀だな」と思ってそのまま走行、静岡SAで内容を見たら「eikaさんが車に置いてあった枕をもっていってしまったらしいので電話してください。090-××××-××××」だってさ。どうしたら枕がeikaさんの手荷物に紛れるのだろうか。ウカツ!っていうか、なんか次元が違うよね。まあ、温厚なclown-crown(仮)さんはそんなことで腹を立てたりせず、珈琲無料券を使っておいしい珈琲を啜りながら「じゃあ次のオフ会企画してね」で済ますスマートな紳士である。

 はてさて、注目の総合得点は。

 c ウカツ!
 eika ウカツ!ウカツ!ウカツ!
 やべえ ウカツ!ウカツ!

 さすが初代迂闊者の称号をもつeikaさんである。
 しかし、このオフ会を企画したのはそもそもモノノケ市に参加するためで、東京ではなく京都だということを1週間前まで気付かずにやべえさんに指摘されてはじめて気付くそのウカツ!さこそ次世代を期待されたウカツ!ではないだろうか。

 c +30000ウカツ!

 再計算すると、

 c ウカツ!+30000ウカツ!
 eika ウカツ!ウカツ!ウカツ!
 やべえ ウカツ!ウカツ!

 clown-crown(仮)さんの優勝である。
posted by clown-crown at 00:05| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月27日

うちの子と聞いて感じる違和感についての続き

 前回:http://clown-crown.seesaa.net/article/400229684.html

 「うちの子」以前からある似た言い回しに「俺の嫁」がある。これについて言及するのを忘れていた。
 前エントリに反響があって続きを書いているわけではないことをここに記す。

 俺の嫁には別になんも感じない。
 うん。気持ち悪い、と確か感じていたはずなのだけれど、その感情は風化した。うちの子と違って俺の嫁には明確なギャグの意識を読み取れるので、わざわざツッコまないのだ。ギャグだからツッコまないというのもおかしな話だが。そんなベタなギャグにツッコむほど私のツッコみは安くない。頭の中で「しら〜(白けているときの効果音)」ぐらいはたまに言っている。



 この話はしたっけ? 懐かしきオリジナル小説投稿サイト登竜門での話。あとがきで「未熟な作品ですが生温かい目で見守ってください」という言い回しがよく使われていた頃があった。
 誰かがギャグで使ったのだろう。そんで面白かったからほかの人が真似したのだろう(そう思いたい)。言葉になにより敏感なはずの物書きが大真面目にそんな言い回しをしていたとは思いたくない。しかし、どう考えても大真面目なあとがきで使われていることがあった。

 まあ、でも、そういうものかもしれないね。若さというやつは(煙草をくゆらせながら)。
 貪欲な吸収力こそが若人の特権なのだよ。吸収すべきか躊躇するよりも、吸収したあとで失敗だと思えば削ぎ落とせばいい。年齢を経てくると、どうしても頭が固くなって物事を受け入れられなくなるからねえ。

 若いもんの言葉遣いに難癖をつけるなんて、いかにも頑固老人じゃないか。子供が産まれたときが心配だなんて、いかにも馬鹿な大人が子供を叱る屁理屈だ。





 あれ? 反省文を書くつもりじゃなかったんだけれど、なんでこんな話の結びになったんだ。

 人間は否応なく変わってゆく。年老いる。変わらないと思うならば、それは未来予想が先行きすぎているからだ。もっと足元でピントを合わせると変化が見える。



 そういえば野次が問題になっているね。女性議員に女性蔑視の野次(「自分が早く産めばいい」「産めないのか」「早く結婚したほうがいいいんじゃないか」)を飛ばしたおっさん議員がいるとかいないとか(聞き間違い説もある)。その野次の発言元が特定できなくて「名乗り出ない卑怯者」だとか言って怒っている。「周囲の議員も野次を飛ばした議員がわかっているはずなのに告発しない隠蔽体質だ」とかも(今はもう本人が名乗り出ている)。なぜかその野次問題に田中真紀子を引っ張り出して橋本首相に「種無しかぼちゃ」と発言したことが取り上げられていたりして「男性蔑視発言では問題にならないのは性差別では」だとか言って怒っている人もいる。「そもそも野次が上がるなんて議会は小学校の学級崩壊か」も出てるんじゃないかなあ。
 なんで田中真紀子なのか知らんけど、そのときすでに田中真紀子だってわかってるんだから卑怯者・隠蔽体質とは切り分けて考えるべきだよね。で、性差別というけど、野次を取り上げてるのはマスコミだよね。女性議員は顔がいいから被害者にしとけばプロパガンダになるってだけでしょう。マスコミが橋本首相をかわいそうな被害者だと煽っても視聴率も購買数も稼げんわい。「火が着くから火を着けられる。火が着くのが問題である」ってんならそれはそうだろうねー。性差別って身近なものだから暇な人にとっては手頃な話題なんだよ。
 だからあれは田中真紀子だから問題にならなかったんじゃなくて(ずけずけものを言うキャラクタとして広く認識されていたし)、あの時代だから問題にならなかったんじゃないかと思うんだよね。今はみんな暇だから傷つきやすくなってるんじゃないかな。平和だよね。

 ということで、人間は変わる話でした。
posted by clown-crown at 03:33| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月25日

うちの子と聞いて感じる違和感について

 父母が自分の息子・娘を指し示す言葉「うちの子」。
 ペットも含めていいと思う。世話をしているのならば、子供でもペットをうちの子呼ばわりしていても違和感はない。「家(うち)の仔」。

 私が違和を感じるのは、オリジナルのキャラをうちの子と呼ぶことだ。
 無性生殖なのかな。

 なんだろうね。
 私はキャラ萌えしないからかな。すごく奇妙で不気味に見える。そりゃあさ、自分の考えたキャラクタが他人に無碍に扱われていたら腹立つけれどさ。あの人たち、親バカっていうのか、溺愛してるじゃん。それ完全に自分が一から作った存在じゃん! それ褒めるってことは自分褒めるってことだよね? ナルシストならナルシストでも構わないんだけれど、それについて無自覚なのが怖い。マジでやってるよね。



 関係あるのかわからないけれど。
 漫画の主人公の親がいわゆる毒親として描かれていると無性に腹が立つ。弱虫ペダルの母親とか。あれは別に毒ってわけじゃなくて、むしろ「ちょっと天然で抜けてるかわいいお母さん」になっている。それでも許せない。私はなにに対して怒っているのだ?
 うーん、なんか、私の頭の中では「親は正しくあるべき」だなんて倫理が存在しているようだ。
 たぶん私はわかっているのだ。私の親は全面的に正しいと思いたがっているけれど、必ずしも正しくないことを。親だって人間なんだ。間違ったことをするし、悪いこともする。子供の私は理解に抗う。マザコンなんだよね。マザコンなんだ。
 もういい歳なんだから親離れしろよ。そんで子離れさせてやれよ。



 自分の創作キャラを「うちの子」と呼んでいるのを見るたびに、私は「その人が本当に親になったときの我が子への接し方」を連想してしまうのだ。まるで自分の所有物であるかのように子を溺愛する姿。それが視えるから苦しいのだ。まことに勝手ながら。





 悪い愛もあるという話。
 それだけならささっとTwitterで書きゃいいんだけど、内容が爆発物だからこっちに書いた。Twitterでは躊躇もするけどclown-crown(仮)さんは自重しない。
 いけー! やれー!! 自覚なき変態露出自慰犯をぶちコロせー!!!
posted by clown-crown at 02:54| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月13日

当事者になりたくない

 という傾向が私にはある。

 これまではアクシデントからの回避率を極振りしていたと認識していた。その理由が見えてきた。どうやら私は私の人生において主人公になりたくなかったようなのだ。主人公は責任追及されるからなあ。

 ちょっと論理が飛びすぎてるな。文章の書き方を忘れてる。

 私がなぜこんなにも逃げ腰だったのかといえば、決断をしたくなかったからだ。アドベンチャゲームのように選択肢が出てこない現実世界では選ばないことを選べる。選ばないことによって「私は選んでいない」と責任追及の手から逃れることができるのだ。選挙権を自ら捨てるバカとメンタルが同じであるな。

 さいきんは自分で選ぶことの楽しさをかみ締めている。こんなに面白かったのか。大人というのは。もしかしたら今まで私は生きていなかったのかもしれない。人生の難易度も上がったが、この楽しさを味わえるのなら悪くない。

 おそらくだけれど、過去の私のような人間がこれから増える。冒険をせず、ギャンブルをせず、安定した人生をまっすぐ進む人間だ。それは親が決めた道だ。よく言われる喩えで面白くもなにもないけれど。親は子供に「こうしたらよかった」という道を歩ませたがる。子供は刷り込まれている。夢に向かえ、と言うんじゃない。自分で決めろ、と言っている。自分で決めたのなら安定した道も楽しめるはずだ。楽しいか?

 私はこれから、いままで顔を背けてきたことに手をつけていこうと思う。メンドいなーと思うけれど、はじめたらきっと楽しくなる。とりあえず、人間に対面してみようか。
posted by clown-crown at 02:17| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月18日

親子愛とかなんとかいろいろ

 http://kijosoku.com/archives/38363141.html

 自分がどこまで許容されるか、そのアウトラインを計りたくなることはある。
 今の私は着物で出かけることが多く、髪も金色である。これもアウトラインを知るための行動といえなくもない。世間の目は私をどこまで許容するか。

 リンク先の彼女は、アウトラインを理解する前に、向こう側に触れてしまった。彼がいい大人だったからだ。
 いい大人。いい大人は感情をあらわにしないし、感情的になりそうになっても我慢が効く限り我慢する。いい大人は我慢が上手だ。だからアウトラインが分かりにくく、ともすれば無限に許してくれるように思えてしまう。これはもうアウトラインを知りたいなどとかわいい言葉で表現すべき事態ではなく、どこまでも甘やかされたいわがままというべきだ。

 彼女の非は甘えすぎたことにある。ほかの人とは違う家庭環境・父の身体のせいで自分は特殊であると思い込んでしまった。

 彼の非は我慢をしすぎたことにある。おそらく一般家庭の父親以上に温かい家庭を作ろうとしたのだろう。理想的でない部分は自分が我慢することで無視をしてきた。我慢できるギリギリまでもちこたえた。我慢できなくなればそれまでの不満がどっと押し寄せてくる。心はそういうものだ。理想を目指さず、無理のない範囲で楽しく過ごせばよかった。聖人君子などではないことを娘に示してやれればよかった。

 ガス抜きをしないといつか必ず破裂する。
 私はいつも限界を低く見積もって行動している。このやり方がいいとは言えない。でも、そのおかげか致命的なダメージはまだ負ったことがない。
posted by clown-crown at 00:46| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月14日

なんだか自分ではないような。照れくさくて恥ずかしい。

◆ポーン > cさんオフオフレポ。 [2014/5/12 08:39:14]
◆ポーン > 豊川というお稲荷をシンボルにした観光地だった。cさんは狐面をつけて登場。 [2014/5/12 08:40:07]
◆ポーン > 長身に着物、レザーのグローブにブーツという出で立ち。面を取れば涼しげな金髪。京極夏彦や格ゲーのキャラになれると思った。 [2014/5/12 08:42:09]
◆ポーン > 部屋で甚平に着替えたらヤンキーっぽく見えた。 [2014/5/12 08:42:39]

◆さま > cさんはほとんど二次元といっていい見た目の人だった。行動も。 [2014/5/13 00:23:03]
◆さま > 大変お世話になりました。cさんの家も、豊川という町も、とても居心地がよかった。 [2014/5/13 00:24:43]
◆さま > 豊川という町・・・ [2014/5/13 00:25:55]
◆さま > あらゆる店の店先にデザインの統一された張り子の狐が置いてあるのだが、それがピテラそっくりで、それに気づいたとたんものすごく気持ち悪 いや面白かったが [2014/5/13 00:28:26]
◆さま > cさんに稲荷バーガーをご馳走になった(他にもいろいろご馳走になった) [2014/5/13 00:29:32]

 こういうのはとっておいて、いざというときにポーションとして使用する。
posted by clown-crown at 01:33| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月04日

NiToRo

 ブログ書きたかったんだけれど、書くことなかったのよな。

 創作系をこのブログで公開するっつー設定だったわけ。でも、さいきん作ってるのは小説でも漫画でもゲームでもなくて狐面だったからなー。そーゆーのはツイッターで公開してるんよ。しょうがないから性的嗜好の話をしようっかなーとか思う。

 純愛→ハードコア→猟奇→純愛。性的嗜好ってこのローテーションを繰り返すみたいなことをよく言われるんだけれど、私には当てはまらなくて猟奇をどんどん突き抜けてくのよね。先端に進めば進むほど先細りするわけで、なかなか満足が得られない。悲しいです。
 そんな中で常に一定の需要を満たしてくれるのがNTRなのさ。なんでだろう。なんでかは昔のエントリで書いた気がする。私の興味あるのは他人の思考のコントロールで、NTRはここを最高に刺激してくれるんだよね。愛と正道を捻じ曲げることほど面白い洗脳はないっしょ。
 やり方はわかってるんだけれど、私という人間の器が全然そこに足りてない。全然まったく。むしろ苦手な技能。技術は道具なのだから、いざというときのためにいつでも使えるよう磨いておかなければならないのに、駄目駄目ね。
 ブレインウォッシュ。洗うんじゃなくて染め直したい。作り変える。まずは自分をだ。
posted by clown-crown at 23:06| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月28日

右手に見えますのが血の池、左手に見えますのが針の山でございます。

「火傷がなかなか治らないなー。もう半年以上治らないなー」
 って皮膚科に行ってみたら、
「アトピー性皮膚炎です。ステロイド処方しておきます」
 薬もらった。

 これがよく聞くステロイド地獄の一丁目か!
 そういや皮膚ガサガサは身体のいたるところに散見されるのだ。肌の質感が和紙みたいなのだ。ふむ、ひとり暮らしを続けて、生活習慣が悪化し、その弊害が巡ってきたようである。昔はこうではなかった。

 薬でアトピーを根絶することはできないらしい。治すのは生活習慣。
 規則正しい生活が軌道に乗れば、また少しぐらいは無茶しても多めにみてくれるんだとか。アトピーさんが。もうずっと肉は制限しなければならない、とかにはならなくてよかったよかった。

 でもどういう生活を送ればいいのかよくわからんのだよね。医者は薬処方しただけ。
 だから検索してみたのさ。まず睡眠はたっぷり摂る。身体を温かくしすぎない。潤い絶やすな。患部は清潔に。でも、肝心要の食事療法がばらんばらんなのよね。
 肉は駄目だ鶏胸肉は食えとか、栄養摂れと言いつつ絶食しろとか、玄米を食えいいや白米を食えとか。どっちやねん。まだ治療法が確立してはいないくさい。個人差が大きいのかも。

 とりあえず健康を志向してみるぜー。
posted by clown-crown at 21:22| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月22日

帝国魔導院決闘科をクリアした

 深夜に書いたルートは使いませんでした。おおざっぱに書いただけだしね。

 データを網羅すれば3回ループでクリアもできるかもね。
 必要な技をそろえても剣術値を上げないと勝てないから、剣属性を選んだほうがいいのかな。

 シークレットエンドはノーマルエンドに大幅加筆されたものだった。
 ちゃんと伏線を回収してて安心したよ。最終的にインフレがすごいとこまで突き抜けてて笑う。



 追記
 4周目のつもりだったけど、テキストには3周目って書いてある。
 ってことは2周目クリアも夢じゃない?
posted by clown-crown at 14:04| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

帝国魔導院決闘科をプレイした

 ループものということで(つまらなそうだなあ)とやらず嫌いしていたのだけれど、もしかしたら私が求めている頭脳戦のヒントが得られるかもしれないので試した。ほとんど完璧だった。

 何度もループさせればいくらでも強くなれるけれど、頭を使えば少ないループ数でもクリアが可能なバランスが絶妙だ。
 私はゲームでキャラが強くなることに快感を見出すタイプなので、詰まるのが嫌いだ。解決までの道筋が一本でないと本来はパズルとはいわない。そこまで厳密ではなくとも、パズル的なゲームは往々にして制約が多いものだ。このゲームには脳筋な別解が用意されていて、それを選んでも失敗感がほとんどないのがいい。実にいい。

 パズルの作りこみも、とても優れている。RPGにありがちな戦闘表現を一見踏襲していながら、頭脳戦向けのシステムに書き換えている。戦闘前に使用する技をあらかじめオーダしておくことや、運要素がないことなどだ。しかし、それらはまだ斬新なシステムとは言い難い。ランナーズイクリプスに前例がある。
 特筆すべきなのはMPの概念がないことだ。これは非常に心地よかった。頭脳戦を考えるときにまず考えるのがこのMPだ。使えるリソースを枠で囲ってやれば作り手は楽にプレイヤをコントロールできる。しかし帝国魔導院決闘科はそれを排した。それによってプレイヤコントロールはぐんと難しくなっただろう、でも、プレイヤである私は枠を意識しにくくなった。難しい局面でも詰みの感覚が薄れるのだ。

 近頃の流行であるキャラ重視もちゃんと押さえている。40人登場するにも関わらず、だ。名前がないのがよかったのだろう。
 ストーリにも謎が孕んでいて、キャラやストーリといった私が気にしないポイントも作りこまれている。気付いていないポイントもたくさんあるだろう。

 17回のループでクリアした。初回攻略なので試行錯誤も混じっている。説明書を読むと、4回以内のループでクリアすると別エンディングを見られるようだ。考えてみようか。

 ネタバレするので折り畳むとする。






 舞台裏
posted by clown-crown at 01:34| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月16日

続赤白黒黄

 曖昧な情報だけでしゃべる。
 黒子のバスケという漫画が週刊少年ジャンプで連載していて、作中人物にはみな色の名前が付けられている。名前に入っている色と髪の色が一致していて、キャラ性を高めている。

 最近のクリエイタはキャラを重視するようだ。濃ければ濃いほどよい。RWBYはキャラと色を関連付けるだけでなく、シンボルまで用意している。

 なんだか学術的になってきた。技術なのだ。理論なのだ。過去の人気作を分解して、要素を取り出し、換骨奪胎。優秀な炭鉱夫がいくらでもいる。サブカルからサブが抜ける日はそう遠くなさそう。

 アニメや漫画はもう古い。
 手探りできる媒体はないものか。
posted by clown-crown at 12:20| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月09日

赤白黒黄

 REBYを観た。
 Twitterでよく話題に挙げる人物がいて、しばらくは気に留めなかったのだけれど、なにかの拍子にフックがかかり検索をしてみた。
 WEB上で配信しているアニメのようだ。トレイラは一見の価値がある。









 本編はほとんど観た。というのは、最終話のみ動画が再生できなかったからだ。
 メリケンが日本のアニメを参考に作ったらしいのことが書いてあった。だからこそいっそう彼の国のアニメは違うなあ、と思うのだった。
 日本のアニメならば、超人的主人公には普通人の語り手がいるものなのだけれど(驚き役とか解説役として)、このRWBYにはいない。キャラとしてのヘタレはいても主人公と行動を共にしているわけではないし、彼自身けっこう強い。
 凄さや詳細を解説してしまうと、次のアクションはもっと凄く!とパワーインフレが起きてしまうからかな、とか考えた(短いアニメだから尺が足りないだけかもしれない)。

 考えたところで、こういうのを思い出した。
http://alfalfalfa.com/archives/4545625.html

 ドラゴンボールを崇めて、ワンピースを腐す流れ。2chではよくある話の流れのようだ。
 私はこの比較で技術だとか才能の違いが表れているとは思わない。なにを表現したいか、それが違うのと思うのだ。ドラゴンボールはRWBYのトレイラに近い。疾走感を前面に表現している。

 そう考えてみると、解説役の有無を日本のアニメとRWBYの違いと捉えるのはもったいない。解説役がいないことで、シーンの解釈を受け手に預ける。まどろっこしいことをせずに表現したいものだけを表現する。作り手は受け手を信頼しているのだ(無責任ともいう)。
 この手法は日本のアニメだと思いつかないけれど、胎界主がそんな感じだ。漫然と読んでいるだけでは理解できない。あれは作者も、解説できるものは解説しようとしているらしいのだけれど。ナレータを使用しない縛りを自分自身に課していて、設定を言葉で書くのはキャラの台詞だけだ。

 別にこの手法が良いと言いたいわけじゃない。半端なことをやれば雰囲気アニメ・雰囲気マンガの域を出ない。

(いろいろ書いてるけれど、英語力ゼロ近似のお前だからそう感じただけだけなんじゃねえの?)
(うん。本当はRWBYもきっちり設定を解説しているアニメなのかもね)
posted by clown-crown at 23:17| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月15日

楽しい戦い(破)

 ファンタジから現代に振り返ってみると、モンスターなんていう存在そのものがイメージしにくくなってますね。散歩に出かけて怪我をするようなことはほとんどないし、あっても他種族による傷害より他人によるもののほうが圧倒的に多い。

 ファンタジの世界における冒険は自然との戦いを背景としているのかな。現代において近いのは旅行だけれど、普通の旅行とはかなり毛色が異なる。秘境を突き進む冒険をする人間なんて今どのくらいいるんだろう。そもそも秘境が少ない。旅行者目当ての地域ほど旅行者を呼び込むための施設が充実している始末です。

 ファンタジは確かに想像世界だけれど、リアルさがまったくなく形式だけが残ってゆくようではいずれ廃れると思うのです。
 面白い戦いが知略であるなら、それを表現するシチュエーションも暴力に限らないでよいのではないか。戦いではなくモンスターを開発する必要があります。
posted by clown-crown at 19:49| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月04日

楽しい戦い(1)

4gen.png

 モンスター一種につきひとつずつ図のような属性表を用意する。
 属性表は地水火風の属性を表現しており、それぞれ右下上左にゆくほど強い。図の中心は属性が失われた状態を示す。

 たとえば火の精霊サラマンダであれば、図の上のほうに初期属性がある。
 サラマンダには相対する水属性──水流魔法などをぶつけることによって無力化することができる。

 ここまでが基本形。

 サラマンダが火炎魔法を使うとサラマンダの火属性が回復したり、強い水属性攻撃を加えすぎるとフロストサラマンダに強化されるなどの頭脳戦の要素も考えたものの、体力を削るこれまでのゲームとあまり代わり映えしないどころか、手心を加えて攻撃しないといけない(ポケモン捕獲のように)ため爽快感が得られないなどの理由により没案とする。

 体力を二次元で表記することがこのアイディアの新しさである。サラマンダが地属性魔法を使って火地属性になったとした場合、水だけではなく風属性も使って攻撃しなければならない。二次元であることを活用するとこういうことになるのだけれど、その戦いを頭脳戦だと感じるかといえばそうではなく面倒くささだけを感じるのである。

 要素を増やせば戦略的になるのではないという一例かもしれない。これを考えた当時は体力と属性を統合したミニマライズの発見だと思ったのだが。
posted by clown-crown at 18:59| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ライオンにチェスで挑む

 将棋でもチェスでも、リバーシでも、バックギャモンでも、トランプでもなんでも構いません。面白いでしょうか? いくら将棋が好きでも、RPGの戦闘が将棋だったら違和感が大きすぎて楽しめないでしょう。
 竜の強さを表現するために、飛車と角行をそれぞれ最初から竜王と竜馬にしましょうか? それでは強いと思うよりずるいと思ってしまいそうです。

 将棋は没としたほうがいいでしょう。
 楽しい戦いに必要と思われる項目を挙げてみます。

・戦いの実感を得られること
・戦う前から勝敗が見えていないこと
・運の要素が強くないこと(勝因が明らかであること)
・逆転の要素があること(消化試合は楽しくない)
・相手から戦略の妨害を受けること

 ひとつ目とふたつ目はこれまで書いてきたことです。
 みっつ目は運要素の排斥です。これは強さの実感が得られにくいためです。強さの実感が得られなければ戦いの実感も得られにくいものになります。
 よっつ目の逆転要素の創出。体力の戦いは一方的であるがゆえに面白くないと論じてきました。知力の戦いでも同じならば知力で戦う意味がないのです。
 いつつ目。これはいつつある中で実質唯一の、生産的な項目です。実のところほかの項目は面白くないものを作らないための禁止事項ばかりだからです。

 ここから少しディープなゲームの話。

 ほとんどのゲームの戦いは相手の体力を0にすることが勝利条件のものばかりなので、威力の高い攻撃を繰り出すのみです。これは弱点を突くであるとか魔法の相性があっても同じです。その中でもっともダメージを与える選択肢を選ぶだけです。クリティカルや回避があればまた変わってきますけれど、それでも期待値を計算に入れれば算出できます。

 こちらの最適な行動を狂わせてくる攻撃があればいいのです。それが単調な戦いに潤いを与えます。
 魔法を封じてくる敵などいいですね。既存のゲームではこういった妨害はステータス異常という形で表現することが多いのですけれど、異常であることが常であるぐらいにもっとバリエーションを増やすべきです。いくら削っても攻撃力が下がるわけでもない体力を削ることばかりに集中するのはやめてみてはどうでしょう。

 マーガレットは戦いのあらゆる要素を凝縮して、相対的にスタンの重要性が上がったことが面白さのひとつだと思っています。

 うん、だいぶ方向性が見えてきました。
 私は正解を知っていてこのエントリを書いているわけではぜんぜんないのです。書きながら、頭の中を整理しています。
posted by clown-crown at 02:12| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ネコを食べるネズミはいない

 戦いというものについて考えているのです。
 戦いというものは戦う前からだいたいにおいて決着がついているのです。どんなに鍛えたところで鼠は猫には勝てません。

 ゲームの世界では往々にして勇者が竜を退治するのですけれど、もしも本当に身の丈が何倍もある爬虫類がいたらどんな屈強な人間でも倒せないでしょう。レベルを上げても種族の限界があります。

 ああいや、ゲームの設定に文句を言いたいわけではないのです。
 脆弱なものが強大な敵を打ち負かすカタルシスは知っています。どうしたら自分が楽しい戦いができるのかを追求したいのです。

 格上の相手を思い浮かべてください。喧嘩では百回やって百回負ける相手でも、将棋ならば十回勝てるかもしれません。頭脳戦ならばまぐれで一回ぐらいは勝てると思いませんか? 相手の集中力が切れたところを畳みかければ……何度も戦えばそんなチャンスも巡ってきそうです。

 知力は体力よりも揺れやすいのです(勝敗が生命に直結しないからでしょうか)。
 竜に頭脳戦で挑んでみるのはどうでしょう。もともと神話などでも、人間は怪物に対して戦うときは知略を巡らせることで勝利するパターンだったはずです。コンピュータゲームに移行する間に細部が削ぎ落とされ、頭脳戦を挑むことができないシステムになったのだと思います。

 では具体的にどんな頭脳戦ならば楽しいでしょうか。
posted by clown-crown at 01:01| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月24日

試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。

 【試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。/尾形真理子】よんだー。

 作家やのうて、コピーライタですとな。本をぎょうさん読んでるんだろう、下手な職業作家より上手。なにがうまいと思わせてんのか考えてみたら、きちりと問題提起してて解決も派手すぎんゆーことかな。このバランス感覚って才能でどうにかなるものじゃあるめーし、やっぱコピーライタとしての経験が生きてんのかね。
posted by clown-crown at 14:13| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月18日

筆談ホステス

 【筆談ホステス/斉藤里恵】を読んだ。

 そういえばすみ付き括弧で/入れて著者名も入れて書くのが定型だった。思い出した。
 写真を見ると本当に美人だ。聾者の自伝。

 なぜこの本を手に取ったのか。筆談でホステスをしている人の話を読めば、口下手の私にも得られるものがあるのではないのか、と考えた。
 水商売とはいえ、銀座のホステスだからあっぱらぱーでは勤まらない。男を楽しませるプロフェッショナルだと、随所で感じさせる。一流は一流だなあ。ネガティブも原動力としてうまく消化してしまう生き方だ。

 ネガティブなものを頭の中から追い出したい。
 仕事中はネガティブなことばかり考えてしまう。それを解消できなくて、ツイッターで垂れ流してしまう。ここ最近のブログもネガティブなことばかり書いているようだ。
 私は私が理想的だと思える人間になりたい。なれなくても演じるのだ。
 SMな話も書かないほうがよいだろう。SMが悪いものだとは思わないけれど、今の私には毒だ。さびしいとか孤独だとかいう言葉も同様に慎みたい。

 善人になりたいわけではなく、負担のない人格になりたい。ストレスが大きいと思考まで歪み、余計に嫌なことが集まってきてしまうように感じられる。

 理想の人間になれれば、私がいま咽喉から手が出るほどほしがっているものも自動的にもてるようになるはず。たとえば「友達がほしい」だって、無理に友達を作ろうとするより、友達にしたいと思わせる人格になったほうが長期的戦略として有効だ。

 私が生かせるものはなんだろう。
 クリエイトをしているときはわかりやすい成果物があったけれど、どうだろう。絵や文を使ってもっと積極的に誰かと関わってゆくのは?
posted by clown-crown at 23:36| パリ ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

釣りガール1年生

 を読んだ。というか、見た。漫画なので。

 ぜーんぶ漫画で描いてあるからぺらぺら読み終わった。面白みのある絵柄だったしすぐ読める。作家がちょっと抜けてるとこが親近感。女性らしく調理法にもページを割かれていて詳しい。

 釣りをやらないかと誘われたことがあったのです。やってみようかなーという気持ちはあったけれど、今までなにもしてこなかった。読んでみて、必要な道具ってけっこうあるんだなーとわかった。まるまる1日かかる趣味なんだね、うーん、気軽にはじめると痛い目を見そうだ。
posted by clown-crown at 20:48| パリ ☔ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月17日

人間に関わる・係るが人間関係

 私は寂しがりやだと思う。
 でも、好きな人には素っ気ない態度をとるのはなぜだろうかと考えて──すぐに答え出た。照れくさいからだ。
 もともと人見知りが、好きになるともっと激しくなってるような……。ふたりきりでも恥ずかしいんだよな。ツンデレにもなれないという。
 いちゃつくのが嫌いなわけではないんだがなー。むしろ、べたべたにいちゃつきたい。
 むーん。

 自分が作った自分像に邪魔されてる感じ。
posted by clown-crown at 01:01| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月13日

ああああ

 足りない。ずっと、足りない。欠乏している。
 これは刷り込みによる欲望か。
 なんだって構わない。満たされれば、それでいい。しかし、どうすれば満たされるのかわからない。
 人間が苦手だ。人間に相対することが苦手だ。私も人間なのにおかしなことだけれど、だからこそ複雑でやりにくいということがある。性格だと割り切る以外にない。割り切ったところで、満たされるものではない。満たされることを諦める方法だ。
 好かれるよりも嫌われるほうが簡単なように思えるのは、私が定石を知らないからか。私を好きになる人間がいるとするならば、その人間とどう知り合えばいいのだろう。
 漕いでも漕いでも前に進まない。大海の真ん中で途方に暮れている。



 クリエイティブな仕事はもう私にはできないようだ。
 そういった情熱は失われている。
 なにが楽しいのか、つかんでいたはずがいつの間にか手放していた。
posted by clown-crown at 02:54| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月01日

運命の愚者

 クリエイティブ行為をしようと張り切っていたら、仕事に集中できなくなった。
 そういえば、小説書いているときとかミス多かったよなーと思い出す。そうでなくともミスは多いがな! より多くなる。
 脳みそのメモリが妄想に費やされて、仕事に回らないんだよな。参ったな。
posted by clown-crown at 22:34| パリ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

世界の王

 クリエイトすることがなくなって、WEB上での人との交流が減った気がする。
 そして私はクリエイトすることを交流の手段として使えることを知った。
 だから今の私がなにかを作ったとしてもくだらない駄作になることは間違いない。

 まあでも、駄作でも作らないよりは作ったほうが面白いよな。
 復活しようか。
posted by clown-crown at 02:02| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月27日

無人島に行くとしたらなに持ってく?

 なんて話がたまにありますね。

「君を連れてゆくよ。君さえいればどこだって楽園(パラダイス)さ」
 言われた「君」も直後はうれしいかも知れないけれど、1日で飽きるよな。なんでこんなとこに連れてくんのさー、こんなとこ来るならひとりで勝手に来いよ。私を巻き込むんじゃねえ。

 それなら、サバイバルできそうな人を連れて行ったほうがいいですね。生存率アップ!
 魚捌けます。食べれるきのこの見分けられます。小屋建てられます。脱出ボート作ります。

 でも、「なに持ってく?」って自分の持ち物から選べってことでしょうね。質問者が用意してくれるわけではない。用意してくれるんだったら「100万円くれ。脱出するから」と狸の皮算用はじめる。
 そも、「持ってく?」であって「連れてく?」じゃないので人間不可だろうね。人間はものじゃないのよ! 生物だけど。動物だけど。条件に無人島とあるのだから、ひとりで過ごせってことだろう。

 まずは、それがどんな島なのか教えてもらわないと困ります。
 人がいなくても住めるライフラインは整っているのか。雨風をしのげる場所はあるのか。食べ物はあるのか。危険なものはないのか。どのぐらいの期間いるのか。帰る手段はあるのか。ないなら、最寄の人間が住む街までどのくらい離れているのか。えとせえとせ。

 いくら知識があってもゼロからひとりで文明らしいものを作るのは難しいですね。
 いまの暮らしに慣れているけれど、この暮らしは数多くのビジネス(助け合いとは言わない)によって成り立っているんだなあととみに思う。



 ちなみに、私は条件のよくわからないまま無人島に強制連行されるなら発炎筒かなんかを用意します。全力で私を助けろ。
posted by clown-crown at 02:23| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月17日

長野縦断旅行

 長野に行ってきました。唐突です。

 道路標識を見てそれっぽい道を選んでいたら辿り着けました。
 長野県長野市です。8時間ぐらいかかりました。

 国道151号線は飯田で終わっているんですね。まったく知りませんでした。よく利用する電車が飯田線というので名前だけは知っていましたけれど、飯田が長野であることも知りませんでした。
 151号線が切れたら153号線に乗り換えると長野に着くようです。

 信州新野千石平で蕎麦を食べました。手打ちではありません。竹の容器が珍しいぐらいで、特においしいということもありませんでした。
 天気はよかったです。

 飯田では151号線が切れてしまったので困りました。とても困ってしまいました。
 小さな道路なのになぜスクランブル交差点があるのかよくわかりません。豊川でスクランブル交差点といえば豊川稲荷の前ぐらいなので特別なものという意識があるのです。

 天気がよかったです。
 盆地を走っているので左右に山が見えます。この景色の中をドライブするのは気持ちがいいです。

 よく川の上にお店を並べたなあ、と伊那を走りながら思いました。
 このときの天気は悪かったです。時間も日没が迫って暗くなってきました。

 山からもやもやが出ます。川からももやもやが出ます。
 川沿いを走っているので、ずっともやもやが視界の上下を占めています。

 長野は思ったほど大きな都市ではありませんでした。
 ビジネスホテルが空いていればいいなあと思っていましたけれど、うまくいきません。疲れたので高速道路でまっすぐ帰ろうとしました。長野ICから乗り、上信越自動車道を北上しました。
 北上。

 北上してしまったことを小布施PAで確認して、中野ICで降りました。600円。
 私は高速道路に向いていないということを痛感しましたので、その後はそのまま高速道路を活用することなく、長野でなにかをしたわけでもなく、そのまま家に帰りました。

 あれは長野市から少し抜けたとこだったかな。夕食はラーメンでした。
 長野は蕎麦だけでなくラーメンもおいしい、とどっかのテレビが言ってました。言うほどではありませんでした。

 行きは有料道路を通ることはなかったのですけれど、帰りは200円の有料道路に引っかかってしまいました。そのまま走っていると、続けて400円の有料道路にぶつかりました。ほかに岐路もなく引き返すこともできないのでそのまま進みました。道路公団は私を敵に回しました。

 しばらく走ってコンビニの駐車場で車中泊しました。ジュース買っているので怒らないでください。
 車旅行ではコンビニはよく利用します。ジュースやガムを買ったり、トイレを借りたり。

 4時ぐらいに起きました。車の中ではなかなか眠れません。
 長野で夜明けを見てみたかった。雪が舞っていた気がします。

 高速道路を使わずに車旅行する上で気を付けなければいけないのは、夜間はガソリンスタンドが開いていないことですね。どこまで進むべきか判断に迷いました。というのは、長野は南下するほど田舎になってゆくのです。山道なのでガソリンスタンドどころか飲食店もまばらにしかありません。

 朝食代わりに東栄町で蕎麦を食べました。東栄町は愛知です。手打ちでした。おいしかったです。

 本当は信濃路下條で辛味大根の効いた蕎麦が食べたかったのですけれど、そのとき6時で開店が9時だったのです。



 疲れました。
 車は動くホームと考えていますけれど、それでも万全の安心感には足りません。
posted by clown-crown at 01:52| パリ ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月11日

旅行に行きたくなってきた

 旅行なんてバカみたい、なーんて書いておきながら、このエントリタイトル。

 別に見たいものや買いたいものがあるわけでもなく、どっか行きたいなーと思っただけ。
 なーんもしないとなーんも変わらないような気がして。とにかく今までやってことのないことをしたい。一人旅ってしたことないんだよね。サシオフで車中泊することはあったけれど、向こうで人に会ってたからなあ。

 あ、旅行よりサシオフのほうがしたいなー(徒然なるままに書きすぎではないか?)。行った先で楽しめないとつまんないし。
 きうりさんとこ秋田かー。遠いけど涼しそうだな。
posted by clown-crown at 22:51| パリ 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月27日

平常心を保ちたい

 ツイッターで「さいきん荒れてるね」と言われた。
 なぜそんなことを言われたのかはわからない。私が変化したのは「積極的に人に絡むこと」だけだと思っていた。しかし、そう見えるのであればそうなのだろう。
 自分から人間関係を築こうとすると、なかなか意に沿わないことが多い。手を伸ばしてもらう立場からすれば「こちらも手を伸ばすか否か」の二択だったのだけれど、自分から人間関係を築く場合はどんな人間関係にしていくのか設計する必要があった。これは今までの私は知らなかったことだ。あのときの彼らには感謝しよう。あのときの彼女にも。
 そういった苦労は見せない・感じさせないのが礼儀というものだけれど、滲み出てしまったのだろう。荒れている。



 それにしてもですね。
 友達が多い人ほど、私のやり方に批判的ようです。「友達っていうのはな、こう、作為で作るもんじゃねえんだよ。自然にできるもんなんだ」みたいな。それができたら苦労しないんだよべーっだ。

 ツイッターはフォロワーを気にしてツイートしてはダメだ、と思いました。
 リムーブ・ブロック上等! やってみろやオラ。オレのフォロワーがどんどん淘汰されてオレ専用にカスタマイズされてゆくぜ。付いてこれねえヤツは振り落とせ!
 こんな感じでツイッターを使うといいですよ。少なくなったと思ったら適当にフォローしましょう。何人かはリフォローしてくれるはずです。それでは快適なツイッターライフを!
posted by clown-crown at 19:27| パリ | Comment(4) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月23日

グラつく(グラタンは作らない)

 別に疚しいことをしているわけではないのだけれど、意識に反する行動をとっているために精神の均衡を失いがちになってグラつく(グラタンはおいしい)。
 でも私が思いつく限りで最良の方法で、ほとんど唯一の方法だからなあ。目的達成のための。

 目的の組み方自体が間違っているのかしら?
 まだ雌伏のときなだけ?
 自分にとっての荒療治?

 「近所で婚活イベントあるよ」なんて親がメールいれてくる。やめてください。

 頭こんがらがってる。
 継続か。中止か。中止したとしても、以前の自分には戻れないのだよな。ここまでぐちゃぐちゃだと誰かに相談したいのだけれど、適任者と思える方はいないぞ。困りましたね。

 私はどうもやっぱり意志力が弱いようだね。後ろ盾があれば自分の力を全開で出せるのにな。
 こんなことで悩むのって10年ぐらい遅い気がするね。大人になってから罹ると大病になるもののひとつに数えておいてほしい。恋は麻疹。
posted by clown-crown at 23:52| パリ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月19日

アームバインダー

 http://www.amazon.co.jp/dp/B006MA98H8/ref=pe_302852_34649732_M3T1_dp_i1
 これ買った。

 エネルギィを溜め込んだのはいいものの、変な方向に噴き出しています。
 いえね、前から気になっていたんです。あんがい安いな、と思ってて。このぐらいならちゃちなおもちゃだったとしても許せるかな、とか。本格的なものはやっぱり高いですしね。

 で、届きました。
 質感は悪くないです。それなりに丈夫そうだし。ベルトが肩ふたつと腰ひとつ付いていて、ここで留めます。あと、手の先にもリングが付いているので吊ることもできますね。私は身体が柔らかいので(若さアピール)肩のベルトを緩めておくならば自拘束できました。でもずっとこの体勢はキツいですね。よっぽど肩の柔らかい人でないと吊り上げるのはやめたほうがいいでしょう。肩外れるで。

 買うという経験がほしかっただけで、使用する予定はありません。自拘束で感じるマゾではないのです。
 でも、アマゾンでいろいろ見ててラバァスーツは着てみたいと思いました。私は痩せ型なのでフィット感はないだろうな、というのが悩みです。



 アマゾンのダンボールの中に「初等教育を受けられない女の子への寄付を」なんてチラシが入っていて、妙な罪悪感を感じています。
posted by clown-crown at 11:44| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。