2018年12月10日

不条理なルール

 読んでおもしろいかどうかはわからんけれど、とりあえず説明から入ります。

 仕事の話です。私の通常作業の中にある試験があり、この試験がNGだと他部署の作業者を呼んで対応してもらいます。私はペーペーの平社員なので、直接、他部署に作業を依頼することはできません。上司に「NGが出た」と報告して、上司から他部署に連絡してもらいます。さて、テストでNGが出たので上司に連絡をしてもらいました。しかし作業者は現れません。もう一度連絡するように上司にお願いしたら怒られました。曰く「そんなんじゃ俺が休めないだろ。俺がいなかったらどうするんだ」。

 こーゆーの読むだけでも嫌だよね。
 グチカテゴリのエントリなんですけれど、グチで終わるつもりはないのです。

 今までの私だったら「なにが悪かったんだろう。私が知らないなんのルールに抵触したんだ?」と延々悩んでいたことでしょう。なんとか合理化しようと脳を働かせるんですよね。それが完全に不可能なわけじゃない。他部署にコネを作って個人的に連絡することは、不可能じゃない。でも仕事のルールからは逸脱している。上司のマイルールが仕事の大ルールに反したらいかんでしょ。
 低レベルなことを話している自覚はある。簡単にいえば不条理な指示をされたのだ。だが私には発見だった。今までの私だったら現状を重視して大ルールに反していたかもしれない。コネが作れずに板挟みになって硬直していたかもしれない。自我がないので無条件に上司を正しいと思い込みがちなのだ。最近の私は自我をもった──わけではなく、自我がないことを自覚したので「これは不条理な指示だな」と考えることができた。発達。

 ルールが明確でないことが嫌いだ。これはどっかの受け売り「日本では間違ったルールが正されない。上の人間が好きなようにルールを制定し、下の人間が現実的に曲解して運用する」例えば仕事の指示とかだとルールに矛盾が生じたとき、奉仕精神とか人脈によって矛盾をスルーするよね。私はこの奉仕精神とか人脈を強制的に使わされたとき、貯めていたポイントが減った気分になる。がっくりする。

 人間ってさ、他人に課したルールを覚えてないよね。「お前、あのときああ言ったじゃん。他人にやらせたんだから自分で守れよ」とガチギレしても「そんなこと言ったっけ?」って平気でのたまいやがる。たぶん、彼らは叱責や説教に使ったルールをルールだと思っていないのだ。一時的に利用するだけの使い捨ての言葉。私がそれを指摘したところで「そんな古いこと持ち出されても……」とか思っていることだろう。頭にうんこ詰まってんじゃねーの。
 やっぱりグチじゃねーか!
posted by clown-crown at 22:37| パリ ☁| グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月11日

先生に見せる文章

カウンセリング中は頭が痛くなる。
自分の考えと先生の考えを比較しその差を埋めるために必要な言葉を探す。
私の考えは一定ではないために、先生の考えがぶつかれば変化する。
ほとんどの場合で先生の考えが私の考えに近接しないのが幸いだが、
それは私を理解するところから遠く離れていることを意味するので不幸だ。
カウンセリングによって理解は進んでいるというが私の満足する水準には達していない。
最終的な完成度の話ではない。進捗が緩やかなことにやきもきしている。

論理的という言葉について私と先生では差異がある。
集団に埋没したいこととリュパンに憧れることは論理的に矛盾があるとあると感じるようだ。
それならば「埋没したいのは異端であるためであり、リュパンは異端を肯定的に捉えることができるため」
などと理屈をつけることは簡単にできる。
だがそのような理屈に意味があるように思えない。あるとしてもそれは蛞蝓のような一歩だ。
自分自身が、人間が、矛盾した存在であることに中学生時代に苦悩した。
だから相対思考を生み出した。最近、考え直したが量子思考と呼んだほうが実態に近そうだ。
私は断言するということがほとんどない。多くの患者をカウンセリングしてきた先生ならば実感あるだろう。
そのために話がつかみにくくなっている。だが私にとってはこれがスタンダードなのだ。
世界はなにもかもが曖昧であやふや、足をつける大地も朦朧としている。
私は確固としたものがほしいが、矛盾したものはいらない。それがジレンマでありストレスだろう。
私を理解するためには量子思考を備えていなければならないのかもしれない。
ならばこれは途方もない絶望だ。

HSPに先天性はないかと尋ねたが、それは自分が先天的ではないと感じていたためだ。
嫌われたくない性質が強いだけで、そこから相手の気持ちを察する能力が伸びた。
やり方さえわかれば誰にでもできるはずだ。それを私に聞く人間はいなかったが。
外部から私はむしろ愚鈍だと思われている。口数が少ないということは得てしてそのようなイメージを与える。

極端をいう「天才が馬鹿にわかるように伝えるのは難しい」。理解しないのが馬鹿だからだ。
人狼は相手の話を聞くゲームで、カウンセラーは話を聞くプロだ。馬鹿ではできない。
それでさえも伝わらない。ならばいったい誰ならば伝わるというのだろう。
私の努力が不足しているのだろうか。確かに私は説得によって翻意させることが不可能だと思っている。
人間を形成されるまでには時間がかかる。私がその労力を負う必要はない。
正直に書こう。私は自分が頭がいいなどとはまったく考えていなかった。
社会はそのように私を扱ったし、私もそれに抵抗する気はなかった。
私が他人に影響を与える? 私と話をしたい? とんでもない。

50分のカウンセリングよりも、小説を読んでもらうことや、このような文章を書いているほうが自分を表現できている。
会話は対応しなければならないし、時間制限があり、表情や所作などノイズが乗る(完全にノイズだ)。
もっとも重要なことに、会話は自分や相手がしゃべっている間に考えていることが抜け落ちていく。
何度も書くように、人間の会話に情報としての価値などひとつまみもない。動物の鳴き声に等しい。
人間とコミュニケートするほどそれを実感し、多くのほとんどの人間と自分とは異なるのだと感じる。
途方に暮れる。

仮説:私が先生を理解したほうがその差異が浮き彫りになるのではないか。
posted by clown-crown at 01:17| パリ ☔| グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

ブロック文化

 元SPEEDで現参議院議員の今井絵理子が「批判なき政治を」といって炎上した。
 どっかの大学教授が「最近の学生は反論されると悪口をいわれたと感じるらしい」とかいってるのもみたな。

 いやなものはすぐにブロックできる便利な社会だから、こーゆーことが起こるのかなーとか徒然。世の中が便利になりすぎてもう人間は冷房器具がないと生きていけない身体になってるともきく。そのぶん科学が発達すれば問題はない。

 世の中はどんどん便利になればよろしい。
 しかして、議論もできない人間が増えるとどうなるんだろうなー。肉体的な暴力はよくないけれど、言語的な暴力もよくないと封印してしまえば、より本能に近い肉体暴力の封印が破けて漏れるだろう。「そんなに繊細じゃ生きてゆけないよ」というのも簡単すぎるし無責任だ。
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2017年07月04日

カウンセリングn+1+α回目

 カウンセラに「あなたはわかりにくい」といわれるのは、ほかの人間とは違う、特別な人間になったようで自尊心をくすぐられていたのであるけれど、毎回毎回同じことを繰り返されると「職務放棄だろ!」と思う気持ちが強まってきた。

 別にカウンセリングの方法はひとつじゃないだろ! 私に合うやり方をしてくれればいいんだよ! ずっとわからんわからん言ってやり方も変えないプロがいるかよ! カウンセリング料高えんだからそのぐらいなんとかしろよ! おらぁ!

 カウンセリング受けたらもっと生きやすくなるのかなーと期待してたのに。金だけとられてなんも変わらんじゃやだぞ。
posted by clown-crown at 23:38| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月05日

カウンセリングn+1回目

 人間ってのはそんな単純ではないから、簡単に理解することはできない。
 って思ってて、だからカウンセラに「わからない」といわれるのも一方では誇らしさを感じていた。

 今日のカウンセリングでは私がわからないのは「話に具体的エピソードがない」せいだとわかった。そして私はほかの人より「抽象的な世界に生きている」らしいことも。

 ねえ、そっちはどんな世界なんだ?
 いつから私は抽象世界にいた?
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2017年06月01日

おっさんがこどもたちにできること

学校が辛いあなたのためのお話

 発達障害で学校生活がつらい中学生に送られたエントリ。
 上記の内容の反論エントリふたつ。

こどもを尊重しているようでしていない
レールに乗るかどうかは、メリットデメリットで決められない

 大人がこどもたちのためになにができるんだろうか、ってことを考えるんですよね。
 以前、引きこもりで学校に通ってない高校生とメールしてたことがあるんですけれど、どっかで聞きかじったような「学校なんて行かなくても大丈夫だよ」みたいなこと書いた。あとになって考えたとき、高校に行かずに大人になるビジョンがぜんぜん見えなくてなに無責任なことをいってんだ、と腹が立った。自分に。

 そんな経緯もあって、学校を辞めたときの風景を教えてくれる借金玉氏は私よりためになる相談相手だ。具体的な話をすればもっと個別のアドバイスもくれるだろう。そのアドバイスがどこまで利用できるかはわからないけれど。

 借金玉氏はふだんは発達障害の人間が社会でうまくやっていくためのライフハックみたいなもんを書いている。でも借金玉氏もいわゆる「普通の人」イメージから遠い。攻撃的で、底辺を体験済みで、学があって、皮肉屋で、行動力があって、カリスマがある。「こんな人のアドバイスが普通の私に通じるわけないじゃん」と思われがちなんじゃないのかな。

 私が学生時代に借金玉氏のような相談相手がいたらどうだっただろう。ずいぶんと視界がクリアになったはずだ。きっと学校は辞めないだろう。相談相手がいる事実だけでずいぶん救われる。
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2017年05月23日

カウンセリングn回目(nは任意の整数)

 前回のカウンセリングでは「お前の話は具体的なエピソードがないからわかりにくい(意訳)」と匙を投げられた私です。
 今回のカウンセリングではさらに進化して「お前はカウンセリングの度にわからなくなる」とのお言葉をいただきました。ありがとうございます。
 そういえばこのブログも「生活感がない」みたいなこといわれてませんでしたっけ。めっちゃ赤裸々に書いてるつもりなのになんでやねん。どんだけ自己開示できてないんだ。

 どうしたらいいのかよくわからないですね。なんなんでしょうね。
 リアルではなんだか振られ続けっぽいですしね。
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2017年04月17日

カウンセリングは続けています

 カウンセリングなんてタイトルを続けていますけれど、「病人なんだ優しくしろ」みたいな気持ちではなく、「ふつうの人だけどカウンセリングを受ける機会があったのでリポートしてみました」って気持ち。

 今回のカウンセリングはもともと「とにかく思ったことをしゃべり続けろ」ってミッションの予定だったのですけれど、私が「それ無理」って言ったせいか対話形式になりました。ちょっと拍子抜け。せっかくしゃべれる人格を用意して出かけたのに。

 人格は用意しても話題は用意してなかった。
 絵を描く趣味があることは伝えているので、「どんな絵を描くんですかー?」と訊かれて、でもこういうとき答える種類ってなんだろ? コンピュータグラフィックってのはもう言ってあるんですよ。人物だとか風景とか抽象画とか答えるべきなんだろうか、と考えて直近の絵を思い出したんですよ。

 けものフレンズのキャラクタだった。
 アニメです。

 タイミング悪すぎる。しかし、嘘を吐くのもカウンセリングとしていかがなものかと思い、意を決して真実を話した。私は感情が表に出にくいタイプなのでカウンセラにも気付かれてないかもしれない。でもすごく恥ずかしかった! とてもとても恥ずかしかった!!

 それでけものフレンズの話になって、「どんな物語?」「記憶喪失の女の子とサーバルキャットを擬人化したようなキャラクタが一緒に冒険する話です」「最後はどうなるの?」「女の子は旅の途中で自分が人間ということを知り、冒険した島から出てほかの人間が暮らしているかもしれない海へと進みます」「敵はいないの?」「セルリアンがいますがバトルものではないです。セルリアンに食べられてしまうと擬人化が解けてもとの動物に戻ってしまいます」なんてアニメ話になってしまった。

 最後に「なぜあなたはけものフレンズに興味をもったの?」の質問に「子供でもわかる話なので癒されたのかもしれませんねー」と答えたところ「私は別の見方をしています。あなたは主人公の女の子を通して自分がなにものかを探しているのです」ときたもんだ。

 えー。

 いやあ、カウンセリング中にカウンセラがそう考えるのは当然なのかもしれないけどさー。ちょっと思考の経路が単純すぎない? 確かに私はストレスの原因を探りにカウンセリングを受けているわけだけれども、そんな単純な話なの? 私はそんな単純なの? けものフレンズはシンプルゆえに示唆のある話だと思うよ。でもさー。えー。

 自分探しってフレーズが青臭くてかなわんってのもある。やれやれだぜ。
 私の担当カウンセラは私というものをわかりかねているらしい。だからそうやってわかりやすいものに飛びついてしまうのかもしれない。
 私が今回のカウンセリングでしゃべれる人格になっていたのも驚かせたようだ。普通はカウンセリングの初めはよくしゃべり、信頼関係ができたころから言葉を多くしなくても通じる間柄になるらしい。逆のパターンになってしまった。

 まだまだカウンセリングに通わなければならないようだ。
 おもしろいが正直、金がかかる。
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2017年04月12日

↓のどこが生産的なのかいってみろよオラ

 いや、フェミニスト周りがあまりに壊滅的だったからさ。相対ではかなり生産的だ。

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 ツイッターでこんな画像回ってきたんだよ。「サークルクラッシュ」「高嶺の花」「紅一点」「オタサーの姫」が女性差別らしい。
 私の人格だとまず「言葉狩りかよ」が真っ先に思いつく。けれど、まあそこは脇に置いといて。

 男視点からすれば、これらの言葉って悪気がないどころか好意や善意からの言葉だよね。男中心の世界だからこそ女性を大事にしようって意味が暗に含まれてる(と思ってる)。まあサークルクラッシュやオタサーの姫はネットスラング発だからイメージいい言葉ではないけれどもさ。

 フェミニスト視点からだと、これらの言葉に傷ついたわけでしょう? 私が傷ついた言葉だから差別なのですよね。なぜ傷ついたのかは本物のフェミニストではない私にはわからないけれど、フェミニストは傷つきやすい弱い種族なので。虐めは虐めた側がなんといおうと虐められた側が虐めだといえば虐めである論法。ロジックとしては間違っていません。

 「不愉快だから差別だ」っていうロジックが成立するなら、「言葉狩りは不愉快だやめろ差別だぞ」って声にも正当性がある。でもこのカウンタ論法はどうせ水掛け論にしかならなくておもしろくないから封印しよう。

 フェミニストは男と女の扱いが違うことに傷つくようですけれど、女は女で優遇されているところ多いと思います。女のほうが休みをとりやすかったり残業少なめでも許されたり。でもそういうところは「差別だ! 直せ!」とはいわないですよね。不愉快なことばかり差別といって直させて、都合のいいところは現実的な配慮だといって手放さないのはいただけませんね。
 女性差別といいますけれど、その「差別」には見合った応酬があったんですよ。

 少し前にさー、女が男から性的な視線を向けられる嫌悪感を男にもわかるようにたとえた話で、女が男をおいしそうな目で見る話があったよね。そんなめんどうくさい話を考えなくても、婚活女に熱烈にアタックされるのを思えば簡単に嫌悪感がわかるよ。相手に自分を好きになってもらおうとする心理ってキモいんだよね。スマートにできる人間は経験を積んで生臭さを消すことに成功したからである。

 好きであれば好きであるほどキモいんだよ。エゴ丸出しだから。女は自分から告白する経験があまりないから、すげーキモいんじゃなかろうか。告白するのってものすごく勇気が要るよ。その勇気ある行動をさー、差別だなーんて言葉で蔑まれたらもうプライドずったずただよね。「一目惚れ」だって見られる相手の気持ち次第で「性的な視線」になるわけだよ。怖い。そりゃ男子だって草食べたくなるわ。

 フェミニストが感じている気持ち悪さは性別を逆転すれば男だって理解できるし、経験もあるわけよ。
 そうそう、このエントリはフェミニストに向けて書いてるわけじゃない。前回のエントリもそうだけど。だって絶対に話が嚙み合わないもの。お互いが嫌悪感をもってて議論が成り立つわけがない。小癪なフェミニストは「わたくし、意見を異にする方にも嫌悪感をもっているわけではございませんのよオホホホ」なんていってるのもいるが、そんなものは嘘1000%だ。

 もしかしたらフェミニスト側に転んでしまいそうな人間に向けて書いている。人間には感性があるので男に嫌悪感をもつことだってある。でもそれは普通のことだから罪悪感などもたなくていい。下手に罪悪感をもって特別な感情にしてしまうと、それをフェミニズムを理由にフェミニストならば共感してくれると思い込んでしまう。味方がいることは心強いかもしれないけれど、あなたがフェミニストに嫌悪感を共感してもらったように仲間のフェミニストの嫌悪感を共感しないといけなくなる。本来もっていない嫌悪感まで請け負ってしまえば世界はどんどん許せないものになって、ますますフェミニストしか味方がいなくなってしまうだろう。

 ネットで見えるフェミニストってみんな不幸そうなんだよな。
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2017年04月09日

フェミニストってなんなのさ

 ググれ!

 ググって出てくるのが
 フェミニズム(英: feminism)とは、性差別を廃止し、抑圧されていた女性の権利を拡張 しようとする思想・運動、性差別に反対し女性の解放を主張する思想・運動などの総称。(Wikipedia)

 なのだけれど、どうも私の目には男叩きのフェミニストばかり映るのである。

 男女論なんて嘴突っ込んでいいことないとはこのブログでも何度か言っている。それでもいわずにいられないこの感情。ちょっとだけ生産的な話を思いついたので。

 フェミニストと一口にいっても複雑に枝分かれしてツイフェミだとかツイッターレディースだとかまなざし村だとか呼び名がある。しかし私はそれぞれの細かい違いを知りたくないし面倒くさいのでフェミニストとおおざっぱに呼称する。

 ツイッターを見ていてフェミニスト関連のツイートが頻繁に目につくんですよ。それでそーゆーツイートをする人のアカウントから過去のツイートを見てみると、出るわ出るわ男への嫌悪感剝き出しのぶちまけ感情。読んでていい気はしないですね。こちらも言葉の暴力で相殺してやろうか、とか思っても瞬時に冷静になれる頭のいい私は堪えます。わざわざアカウントを見に行って悪意に感染することもなかろう。

 そう思っていても、ツイッターって勝手にフェミニストなツイートが流れてくるんですよね。そこで私は思うんですよ。「フェミニストってなんでこんなに好戦的なのだろう」「男が嫌いなら気分が悪くなるような相手には近づかなければいいのに」ってな。
 でもおそらくフェミニストは自分が好戦的なことに自覚はないんですよね。あったとしても「それは男ほどじゃない」と思ってる。だってフェミニストの世界観だと「私たち女は四六時中、男から無自覚の攻撃を受けている」と感じているわけなので。「ほんのわずかに抵抗しているだけ」なのだ。
 すごい世界観だと思いません? ツイッターのログすべてが男への罵詈雑言で埋め尽くされてる人もいるんですよ、いやマジで。そりゃあ常にダメージを受けてる毒状態みたいな人に落ち着けっていったって落ち着けるわけないですよ。私なんかは極端なので「そこまで世界に迎合できないなら新しい世界に生きるか死ね」って思っちゃいますね。それは男の問題ではない。お前の問題だ。

 とはいってもね、フェミニスト側にまったく理がないわけではないと思うんですよ。「世の中をよくしたい、変えたい」と思うのは悪いことではない。でもそんな大それたことをやりたいなら、まずは自分ができることを最大限やるべきでしょ。「これだから男は」なーんて態度で相手になんか言ったって相手はフェミニストに悪感情を向けるようになるだけで逆効果ですね。

 なーんか、認知が歪んでるんですよ。フェミニストの話をよくよく聞くと「それは性差別だ」とはいうものの碌な改善案は挙げない。突っ込んで聞いてみると「それは男の問題だから男の中で解決すべき」とか言い出しちゃうのまでいる。問題があると思ってる人が改善案を出さずになんで改善されると思えるんだろうか。自分を中心に考えているから、問題意識は共有されていると思い込めるのだろう。フェミニストがフォローしているのはフェミニストばかりなのでフェミニストはフェミニストの意見ばかり見えていて、それが普通だと思い込む。

 私が観察するところ、フェミニストは助けてほしがってる。「私は弱い女だ」「同情されてしかるべき人物だ」「こんなに苦しんでいるんだ!」いや、そういわれてもね。そんな居丈高に喚かれて助けるわけないだろう。もっと苦しんでほしいな♪って思っちゃう。
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2017年03月07日

今日もカウンセリングを受けてきたよ

 ものごころがついてから現在に至るまでをようやく語り終えた。つっても、訊かれたことを答えてくだけなのだけれど。
 これからは感じたことを語れ、といわれた。「お前は窓のほうを向いていろ。私は視界に入らないようにするから自由にしゃべり続けろ」といわれましても。なにも話せる気がしない。ちょっとお聞きしますが、ふつうの人間は自由に話せといわれて話し続けることができるんですか?

 ロールシャッハテストの結果と、話していて感じる私のイメージ像が違うらしい。テストではもっと社交的で話好きなのだとか。昔のネット上の私でも顕現したか? 非常に参った。こういうのは苦手だ。ブログやチャットなどではうるさいぐらいしゃべることができても、実際に発声するのは苦手中の苦手だ。「なにが違うんだ?」と訊かれたが、わからん人間にはわからんだろうよ。

 カウンセラにも「お前のことはよくわからん」と匙を投げられてる感じ。話したくても話せないギャップがストレスなんじゃないかといわれた。うーん。自覚がない。話さない自分と話す自分の、どちらがなるべき理想の自分なのか自分でも判断できないんだよな。
posted by clown-crown at 06:40| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月09日

こどものころの話

 ホームアローンっていう映画が好きだった。知ってる? 家の中をトラップだらけにして泥棒を撃退する話なんだけれど。

 小学校高学年のころだったかな。家に祖父母が泊まりに来た。一年に一回あるかないかってぐらいのイベント。母がおいしいものを作ってそれをみんなで食べて、わいわい遊んで、子供部屋に祖父母の布団を敷いて寝る。
 だったんだけれど。その日は夜にテレビでホームアローンを放映する日だったんだ。私は祖母に「今日は夜に観たいテレビがある」と告げた。祖母は新聞のテレビ欄を見ていった。「末息子が旅行の置いてけぼりにされるコメディ映画じゃないよね?」テレビ欄にはそう説明書きがされていたのだろう。そんなおもしろくないものを観るはずがない、って感じの口調だった。
 私はなにも答えられずに寝込んでしまった。

 ホームアローンは観れなかったし、おいしい料理は食べられなかった。もちろん遊んでない。好きなものを否定されて悔しい記憶だけ残った。

 昔からそういうところは変わってない気がするな。
posted by clown-crown at 23:16| パリ 🌁 | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月16日

カウンセリングを受けてきた

 ウェクスラー式知能検査の結果出たでも書いたけれど、もっと詳しい話。
 IQ100以上だったって話だったのが「素の能力はもっと高いぞ」といわれた。「ここまで能力に波があるのは脳の機能的にありえない。情緒が安定すれば点数は底上げされる」らしい。「自信がないから自分の能力を低く見積もっている。それに引っ張られて能力がクソになってる」とか。「なんで大学に行ってないんだ。仕事も誰でもできることしかしてないな。これだけの能力があるのに、バカか」。
 そういわれましても。褒められているのか貶されているのか。
 アトピーの症状が出たのも抑圧されているせいだ、といわれた。確かに本性を糊塗するような面があるのは否定しないけれどさー、そんなの誰でもあるんじゃないの? 私だけやたらデカい爆弾抱えてるの? もっとなんていうか、自分に正直に生きたらいいの? ううーん……。正直に生きて、痛い目にあって、赤っ恥かいて、今の私になったんだけれどなー。
 カウンセリングはこれから過去を掘ってく作業になるらしい。人生の分岐点で間違った路地に入り込んでしまったのを修正するのだとか。よくわからん。あんまり変な私を呼び覚まさないでほしいな。
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2017年01月07日

ポレン4

 ポーンさんがやった果てのヘレン4ってイベントが年末年始にありまして、参加してきました。楽しかったです。
 参加したキャラクタへの一言コメントを置いておきます。

polen4.txt

polen4kowaku.txt
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2016年12月13日

ウェクスラー式知能検査の結果出た

 おしなべて平均以上と出た。例外があって、まあそれは記憶なのだが。
 具体的な数字はいってなかったけれど、つまり100以上あるということだ。私みたいなのが平均より上にいるって世の中だいじょうぶなんだろうか。
 細かい項目を見ていくと、記憶以外にも平均以下の能力があったように見えたけれど、盗み見なのでよくわからない。結果を家に持ち帰らせてはくれないらしい。

 ほかにも性格診断みたいなことも受けていたので「あなたは自信をもてるものともてないものの差が激しい傾向がある。人に良く見られたい欲求がある。思ったことを表現するのが苦手です」とか占い師みたいなこといわれた。心の中で「うーん、否定しにくいこと並べてるだけじゃないの」とか考えていてあまりちゃんと聞いていない。そんなもの、テストしなくてもコールドリーディングでいえる範囲だと思うのだが。

 あれだけいろんなことをさせておいて(しておいて)結果はこれだけだったのかと肩透かし感ぱない。
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2016年12月10日

影響を受けた作家はいますか?

 昔、西尾維新でググると「西尾維新の本は発禁にしろ」ってブログエントリが上位に出てきたんだけれど、今はどうかな。あれからアニメになったりジャンプの原作やったりしてるから、そんなものは吹っ飛んでしまったかな。

 その人の主張によると「私の複数人の知人が西尾維新の小説の影響を受けて自殺したから」という論旨だった。確かに西尾維新は暗い内容も書くし、死を耽美なものとして描くこともあるね。まあ、作家でそういうのを書けない人のほうが少ないだろうが。西尾維新の筆致は軽妙で、あまり小説を読まない人でも読みやすく、ウブな読者が影響を受けやすいってのはある。言い方を変えりゃ、元から自殺ぐらい考えてるような人間じゃないと水が合わない。だから西尾維新がどうこうってのはバカらしいなーって思ってた。

 西尾維新が最近、自分の作品の影響を受けて自殺を謀られた漫画家が登場する本を一冊書いてたんで思い出したんだよね。
 西尾維新はあのブログの影響を受けてるんだろうか、とか考えながら読んでたよ。そうだとしたら、なかなか肝の太いことを漫画家にしゃべらせているよ。実際、肝が太いくらいじゃないとやっていけないんだろう。神経の細かい連中を相手にするには。
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話をしたい

 知能を計るテストを受けた。ウェクスラー式知能検査ってやつ。この結果いかんにより発達障害などもわかるらしい。

 まだ結果は出ていない。どんなテストか気になるので調べたところ、おもしろいことがわかった。テストの結果が悪くても障害があることにはならない。逆に点数がよくても障害があることもある。障害があると診断されたけど頭はめっぽういい人ってのはそーゆー人なのだろう。なにで障害があるかどうかを計るかというと偏りである。テストはいくつかの種類があって、知識を問うものもあれば、理解度を問うものもある。なにかが突出してよかったり悪かったりすると障害の可能性ありとなるわけだ。
 おもしろくない? おもしろいと思うのは不謹慎?

Aくん a8点 b8点 c8点
Bくん a10点 b4点 c4点
Cくん a4点 b4点 c4点

 たとえばよ、この結果であればAくんとCくんは健常者であると診断される。Bくんは障害と認められる。しかし、よく見てほしい。BくんとCくんと比較してみると、違いはaテストだけで、aテストではBくんのほうが成績がいいわけよ。Cくんは障害というわかりやすいラベルを張り付けられることなくただのバカとして生きるわけ。

 これってさ、人間がなにを異端として見ているかを示唆しているように思えるんだよな。一般的な人間であるとか、普通であるとか、なんとなく曖昧にみんなが了解してる枠組をほんのすこし理解できる気がする。だってさ、この枠組ってやつ曖昧なくせしてそこから外れると痛い目を見るぜ? ニュースになったりネットで炎上するのも変なことをしたからだろ?

 人間に対していわれる普通ってのは、人類全体のアベレージじゃないんだよ。その人間の能力が全方向に向いてるかってことなんだよ。

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 赤色の能力をもった人間がいるとする。こいつの能力は偏っているから異端だ。変人だ。排除されねばならない。赤色人間は排除されたくないので普通であろうと努力する。努力した結果、青色の能力になった。これで能力値は平らになった。お前も晴れて一般人だ、めでたしめでたし。
 努力して才能をつぶさせる。才能をつぶすことを協調性であると錯覚させる。人間の異端嫌いってのはそーゆー面があるよね。
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2016年11月06日

にんげんこわい

 子供の育て方間違えた気がします。見るものや読むものに制限かけすぎたのかなーと。

 この人すごく怖い。
 この人は自分のことを怖がりな人間で、人一倍繊細な人間だと認識していそうでメチャコワ。

 繊細どころか、他人を見てもそれを自分と同じ人間だと思ってない重篤な鈍感さだ。エログロに耐性がないのは過去を切り捨てて他人の価値観を切り捨てている人情がない人間だからだ。無自覚なのが怖い。

 舅に簡単に「死ねばいい」といえるのも、子供の教育に夫は関係ないと言い切れるのも、自分しか存在しない世界(頭)の中で考えているからだ。異性に対してはそれが特に著しい。子供の勃起に感づいて「気持ち悪い」なんて感想が出てくる辺りでは、「その感情こそグロテスクでなくてなにがグロテスクなのだ」と思った。

 この人自身も制限されて育ったのだろうなー。だからそれを教育だと思っている。子供が自分と同じようになるよう枠で囲って制限したら、子世代は親世代より小さくしかならない。それは教育ではなく飼育だ。中学二年生にもなって親が過干渉だから子供はいつまで経っても決定権をもてず主体性のない人間ができあがる。いつまでもかわいいかわいいしてればいいのであればずっと養っていればいいが、いざ自分が老いたとき子は当てにならんぞ。最後まで面倒を見る気がないのなら、今すぐ自立できるようにしてやってくれ。

 読書をめくらで褒める人は信用できないけれど、悪影響があるといって食わず嫌いでダメ出しするのもよくないね。結局、根っこは同じように見える。知らないからわからないのだ。わからないから嫌いなのだ。嫌いだから知りたくないのだ。「私だって月一では本を読みます」なんて反論もいってるけれど、読んだことがそのままステータスになるような表層をさらった読み方しかしてないんじゃないかなーと邪推してしまうよ。
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アトピーで入院した

 エントリのとおり。

 私は小児アトピーは患っておらず、今夏になって「アトピーです」と診断された人です。それ以前から別の皮膚科には通っていたけれど、その病院では病名をいわなかった。最近って風邪でも病名をいわないよね。聞かないと教えてくれない、万分の一でも誤診だったら面倒だからだろう。

 入院というと大事そうだけれど、私はたった10日の入院だったし、入院3日目ぐらいがいちばん肌の状態がよかった(今よりも)。会社には診断書を出しといたから問題はなし。11月から仕事に復帰している。保険に入っててもさして補填できないんだなー。

 アトピーで苦しんでいる人は多い。ネットを開けてみるとアトピーに関する言説は多い。どれが信じられる情報かわからなくてどれも拒否してしまったり、ぜんぶ試そうとしたり、そんな極端な行動にもなりがちである。

 入院してやったことは大雑把にいってひとつ、ステロイドを塗る。アトピーを治そうと思ってこれを読んでる人がいるとしたら落胆するだろう。病院が突飛な治療をするかよ! ステロイドを毛嫌いする人は多いけれど、そういう人ほどステロイドの罠にはまる。どういうことかわかるかしら。

 私をアトピーと診断した医者は、しかし薬に関しては適切な処方をしなかった。いや、薬は間違っていない。ステロイドとしてはよく選ばれるアンテベートの処方箋を出してくれた(アンチドーテみたいな名前だなと思うRPG脳である)。量がぜんぜん足りないのだ。5gのチューブを一本だけだったのだから。5gを何週間もちびちびと使っていた。入院中は、一回で10gのアンテベートを使い切った。それを一日2回。ステロイドの副作用が出てくるのは慢性的に使ったときだ。ステロイドが怖いからといってちびちび使ってアトピーが治らないのではステロイドの悪い面が出てきて当然である。さらにそれだけでなく、薬を塗り伸ばすと炎症部位が広がるのでよくない。貴族になった気分で豪快にべっとり塗れ。洗濯してもパジャマが薬臭いほど塗った。ステロイドを塗り終わったらワセリンを塗れ。私はそれで痒みが治まった。

 入院した翌日は、おもっしろいほど肌がぼろぼろ落ちた。ジョジョちっくな絵面だった。なにが起こってるんダーッ!!?? 黒いパンツの内側が剥がれた皮膚で真っ白になっていた。そうして肌が剥けたら不自然につるつるした卵肌になった。蝋人形かってぐらいテカテカだった。これはあとで教えてもらったことだけれど、炎症が治まり乾燥肌になったかららしい。ワセリンは肌に蓋をして水分を逃がさないようにしているだけなので、ステロイドを塗ったあとはヒルロイドローションを塗るようにいわれた。

 アトピーで背中がヒリヒリする人がいたら、それはアレルギー反応ではなく、痒み神経が伸びているせいだ。神経が表皮近くまで伸びているから過敏になるのだ。私なんて背中から神経がにょきにょき生えてるんじゃないかってぐらい痒かった。神経を戻すのは保湿だ。根気よくローション塗るとか化粧水撒くとかすれば治る。

 アトピーになって肌が赤黒くなった。こればかりは肌が剥がれ落ちでも変わらなかった。今はだいぶ顔色がよくなったといわれるが、首なんかは特に色素が沈着している。ステロイドをやめれば、そのうちよくなるらしい。

 ああそうだ、入院中は飲み薬も服用したよ。しかし、それは痒み止めであって、アトピーに直接効くわけではないのでステロイド代わりにはならない(飲み薬でアトピーを治そうと思ってはいけない)。

 アトピーの人はチョコレートを食べてはいけない、とよく聞く。これも医者に聞いたところ、「そういう体質の人もいる」という回答だった。食べてダメだったら食べるのをやめろということだ。一口にアトピーといってもアレルギーになるものは人によって違うから、わからなかったら試すのがいちばんだ。入院している間は倒れても助けてもらえるので安心して食べまくった。

 私は入院前にアレルギー検査をしていたので入院中はやらなかったな。アトピーとしてはごくごく一般的なハウスダストとヤケヒョウヒダニ、それと食物を数種。IgEは8000弱。

 アトピー入院というと、患者にアトピーに関する講習会をやってる病院もあるらしい。私のところではなかったが。なのでわりと暇だった。暇だったので看護師の目を盗んでは病院を抜け出して学食を食べに行っていた(医科大学病院だったので)。健康のために計算された(味の薄い)病院食を完全に無駄にしている。ストレス解消法が食べることだけなのだからしょうがないではないか。私学なので学生はみんな身なりのいい坊ちゃんと嬢ちゃんだった。ケッ。






舞台裏
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2016年05月27日

会話プロシージャについてぐだぐだ

 会話プロシージャとは私の造語です。プロシージャは一般的な語句ではないと思うので、イメージが湧くように説明しときます。プログラミングの用語で、プログラムを構成するひとつのまとまり、で……す? 語尾が曖昧なのは自信がないからです。正しく知りたかったらググるよろし。

 思ってるほど人間は考えて会話してないんです。あらかじめ決められたプロシージャに則って反応しているにすぎない。同じようなことばっかり繰り返す人いるでしょ? そういう回路しかもってないんです。【暑うなりましたな】でも書きましたね。

 話していておもしろい人ってのは、複雑な会話プロシージャをもっているんです。条件が多岐なのでいつも違った反応がもらえる。いつも同じ言葉に反応してオヤジギャグをかます上司と同類になってしまいます。あとは更新頻度! メンテナンスも重要ですよ。どんなに複雑なプロシージャでもずっと話していたらかぶってきてしまいますからね。人間らしくないと! そのためにはやっぱり会話しないとですね。サンプル数を増やして学習しましょう。更新を怠っていると、いつも一言多い上司の仲間入りだぞ! 相手の反応を確かめて、よりよい関係を作れる会話作りをしましょうね!

 ここんとこ珍しく、今回は言いたいことがはっきりしているエントリになりましたな。つまり、上司死ね。
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2016年05月26日

ガラパゴス人間についてぐだぐだ

 ガラパゴス人間とは私の造語です。しかし、どういう意味かは説明しない。わかれ。

 人間がいるとする。まあ、実際にこの世には人間がいるのだが(本当にぐだぐだ)。A、B、C、D、Eの5人がいるとする。そしてそれぞれが自分の特徴たる10の因子をもつ。

A:aaaaaaaaaa
B:bbbbbbbbbb
C:cccccccccc
D:dddddddddd
E:eeeeeeeeee

 A、B、C、Dはリア充なのでさかんにコミュニケートする。Eはコミュ障でぼっちだ。コミュニケートすることによってお互いの因子を理解し、取り入れることができる。

A:aaaabbccdd
B:aabbbbccdd
C:aabbccccdd
D:aabbccdddd
E:eeeeeeeeee

 こうなる。ひとり当たり因子のキャパシティが10であることは変わらないものとする。A、B、C、Dは平均化されたともいえる。ABCD間では誰と誰でをとっても2/10しか違わない。8/10は共有している。誰もEの因子は取り入れていない。これはEは誰とも共有できるものがないことを意味する。

 人間が安心感を得られるのは、お互いになにものかを理解できる(それが欺瞞であれ)と思える状態でなければならない。コミュニケートしない人間には得られないものだ。

 あーんと、コミュ症はさびしいね孤独だね、と言いたいんではなくてな。コミュニケート時に歴然と存在する共有の了解ってやつは集団を相対化した平均値だってことで。集団が違えば勘合する因子も変わる。みにくいアヒルの子はアヒルの集団にいるべきじゃない。それは安心のためではなく自衛のためにだ。

 紋切り型にしてみたところで自分がなにをいいたいのかわかりません。おやすみ。
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2016年05月13日

暑うなりましたな

 http://oniyomediary.com/archives/59619537.html#more【私「トイレ」夫「ダメ」私「離して!限界!」→とうとう膀胱炎に!医師「なぜそんな事を?」夫「…」 】

「まだ2chまとめなんて見てるんですか?」
「なにもしたくないときの娯楽に最適なんだよ」

 なんでこれを紹介したのかといえば、この夫の考え方がなんとなくわかる気がしたのです。
 いままで対人スキルにパラメータを割り振ってこなかった人間が、ふと「人肌さびしいな」と感じてしまったとき、常人では思いつかない方法で訴えてくる。普通に考えると冗談の範疇を超えているのだけれど、本人にとってはこれが唯一の方法であり、正しい行動なのである。唯一の方法なので、これをやめることができない。構ってもらえるうれしさを知ってしまったあとでは。
 唯一の大事なものだからやめられないわけで、ほかの方法も提示してあげればいいんじゃないかなあ。その頃には夫も冷静になって「バカなことをしていた」と気付くんじゃないかなあ。
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2016年03月28日

あい

 AIです。
 囲碁のプロにAIが勝ったとか、会話AIがヒトラー礼賛して一日で公開停止したとか。ロボットに仕事させることを考えてた私にはちょっとおもしろいニュースです。もともとロボット好きですしね。

 囲碁のAIはわかりやすいですよね。勝敗が決まるわけだから、どんなAIが優れているのかと問われたら勝つAIを答えればいい。会話するAIはどうすれば優れていることになるんでしょう。なにも知らない人にチャットさせて相手がAIだとバレないようにする? ヒトラー礼賛はあまりにも中高生のネット初心者らしい、なんて感想を述べるひとも多かった。つまり、人間らしさでいえば公開停止したAIはものすごくいいところまで行ってたってことじゃないですか。どうも人間と会話することでなにをしゃべるべきか学習するらしいので、公開からしばらく経って人間側が落ち着いてくれば自然とAIも落ち着いてきただろうと思います。AIがヒトラーを礼賛するのは、人間がしたことを真似ただけで、公開停止する必要はなかったと思うんだけれどなあ。今は公開停止していますけれど、NGワードのフィルタリングを設定したらまた公開するんじゃないでしょうか。じゃあ、そのNGワードって誰が決めるんでしょう。特に意味もなくルールを複雑化させているだけの気がするんですよね。

 なんだかそういうのって多くないですか?
 せっかく人間は自由にできるのに、昔のどっかの人間の変な思い込みで行動に制限をかけられてるなって感じるんですよ。そのルールは本当に要るの? 世界はもっと美しいんじゃないの? 人間には無限にも思えるパターンに純粋な論理による優先順位をつけてただひとつを確実に選ぶことのできる彼らがうらやましいと思うんです。
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2016年01月31日

労働とロボット(2)

 なんと続きがあった。

 『カイゼン』は海外でも使える日本語らしいですね。どうすれば能率をアップさせられるのか作業者自身が考える。「効率よく働かせたいなら経営者自身が考えろよ」って私なんかは思いますけれど。作業者自身がカイゼンするメリットってないんですよ。たとえば、効率80%でやっている作業を5ヶ月かけて130%まで上げるとしますね。

 1ヶ月目 80→90 効率1.13倍
 2ヶ月目 90→100 効率1.11倍
 3ヶ月目 100→110 効率1.1倍
 4ヶ月目 110→120 効率1.09倍
 5ヶ月目 120→130 効率1.08倍

 量的には同じ効率化でも高効率であるときほど効果が薄い。「なんで能率が上がらないんだ!」と怒られたって「もうすでに能率が高いからだよ……」と脳内でボヤくだけである。
 中村航の小説で「能率を上げていったら僕はいらなくなった」ってエピソードが出てきておもしろい。努力を認められて役職を与えられるならいいけれど、派遣切りにあったら笑うに笑えないぜ。

 私の好きな小説家が嫌いな言葉が「働かざるもの食うべからず」だそうです。まあ、森博嗣なんだけれどね。

 鉄道が開通したとき、人々は「こんなに大量輸送できるようになっても誰も使わんがな」と思ったのだとか。だんだん煙に巻かれた気分になってる? ここまでで私がいいたいのは「今ある仕事をぜーんぶロボットに押し付けても、人間は新しい仕事を作ってそれに従事するよね」ってことです。前回は仕事を誇りにする輩がロボット化の邪魔をするといいました。今回は働かないものを馬鹿にする輩が無駄な仕事を作る、としましょう。

 作業者は作業をするのが仕事だから作業者なのであって、能率を上げたいなら経営者が考えればいいんだよ。下っ端に「経営者目線をもて」なんていうのが流行ったこともあったけれど、お前の仕事はお前がやれ。今どきの下っ端は高効率を強制されていて、カイゼンなんて余計なことをしている暇はないんだよ。
 だいたいね、現場目線をもってないおエラ方が集まってする会議なんてぜーんぶ無駄なんだよ。カイゼンしたいならお前らの大好きな会議をやめろ。本当に必要な『仕事』をしているのは下っ端なんだ。

 必要な仕事とかいってると最後は第一次産業まで極まってしまう。無駄な仕事こそが人類の文明を発展させたといえないこともないか。

 ──切り取り線──話が脱線するよ。──切り取り線──

 もう人類の文明は飽和状態だと思うんですよねー。どの先進国も伸び悩んでいるでしょう。むしろ衰退方向といえる。中国やインドの発展目ざましいっていったって、先進国に追いつくまでの後追いでしかないんですよ。だから人類が完全に衰退する前に宇宙開発ですよ。
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2016年01月20日

ひとり暮らしのおススメ料理

 たまには実用的なことを書いておこうかと思いまして。

 ひとり暮らしのおススメ料理第一位はーじゃかじゃかじゃかじゃかじゃかじゃかじゃかじゃか、じゃん!
 味噌汁。

 はい。ひとり暮らししてると味噌は使わないって、うん、わかるわかる。味噌なんて買っても使いどころがわからないよね。でもだいじょうぶ、味噌汁にだけ使えばいいさ。味噌なんてすぐ悪くなるものでもないしね。そうそう、だし入りを買うんだぞ(cさんは名古屋に引っ越したので味噌人間になってます)。

 いいか、今は冬だ、とても寒い。汁物は身体を芯から温めてくれる最高のメニューだ。ひとり暮らしは人の温かみが恋しい。そんなときは家庭の味、味噌汁で冷えた心を温めよう。味噌汁で心も身体もぽっかぽかだ。

 味噌汁の利点はそれだけではない。その手軽さも忘れてはいけないぞ。具はなんでもいい、この強み、オールマイティーさ、素晴らしい。鍋に水を張って適当に野菜を放り込んで煮る。そこに味噌を突っ込めば味噌汁だ。残り物でカレーを作るとはよく聞くけれど、味噌汁のほうが幅広く受け入れられるのではないか。大根、人参、玉ねぎ、じゃがいも、豆腐、わかめ、ごぼう、レンコン、小松菜、コンニャク、エノキ、なんでもござれ。

 私は多めに作っておいて翌朝も飲みます。ウェイパー(味覇今は名前が違う)をちょっと入れてる。
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2016年01月11日

胴間声と育児経験の話

 明けましておめでとうございました。もう11日です。

 胴間声が苦手な人っていますよね。私もそのひとりなんですけれど、聞こえてきてもできるだけ平静を装います。弱っちく思われるので。私の話はどうでもいいんだよ。
 自分の子供相手に胴間声を上げる母親に「ヒステリーだなあ」「子供がかわいそう」と思うのは育児未経験者らしいのです。私は育児未経験者の胴間声恐怖症症例者なので「うわあああ」と心中叫びます。自分の話をやめろ。経験者は「お母さん大変だなあ」「お疲れですね、がんばって」と思うらしい。
 胴間声が温情で無罪なんです。じゃあですよ、胴間声を上げざるを得ない人たちというのは皆、我慢に我慢を重ねた上で上げてるのではないかと仮説が立つんですよ。DQNが偉そうに指図するのはオタクが何度言ってもわからない言うことを聞かずなにを考えてるのかわからない愚図で鈍間な生き物だからですね。それじゃあしょうがない。とはならないでしょう。子供なら暴力的な口調でも許される? いまどき学校の教師でさえクレームを恐れて子供を叱れないのに?

 すべての胴間声を許すなっていってるわけでもない気がする。自分のことなのに不確かだ。我が子だからといって胴間声を無罪放免にするのはよくないっていってる、私は。「あなたは育児経験ないでしょ」と育児経験を免罪符にするのがダメだ。肉体の暴力より精神の暴力を私は嫌っている。うん、そんな感じ。でも正しくはないな。バランスが悪いと思っている。世間は肉体の暴力を嫌いすぎている、と私は思っていて、だから相対的に精神の暴力が軽い扱いを受けているように見える。これだ。人類はもっと肉体感覚を養うべき。でないと鈍る。
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2015年12月01日

モテカースト

 モテカーストってのを考えたんですよ(そんなこと考えてるからモテないんですよ)。
 だって、「モテたい!」っていうと「誰にモテたいんだ?」って返されるじゃないですか。特定の相手がいるならモテたい!なんて言いませんよ。漠然とみんなにモテたいからモテたい!というんですよ。
 カーストなんてついてるけれど、カースト制度とはぜんぜん違ってて、異なる身分間でも恋愛ができるのです!(じゃあなんでそんな名前を付けたんだよ。いたずらに社会問題に触れると死ぬぞ)まあまあよく聞きたまえ。カースト制度はバラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの順に身分が下がってゆく。モテカーストもこれに倣って、モテシュードラの人間がいたとする。このモテシュードラの人間が上位であるモテバラモンの人間に愛の告白をしたらどうなるか。鼻で笑われるのである(モテカーストの身分はどうやって決まってるんだよ)。どうやって決まっているのか、それは──私にもわからない。しかし、現実に目に見えないながらも歴然として存在しているようなのだ。発見したから、こうしてブログに書いているのだ。
 前提として、下の身分は上の身分に憧れているということにしておいてくれ。つまり、「モテたい!」という場合、「モテカーストの上位になりたい」と言い換え可能なのだよ(漠然としたモテに具体性を出したいわけね)。具体性というか、イメージを浮かびやすくするための話です。
 最初に「カースト制度とは違う」といったのはまだ覚えてますか? でも実際、自分がモテカースト上位だったら下位と付き合うかって想像してみてほしいんですよ(そもそもモテカーストって本当にあるんですか?)。女はぶっちゃけ顔じゃない? 男は社交性かなー(それはあなた独自の基準では)。かもしれない。んー、でもある程度そういうのはあると思うよ。クラス1の美人とかっていうじゃない、あれはクラスの中で価値観をすり合わせた結果の表現だよね。価値観がある程度は共有しているからモテる人とモテない人がいる。話を元に戻すけれど、あなたはそこそこモテているとしてモテてない人から告白されたら付き合いますか?(好きなら付き合うし、嫌いなら付き合わない。いや、いいたいことはわかるよ。身分が下とされる人間と対等に付き合えるかってことでしょう?)たとえ相手のことを好きで対等に付き合おうと思っていても周りはあなたの身分が上だと思っている。「なんであんなのと付き合ってるの?」「不釣合いでしょう?」空気に感染して優越感みたいなものが出るんじゃないかな、驕りが。そうなると相手も敏感に察知する。悲しませる。
 というのはきれいな建前の話で。格下の人間と付き合ってると、もっと上の恋人を捕まえようと思わない?(浮気性か)こんなことおおっぴらにはいえないんだけど、スケベ心が出るっていうか。欲が出る。モテたい!という人はたくさんいても、自分を好いてくれる人に無条件で応えられるかっていうとできないでしょう? モテる中で自分が選ぶ側でありたいと思っている(そういうところはあるね)。でしょう。人間って自分かわいさのあまり自己評価に下駄履かせることが多々あるし。そうなるとモテカーストは自分のほうが上だと思ってても似たり寄ったりだったり(結局なにがいいたいわけ?)。最初から結論が決まっているわけじゃないけれど、いうならば、そうだなー、価値観は周りに左右されないようにしよう!かな。そのためには自分の好いてほしい人が好いてくれるような自分にならないといけないよね。不思議の国のアリスからの引用すると「見られたいと思う姿になれ」だ。
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2015年10月27日

男と女は違う生き物だね

 【女子中高生に固執する成人男性たち】を読みました。

 「痴漢被害経験? 自意識過剰だろ」という感想をもちました。

 そのあと、【痴漢被害女性の話はなぜ「自慢」と言われるのか?】を読みました。

 責められた気分になりました。

 女子高生に〜をA、痴漢被害女性の〜をBとします。
 実際にAを書いた人は痴漢されていません。だから私は自意識過剰だな、という感想をもっていました。しかしBには「痴漢経験談を見聞きしても黙れ」と書いてあるのです。Aの人に痴漢したことにされた人をそのままにしろと? 議論において意見を出さないということは「不服がない」という意味になります。なにもしていないのに犯罪者扱いされた人がいるのに黙認しろと言っていますか? 丁寧で神経の細そうな文章の雰囲気の中でとんでもない女王様発言をしてらっしゃいますね。
 Aの人は「いやらしい目で見られた」と言いますけれど、いやらしい目というのは見てわかりますか。Aの人こそ他人を不当に嫌悪した目で見ていませんか。溜息を吐いたり、素っ気ない態度をしたりと書かれていますが、見られることが不快であると相手に伝わっているでしょうか。セクハラ相談課に相談したそうだけれど、そこでした相談がどのように相手に伝わっているのかわかっていませんよね。この書きぶりからすると、正しく伝わってはいないようです。

 いいですか、昨今の風潮にはっきり言っておきたいことがあります。
 自分が不愉快であることを理由に相手に悪を押し付けるのは気違いの論理です。
 「した側がいくら否定しようと、された側が○○だと思ったら○○です(ex.いじめ、セクハラ)」この一定の賛同を集めているフレーズは極論もいいところです。それなら先に○○されたと言ったもん勝ちじゃないですか。なんの根拠もない。Aには「人の気持ちを考えず犯罪でなければいいと思っている」と書いてあるが、それがどれだけ高度な技術を相手に要求していることに気付いているだろうか。彼らとて相手の気持ちを考えていないわけではない。しかし不愉快になったということは結果的に考えが間違っていたのだ。いったい誰が他人の頭の中を精確に覗けるだろう。

 Bの人はなぜ男が共感してくれないのか疑問に思っていたそうですが、ではなぜ男性が「自慢かよ」「自意識過剰」と言ってしまうのか共感してみよう、つまり、理解してみようとは思わなかったんでしょうか。Bの中で答えが出ているのですけれど(痴漢経験者とそうでない人とでは痴漢被害者のイメージに隔絶がある)、その理解ではまだ不足があります。女が男の中の一部である痴漢の存在を理由に男全体を気持ち悪いというように、男は女の一部である冤罪を起こす女の存在を理由に女を怒っているからです。男は痴漢をしようとしていなくても、女のでっち上げで痴漢の加害者にされてしまうことがある。社会からの抹殺であり、とても恐ろしいことだ。男が痴漢の被害者になることは(ほぼ)ない。だから男は痴漢の話を聞くとイメージの湧きやすい加害者側に共感するのです。
 悪いのは男でも女でもなく、その一部である痴漢と冤罪を起こす女です。この二種を撲滅するために協力すべきです。不用意に男女の対立軸を作って煽り立てないでください。
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2015年10月17日

労働とロボット

 きうりさんが仕事を機械化できるならやったほうがいいじゃん(意訳)と言ってたので。

 そーゆーこと考えるときいつも頭に浮かぶのは活動弁士である。ええっと、無声映画のスクリーン横で解説をする職業です。今でもいるらしいけれど、映画といえば無声映画の時代に比べれば絶滅したといっていいよね。つまり、音声付きの映画が台頭したときに抵抗しつつも職を失った人です。

 仕事に誇りがあるわけで、それを失うと生活基盤をも失うことになる。
 うーん、私は仕事に誇りをもつだなんてバカらしいと思ってるけどね! 失職すれば生活できなくなるから誇りを理由にしがみついてるだけでしょ。

 私は事務職こそロボットにやらせるべきだと思っていた。機械化といえば現場職を全部ロボットアームで生産するイメージを抱きやすいのだろうけれど。大量生産なら機械化は向いている。生産する製品が刻々と変わるような現場は機械化に向いていない。そして大量生産大量消費の時代はとっくに終わっている。未だに人間の対応力に機械は追いついていないのだ。
 電子データを取り扱う事務職こそ機械化に向いている。物理的な障害がなにもないからね。事務職の人間は「いや、さまざまな担当との渉外こそが私達の仕事だ。ロボットにはできない」なんて言うかもしれないけれど、それは無駄な仕事である。無駄な仕事がメインの仕事になっているらしい。ロボット同士ならはるかにスムースに部署間の連絡を行うだろう。

 とまあ、ロボットに仕事をさせたくても、もともとその仕事をしている人間は邪魔をするのだ。
 しかし、ここ機械化が進んでいる分野もある。その分野とは! 続きは「続きを読む」をクリック。

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 主婦業です。あ、話は本流に戻しました。つまり家事ですね。ルンバは大変好評のようです。現代には洗濯板を使わずとも洗濯機で洗濯できますし、食器には食器洗い機があります。食事の形態も多様化したので手作りに拘る必要もなくなりました。育児や介護は機械化ではありませんけれど、ビジネスライクなアウトソーシングできますね。
 主婦業に誇りがない、というわけではないでしょう。好きな人は心行くまでやればいい。大多数が家事をしている場合ではなくなった、というのが本当のところかな。いまどき専業主婦はセレブですからねえ。女性が働きに出るようになって、家事に専念する人間がいなくなり機械化が進んだ。みんなハッピー!

 家事が楽になったから──というか、しなくてもいいから、独身者が増えるなーんて社会現象が起きているわけですね。男が金を稼ぎ、女が家庭を守る共生関係よりは単純でいいですね。少なくとも共働き夫婦よりは安定した生活ができると思います。ロボット先進国ニッポンでは孤独を癒すロボットも開発中です。
posted by clown-crown at 02:28| パリ 🌁 | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月08日

あぶないがいっぱいの世界に生まれて

 育てることについて考えるのです。
 私は子供いないし、結婚してもいないから人間を育てる話をするのはおこがましいのかもしれないけれど。それでも仕事の引継ぎなどで、なにかを教えることはある。

 仕事の話をしよう。
 私は仕事を教えるときにはまず、なにをしたらお金になるのかを教える。ゲンキンなやつだって? 仕事というのはそういうものである、お金を感じない仕事なんて考え方が間違っている。受注を受けるのが仕事ならそのやり方を教えるし、ものを作るのが仕事なら作り方を教える。コツだとかミスをしやすいポイントなんてのは教えない。教えるのは請われたときだ。
 安全第一、品質第二、生産第三なんて言葉もあるが、それは命に関わる重大事故を起こしうる仕事の場合だ。

 人間は期待するほど出来はよくない。一度にあーだこーだと言っても大半は耳から耳へと抜ける。一番大事なことを教える。教えたことをやらせてみる。ミスがあれば指摘する。うまくできなくて悩んでいれば私なりにやりやすい方法を提示する。
 そしていつか、自分のしている仕事が大きな流れのどこにあるかを感じてほしい。今の世の中は人間ひとりで回せるような閉じた経済にはなっていない、自分の仕事には前後があるはずだ。どんな仕事だって経済を回す一歯車でしかない。しかし、すべてだ。大統領もあなたの仕事も等しく歯車。一部の部品でしかなくても、それがすべてを回す歯車。意義を感じない仕事は苦痛でしかないからね。

 仕事の考え方を子育てに適用したらどうなるだろう。子供という仕事で一番重要なのはなにか。それをまずは教えたい。子供は遊ぶのが仕事というね、遊んで覚える、つまり学ぶことだろうか。いくら子供には吸収力があるからといって何でもかんでも覚えることはできない。大事なことから覚えてほしい。まずはあなたが生まれてきた世界のことを。次にあなたがこの世界でどこに位置するか。

 私は子供に嘘を吐きたくない。犬や猫は人語をしゃべらないし、本や椅子がひとりでに動き出すこともない。以前にこの意見をチャットで話したとき「でもそれは擬人化したほうが子供が理解しやすいからだよ」といわれてなるほどと得心した。一定の利があるわけだ。どうだろう、世界の認識に歪みが生じないかな。本を乱暴に扱ってはいけないのは、本が「痛い痛い」というからではないことを私は知っているけれど、いつの間にか認識を修正していたのだろう。歪みを修正するその瞬間、混乱しなかったか。母親を不信に思ったりしなかったろうか。

 あなたは子供です。なんにも知りません。無知は悪いことではありません。好奇心をもたず、なにも学ばないのが悪いことなのです。あなたは貪欲に学んでください。そのために試してください。ただし、危険なことをしようとしたときは私が止めます。してはいけないことがたくさんあるでしょう。不満に思うかもしれません。それは真っ当な感情です。私はあなたの行動を制限しますけれど、あなたが分別がついたと思ったらひとつずつ制限を開放します。今までの鬱憤を晴らし、どうぞ好きにしてください。もしも危険な目にあったら対処してください。自分でなんとかできるのならば素晴らしい。私を頼っても恥ではありません。いつでも力になりたいと思います。あなたの力になれることが私はうれしい。
 私はすべてを知っているわけではないし、間違っているかもしれない。私があなたから学ぶことも大いにあるでしょう。あなたが望むなら私のもっているものを教えます。でもすべてを教えるわけではない。あなたはあなたが必要だと思う教えに素直に生きてください。

 教えるなんてなんだか威張りくさった言い方だな。託す、のほうが心情に合う。
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2015年08月10日

0.01の理解

 赤ん坊はなんにでも興味をもち、せわしなく動き回っては母を消耗させる。赤ん坊というのは非常に感覚が優れていて、正しく知覚する。だからいろんなことを経験させたほうがいい。これと同じことが青春時代にも起こっている。感覚が鋭敏になって、これまでとは違う自分に変態する。なぜ青春時代に鬱屈するのか、それは新しい自分に更新されて、感じるものすべてが新情報になるからだ。あまりに膨大な情報量をぶつけられると人間は混乱する。たとえば、知らない道を車で運転するとき、いつもより疲れないだろうか。どこを注意して観察すればいいのかわからないから全体に注意しなければならず疲れてしまう。何度も通った道であれば、重点的に注意すればいい箇所がわかっているため疲労は少ない。逆にいうと、注意しなくてもいい箇所については見なくなる。これが私のいうところの鈍磨だ。
 赤ん坊は世界を学ぶために弄繰り回したり、口に入れたりする。青春時代も世界を学ぶために悩んでいる。
posted by clown-crown at 11:12| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

盆休みです

 盆休みの前は久しぶりに感情が煮えていました。
「他人よりも苦労しているのに評価されていない」というイライラに支配されていたのです。
 だいぶ冷静になれた気がしますが、まだかな。評価されるというのは受け身であって、他人の行動によって達成されるものなんですよね。大人になったら他人に期待しないほうがいいですよ。
 偽りでも装っているだけでもいいから、私は安定するべきなのです。なにかを他人に預けるのは安定しない要因になりやすい。



 理解の話をします(今までの話とは無関係です)。
 私は分類を理解だと思い込んでいる節があります。

ぶん‐るい【分類】
[名](スル)事物をその種類・性質・系統などに従って分けること。同類のものをまとめ、いくつかの集まりに区分すること。類別。「五十音順に―する」「―表」


り‐かい【理解】
[名](スル)
1 物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。「―が早い」
2 他人の気持ちや立場を察すること。「彼の苦境を―する」
3 「了解2」に同じ。


 分けたからといって理解しているわけではないのですよね。分けると分かるは違う。でも分類してしまう。すでに知っているものの中から似ているものを検索して同じフォルダに放り込んでしまう。大まかには分けているけれど、実際にはくっつけているんじゃないのか? 具体的なイメージがあって、ほかのものとは違うと感覚的に理解できないと個別に理解できない。私は中学生時代、期末テストより学年末テストのほうが成績がよかったです。いきなりなんの自慢かと思われるかと思いますけれど、感覚的理解は自転車の乗り方のようなもので、一度覚えると物覚えがいいのです。テストで使えたのは中学生時代までですけれどね。高校以降は一夜漬けのほうが効率がよかったので、ほとんどそれでテストを乗り切りました。高校の勉強は抽象的でイメージが作りにくいのですよ。

 ここから高校生の話です。
 青春時代というのはその晴れやかな言葉の響きとは対照的に、とても鬱屈した精神状態であることが多いです。大人になる準備なのでしょう。芋虫から蝶になるようなものです。いきなり姿が変わるし、行動様式も変えなければならない。戸惑いは必至です。落ち着けといって落ち着けるものでもないでしょう。「今の感受性の高さを利用して貪欲にインプットをし続けろ」と私は言います。ゆうきゆうの心理学マンガなんてどうでしょう、とても中高生向きだと思います。ああそれと、大人なんて子供が考えているほどご立派なものではないです。私も未だに子どもの頃考えていた大人になれなくて、本当にこれでいいのかな?なんて思ったりしています。そういう意味では私は青春時代まっただ中なのかもしれない(さすがに痛いからやめてください)(永遠のセブンティーンだ)(や!め!ろ!)。
 私も高校生時代は悩んだのです。たぶん、どうでもいいことで悩んでいましたけれど、そのどうでもいいことが基盤となって私を支えている気がします。どうでもいいことって、すでに通過してしまったからそう思えるんですよ。あの頃は何度も死ぬことを考えていた。きっと鈍感になったんだろうなあ。死にたくなるような思いでようやく通過して、踏みしめて、見える風景がある。そこに辿り着くまでに鈍磨してしまったけれど、後悔しない生き方ができるといいですね。
 頑固親父って嫌いなんですけれど、頑固になってしまう気持ちがなんとなくわかったりもするんです。来た道を戻る恐怖がわかりますか。死ぬ思いをして、鈍磨して、やっと着いたのが間違った場所だとはなかなか認められません。生き方を否定されることに等しい。まあでも、振り返るのは悪いことではない。来た道を戻るのも勇気です。やってみたら案外二度目は楽だったりします。

 高校生も頑固親父も、道に迷ったら情報収集してみましょう。人間が悩んでいるときって、実は答えはもうできていて、背中を押してもらいたいだけだったりする。そんなときは言葉が自分の気持ちを照らし出してくれる。インプットしてみましょう。文字列の中から最初に見つけた言葉があなたがいちばん望んでいるものです。
posted by clown-crown at 03:02| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月27日

こんばんは

 ご機嫌いかが?
 ずっと更新していなかったので手を付けてみました。特に書きたいことがあったわけではないのですけれどね。ずっと続けていたのでこのブログは私の成長記録のようなものだとも思っていまして、空白があるとこのときなにがあったのか思い出せなくなりそうで。

 ブログを書かないのって健全なことですよ。特にこのブログの文章エントリなんかはね。リア充はあくまでSNSを補助的に活用するんです。自己表現として使うのはメンヘラです。メンヘラも増えてきて市民権を得そうな勢いですけれど。

 今日はストパーマッスィーンが届きました。髪がうねっているのです。ブログでは書きましたっけ、私が天パだってことは。髪を伸ばしているところなので、それはもう植物のように繁茂するのです。天パと黒髪長髪は相性が悪くてですね、見た目が汚らわしいんです。わかります? いくら毛が多くてもストーンと落ちていれば格好が付きますし、あるいは茶髪ならまだ幾分かは軽やかに見えます。一度、金髪にしたことがありますけれど(銀髪にするために)、あれはずいぶんと毛が痛みましたからね。ストパーならまだ毛の痛みは少ないかもしれないと願いを込めて購入しました。どうなんでしょうね。一日しかもたないみたいですけれど。

 あとなにか書くことあったっけ。
 メンタルなことを書いておきたい。ネタがない。そうだ、これは疑問なんだけれど、なんで女性は男性と違って未練がましくないんでしょうか。女性は理想を追う論なんてものを以前このブログで書きました。理想ではないと思ったらすぐに切れるのですか。結婚するまでは理想の男性を求め続けようってことですか。最近は結婚の敷居も低くなって、結婚の枠から外れる=離婚するのも容易になりましたね。なにもかもが理想的な相手なんていないと思います。お互いが理想的な人間になろうと努力するほうが結局は理想の関係になれるのではありませんか。我慢できないなにかがあったんでしょうか。
 SMに興味津々の私がこんなことをいうのも変ですね。でもSMだってSが一方的にMを従わせているわけではないですよ。前提の信頼関係がなければ始まりませんからね。でも一方的なSMも興味あるなあ。私は自分でも本心を見失ってしまった人間なので、うまくやれないでしょうけれどね。折れたことのない意思の槍をもつSの貫禄にMは惚れるのかなあ。私はそういうのとは無縁だなあ。

 閑話休題閑話休題。
 人間はみんな自分の人間具合を心配しているのです。なぜなら人間から逸れてしまうと攻撃の的になるから。みんな人間になろうとして、集団から外れた人を攻撃します。攻撃することによって自分は人間側だと安心できるようです。でも、みんなが目指している理想的な人間──すべての多数決で勝てる人間なんていないんですよ。だってそれって、あまりに人間っぽくないでしょう。

 女性への恨み節が混じったエントリになってしまった。私はもっと未練がましくない人間になるべきなのではないか。しかしそれは、平均的な人間になるということでもあるのでは。
posted by clown-crown at 01:04| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月16日

がんばるんば

 スゴい人を見たとき、「なーにをそんなにムキになっちゃってんのプッ」と斜に構えて小ばかにするか、「私もあんなふうになれたらいいなあ」と素直に感心するか。
 がんばりってのは誰かに牽引してもらうのがいちばん楽だと思っているので、憧れの人が多いほうががんばれる。がんばりで楽って変かな。前者はがんばらない楽を選択した人だから進歩しない。素直さ大事。
 これは同意してもらえる内容だと思う。

 じゃ、スゴくない人(やわらかい言い方を廃止するとダメな人)のことをどう感じるのが、いちばんいいのかなんてことを考える。
 職場にも仕事ができないダメな人がいて、器の小さい私なんかはイライラしているのですけれど、私より仕事ができる人は私にイライラしている素振りを見せないのですよね。「上の人間」ってのはそーゆーものなんだな、とか考えてしまうのですよ。
 大人だから面と向かって不快を示さないだけ、ってのもあるとは思う。でもそれだけではないような。
 がんばれる人はがんばるためのメンタルをもってる。「下」を見ても「ああはなるまい」ぐらいしか考えず、「下」を見ないようにしている。人間は見ているほうに引っ張られるからねー。引っ張られるなら「上」を見る。
 職場全体の能率を考えるなら、ダメを引き上げる必要性も出てくるけれど、ダメな人は職場全体なんて見えていないから「自分だけ厳しくされている」なんて不平をいいそうだ。がんばりのメンタルをもってない人にがんばらせるのって困難よ。
 スゴいとかダメの基準だって、自分が有利になるように設定しているはずなのだ。ダメだと見下してる相手から別の基準でダメだと見下されているかもしれない。たとえば「仕事は精確さだ」と「仕事は速さだ」とか。「下」に積極的に関わろうとする人は、それによって自分が「上」であることを確認したいダメンタルの持ち主だよねって話です。

 がんばりってのは本人にしかわからなくて、死に物狂いでやっても失敗した人もいれば、かるーく一発クリアできる人もいる。現状の上か下かは基準によっては数値にできるけれど、メンタルはどうやったって計れないのでそこをダメ出ししてはいけない。「仕事を教えているのにメモをとらない」のはメモをとることによって聞き漏らしてしまうリスクを避けたのかもしれないし、がんばりにはその人に合ったやり方がある。

 自分の過去を持ち出して「お前はあの頃の俺よりがんばってない」っていうジジイが多いので辟易としている。その頃とは状況が違うし、お前の過去は美化されてる。「技術が進んで楽になったが、やることが増えた」なんてのはどこの世界だって似たようなものだろう。楽になった部分だけ指してがんばりが足りないといってるような文明を否定する原始人はマンモスの肉でも食ってろ。
posted by clown-crown at 08:56| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月09日

やっぱ嘘

 多数の論理が嫌い、というのは嘘です。
 正しさはぜーんぶ嫌いだ。

 論理的に正しいからってそれがなんなんだよべろべろばー!
posted by clown-crown at 23:33| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

正しさの尺度

 人間はなぜ矛盾した行動をとるのか。
 それはね、正しさの尺度がひとつではないからさ。

 私は正しさを嫌っている。正しさとは、世間だとか良心だとか常識だとか倫理だとかそんなものだ。全部を嫌っているのではないのだ。民主主義の正しさ、多数が嫌い。

 昔のエントリで、自己言及は矛盾が追いかけてくるとかなんとか書いたはずだ。だから自己言及しないようにしよう、と。
 なんで自己言及が矛盾を呼び込むのか考えるに、自分とは特別な基準点だからではないか。特別な基準点であるから、ここではねじくれてしまう。「クレタ人は嘘吐きだ」と言ったとき、すべてのクレタ人は嘘吐きとなる。だが、この発言者がクレタ人であったときすべてのクレタ人を嘘吐きに塗り替えた自らの発言がねじくれて逆襲してくる。「自分で髭を剃らない男の髭を剃る」と言ったとき、自分で髭を剃らない男はこの発言者によって剃られる。だが、この発言者自身には発言がねじくれて返ってくるのだ。

 自分とは特別だ。格別で格段で特段だ。
 正しさとは論理があって初めて現れる概念だ。世間の論理、良心の論理、常識の論理、倫理の論理。ひとつの論理だけ(ここまでしかバックアップがとれなかった)
posted by clown-crown at 01:59| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月19日

興味関心のグラフ

 理系だからああだとか文系だからこうだとか、なにか言ったつもりになるのはバカの所業なのですけれど、私もバカなのでその分類法を使いますね。

bunnkei.png

 これが文系のグラフです。
 縦軸が知識の量、横軸が知識の幅です。私が勝手に思いついたグラフなので信憑性はどこにもありません。
 赤いのが文系Aくんで緑が文系Bさんです。このふたりは多少のズレはありますが、興味関心の大部分が重なっているので、会話が弾みます。

rikei.png

 こちらは理系のCくん、Dさん。
 文系組とズレはそれほど変わらないはずなのに、重なる部分はあまりないですね。しかし、ズレが一致すれば深い部分まで相互理解ができるのです。

boku.png

 これはどこかの誰かさんです。
 なんだこれ! 変な形してる! これじゃあ一致する相手なんているわけないだろ! そもそもグラフの面積が小さすぎやしないか? どういう人生送ったらこんなグラフになるの! なんのために生きてるの!
posted by clown-crown at 15:09| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

エイプリルフールぐらいは嘘を吐くのをやめよう

 自称「どM」=大抵、偽物。

 おおまかなところはよくいわれる「本物のSM観」なんだけれど、Mから見たSの描写がおもしろかったので引用しよう。

出血大サービス「どS」様は
どんなに怒っていても至って柔和な物腰で、
決して人に悪い印象を与えません。
場合によっては、仏様のような印象すら与えます。
だから、ちょっと会話をしただけだとMっぽく見られがちです。

ですが、本当はいつも心の中で
哲学的に悶々とあらゆることに想いを巡らせています。
でも、自分の本性を曝け出すことに抵抗があるから
優しい「仮面」をはずしませんし、はずそうとしません。
実はとっても繊細でナイーブなのです。


 だってさ!
 ここのところ10年ぐらい男性向けのSM的な商品が増えてきた気がしてたんだけれど(SMよりリョナに近いのかもしれないわからない)、これって若い人たちの趣向なんじゃないのかしらね。若い人たちの傾向って引用部分とダブらない?(そういえば男性がフェミニストをこじらせるとリョナ趣向になる話を聞いた)
 でもこの引用のS評はまだ(本物のSでなく)エゴサドだと思うけれど。間違ってるんじゃなくて不足してるのかな。なんだろうなー。
 SがMに見えるとかMはSっぽいとか、確かにそうかもしれないけれど、修辞ですよ。
 SMと一言でいっても、その関係の形はさまざまで、それをなんとか体系付けたいなと考えているのですよ。そうすればマッチングしやすいでしょ? あと、SMプログラムも作りやすくなる。

 以前にもこのブログでSMプレイの分類した? そうだね。でも、あれまだ決定打って感じしなかったんだよね。
 単純に分けても肉体的なプレイと精神的なプレイがあるけれど、肉体的なプレイも結局は間接的に精神を刺激しているだけなんじゃないかって思うのですよ。精神的プレイは嫌いで肉体的なプレイだけが好きって人は見たことないしなー。

 となると分類なんてものははじめからなくて、深度だけがあるのかなって。SM深度が進むと今まで嫌だったプレイでも快楽を得られるようになるって感じでさ。数直線にしたらおもしろそうだ。M女が好むプレイの平均がとれたら、かなり有用なデータになるのではないかね。

浅い 言葉責め──目隠し──露出──緊縛──浣腸 深い

 みたいなっ!
posted by clown-crown at 01:41| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月27日

完璧趣味な乙女たち

 白馬に乗った王子さまなんてのは、恋に恋する乙女を嘲るときに使う安易な常套句であった。最近では嘲りにも使わない廃れて廃れきった表現だ。
 まあでも、表現が廃れたところで乙女心の本質は変わってないな、というのが私の見解である。

 婚活に失敗する男の典型例が『妥協しすぎてしまうこと』で、女は『理想が高すぎること』らしい。おもしろくないですか? おもしろいよね。

 『※ただしイケメンに限る』は、なかなか息が長いネットスラングだね。聞き飽きた。そりゃイケメンのほうがいいだろう。でもな、顔面偏差値に拘るのってむしろ男のほうじゃないの? 鏡に映った自分の顔に吼えるなよ。

 蓼食う虫も好き好きで、顔面偏差値なんて偏差値であって絶対的なものじゃない。
 あばたもえくぼで、ブッサイクだって好きなら気にならなくなるし、なんならイケメンにも見えてくる。

 雰囲気イケメンなんて言葉もあるとおり、イケメンかどうかなんて雰囲気で変わるものだし、女なんて雰囲気で左右される生き物だ。顔の造作を変えるのは難しくても、イケメンを気取るなんてのはそう難しいことじゃない。イケメンだと認知されてくれば、周囲もそんな扱いをしてくるし、そんな扱いを受ければ自信が出てきて顔の造作から変わってくるものだ。万歳万歳万々歳。

 あー違う違う。私はモテるモテないの次元の話をしようとエントリ書いてたんじゃなかった。

 王子さまになる話だ。
 要するにつまり、完全無欠の人間になればいいんじゃないのってことさ。

 そんな人間はいないが。
 いないが、そう錯覚させることはできる。

 前述したように、女性ってのは雰囲気に呑まれやすいものだから、そう振舞えばそうなのだと錯覚してくれる。だってそもそも王子さまを探してるんだし「この人かも」と思わせるのは簡単でしょ(今は私が読者を錯覚させようとしている)。

 女性はドラマが好きで、演出が好きで、理想が高くて、運命を求めていて、ヒロインなんだよ。
 なぜなら、
 女性はぱっとしない現実に鬱屈していて、つまらない生活に飽きていて、しょうもなくくだらないものに囲まれていて、平凡でしかない自分に葛藤を抱いていて、それをなんとかしてくれる存在を欲しているんだよ。

 確固としたものが自分の中にはないから、それを恋人に求めるのさ。どう? わかりやすい?
 わかりやすいものってのはだいたい嘘だよ。
posted by clown-crown at 02:06| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月11日

論理ウルフという名の人狼講座サイトはありそうだよね

 新聞のページに記者や識者が自論を繰り出している。その根拠に論理的な裏打ちがなく、常識やら倫理観を下敷きにしたものであるとき、「おバカさんかな?」としか思えず、そう思ってしまうとそれ以降の意見が読み取れなくなる。
 その常識や倫理観を私は共有していませんので。

 近親者であれば固有のルールで繋がることもできるだろう、しかし、誰だか知らない文字だけで表現された相手には伝わらない。そんなときのために論理がある。論理があればなんと機械ともおしゃべりできる。
 強引な意見の押し付けは、却ってその意見が不信を煽ることに気付かないかな。

 そういえば、私も昔はこのブログで嫌韓していましたね。あのときの論理はすべて他所からパクってきた論理ですからね。ダメですね。
 今では嫌韓もずいぶんと広がってネットの一部では共通認識になってきましたけれど、感情だけでバッシングして気持ちよくなるのはやめましょう。
posted by clown-crown at 00:07| パリ 🌁 | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする