2018年11月11日

先生に見せる文章

カウンセリング中は頭が痛くなる。
自分の考えと先生の考えを比較しその差を埋めるために必要な言葉を探す。
私の考えは一定ではないために、先生の考えがぶつかれば変化する。
ほとんどの場合で先生の考えが私の考えに近接しないのが幸いだが、
それは私を理解するところから遠く離れていることを意味するので不幸だ。
カウンセリングによって理解は進んでいるというが私の満足する水準には達していない。
最終的な完成度の話ではない。進捗が緩やかなことにやきもきしている。

論理的という言葉について私と先生では差異がある。
集団に埋没したいこととリュパンに憧れることは論理的に矛盾があるとあると感じるようだ。
それならば「埋没したいのは異端であるためであり、リュパンは異端を肯定的に捉えることができるため」
などと理屈をつけることは簡単にできる。
だがそのような理屈に意味があるように思えない。あるとしてもそれは蛞蝓のような一歩だ。
自分自身が、人間が、矛盾した存在であることに中学生時代に苦悩した。
だから相対思考を生み出した。最近、考え直したが量子思考と呼んだほうが実態に近そうだ。
私は断言するということがほとんどない。多くの患者をカウンセリングしてきた先生ならば実感あるだろう。
そのために話がつかみにくくなっている。だが私にとってはこれがスタンダードなのだ。
世界はなにもかもが曖昧であやふや、足をつける大地も朦朧としている。
私は確固としたものがほしいが、矛盾したものはいらない。それがジレンマでありストレスだろう。
私を理解するためには量子思考を備えていなければならないのかもしれない。
ならばこれは途方もない絶望だ。

HSPに先天性はないかと尋ねたが、それは自分が先天的ではないと感じていたためだ。
嫌われたくない性質が強いだけで、そこから相手の気持ちを察する能力が伸びた。
やり方さえわかれば誰にでもできるはずだ。それを私に聞く人間はいなかったが。
外部から私はむしろ愚鈍だと思われている。口数が少ないということは得てしてそのようなイメージを与える。

極端をいう「天才が馬鹿にわかるように伝えるのは難しい」。理解しないのが馬鹿だからだ。
人狼は相手の話を聞くゲームで、カウンセラーは話を聞くプロだ。馬鹿ではできない。
それでさえも伝わらない。ならばいったい誰ならば伝わるというのだろう。
私の努力が不足しているのだろうか。確かに私は説得によって翻意させることが不可能だと思っている。
人間を形成されるまでには時間がかかる。私がその労力を負う必要はない。
正直に書こう。私は自分が頭がいいなどとはまったく考えていなかった。
社会はそのように私を扱ったし、私もそれに抵抗する気はなかった。
私が他人に影響を与える? 私と話をしたい? とんでもない。

50分のカウンセリングよりも、小説を読んでもらうことや、このような文章を書いているほうが自分を表現できている。
会話は対応しなければならないし、時間制限があり、表情や所作などノイズが乗る(完全にノイズだ)。
もっとも重要なことに、会話は自分や相手がしゃべっている間に考えていることが抜け落ちていく。
何度も書くように、人間の会話に情報としての価値などひとつまみもない。動物の鳴き声に等しい。
人間とコミュニケートするほどそれを実感し、多くのほとんどの人間と自分とは異なるのだと感じる。
途方に暮れる。

仮説:私が先生を理解したほうがその差異が浮き彫りになるのではないか。


posted by clown-crown at 01:17| パリ ☔| グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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