2015年10月08日

あぶないがいっぱいの世界に生まれて

 育てることについて考えるのです。
 私は子供いないし、結婚してもいないから人間を育てる話をするのはおこがましいのかもしれないけれど。それでも仕事の引継ぎなどで、なにかを教えることはある。

 仕事の話をしよう。
 私は仕事を教えるときにはまず、なにをしたらお金になるのかを教える。ゲンキンなやつだって? 仕事というのはそういうものである、お金を感じない仕事なんて考え方が間違っている。受注を受けるのが仕事ならそのやり方を教えるし、ものを作るのが仕事なら作り方を教える。コツだとかミスをしやすいポイントなんてのは教えない。教えるのは請われたときだ。
 安全第一、品質第二、生産第三なんて言葉もあるが、それは命に関わる重大事故を起こしうる仕事の場合だ。

 人間は期待するほど出来はよくない。一度にあーだこーだと言っても大半は耳から耳へと抜ける。一番大事なことを教える。教えたことをやらせてみる。ミスがあれば指摘する。うまくできなくて悩んでいれば私なりにやりやすい方法を提示する。
 そしていつか、自分のしている仕事が大きな流れのどこにあるかを感じてほしい。今の世の中は人間ひとりで回せるような閉じた経済にはなっていない、自分の仕事には前後があるはずだ。どんな仕事だって経済を回す一歯車でしかない。しかし、すべてだ。大統領もあなたの仕事も等しく歯車。一部の部品でしかなくても、それがすべてを回す歯車。意義を感じない仕事は苦痛でしかないからね。

 仕事の考え方を子育てに適用したらどうなるだろう。子供という仕事で一番重要なのはなにか。それをまずは教えたい。子供は遊ぶのが仕事というね、遊んで覚える、つまり学ぶことだろうか。いくら子供には吸収力があるからといって何でもかんでも覚えることはできない。大事なことから覚えてほしい。まずはあなたが生まれてきた世界のことを。次にあなたがこの世界でどこに位置するか。

 私は子供に嘘を吐きたくない。犬や猫は人語をしゃべらないし、本や椅子がひとりでに動き出すこともない。以前にこの意見をチャットで話したとき「でもそれは擬人化したほうが子供が理解しやすいからだよ」といわれてなるほどと得心した。一定の利があるわけだ。どうだろう、世界の認識に歪みが生じないかな。本を乱暴に扱ってはいけないのは、本が「痛い痛い」というからではないことを私は知っているけれど、いつの間にか認識を修正していたのだろう。歪みを修正するその瞬間、混乱しなかったか。母親を不信に思ったりしなかったろうか。

 あなたは子供です。なんにも知りません。無知は悪いことではありません。好奇心をもたず、なにも学ばないのが悪いことなのです。あなたは貪欲に学んでください。そのために試してください。ただし、危険なことをしようとしたときは私が止めます。してはいけないことがたくさんあるでしょう。不満に思うかもしれません。それは真っ当な感情です。私はあなたの行動を制限しますけれど、あなたが分別がついたと思ったらひとつずつ制限を開放します。今までの鬱憤を晴らし、どうぞ好きにしてください。もしも危険な目にあったら対処してください。自分でなんとかできるのならば素晴らしい。私を頼っても恥ではありません。いつでも力になりたいと思います。あなたの力になれることが私はうれしい。
 私はすべてを知っているわけではないし、間違っているかもしれない。私があなたから学ぶことも大いにあるでしょう。あなたが望むなら私のもっているものを教えます。でもすべてを教えるわけではない。あなたはあなたが必要だと思う教えに素直に生きてください。

 教えるなんてなんだか威張りくさった言い方だな。託す、のほうが心情に合う。
posted by clown-crown at 01:36| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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