2015年08月10日

盆休みです

 盆休みの前は久しぶりに感情が煮えていました。
「他人よりも苦労しているのに評価されていない」というイライラに支配されていたのです。
 だいぶ冷静になれた気がしますが、まだかな。評価されるというのは受け身であって、他人の行動によって達成されるものなんですよね。大人になったら他人に期待しないほうがいいですよ。
 偽りでも装っているだけでもいいから、私は安定するべきなのです。なにかを他人に預けるのは安定しない要因になりやすい。



 理解の話をします(今までの話とは無関係です)。
 私は分類を理解だと思い込んでいる節があります。

ぶん‐るい【分類】
[名](スル)事物をその種類・性質・系統などに従って分けること。同類のものをまとめ、いくつかの集まりに区分すること。類別。「五十音順に―する」「―表」


り‐かい【理解】
[名](スル)
1 物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。「―が早い」
2 他人の気持ちや立場を察すること。「彼の苦境を―する」
3 「了解2」に同じ。


 分けたからといって理解しているわけではないのですよね。分けると分かるは違う。でも分類してしまう。すでに知っているものの中から似ているものを検索して同じフォルダに放り込んでしまう。大まかには分けているけれど、実際にはくっつけているんじゃないのか? 具体的なイメージがあって、ほかのものとは違うと感覚的に理解できないと個別に理解できない。私は中学生時代、期末テストより学年末テストのほうが成績がよかったです。いきなりなんの自慢かと思われるかと思いますけれど、感覚的理解は自転車の乗り方のようなもので、一度覚えると物覚えがいいのです。テストで使えたのは中学生時代までですけれどね。高校以降は一夜漬けのほうが効率がよかったので、ほとんどそれでテストを乗り切りました。高校の勉強は抽象的でイメージが作りにくいのですよ。

 ここから高校生の話です。
 青春時代というのはその晴れやかな言葉の響きとは対照的に、とても鬱屈した精神状態であることが多いです。大人になる準備なのでしょう。芋虫から蝶になるようなものです。いきなり姿が変わるし、行動様式も変えなければならない。戸惑いは必至です。落ち着けといって落ち着けるものでもないでしょう。「今の感受性の高さを利用して貪欲にインプットをし続けろ」と私は言います。ゆうきゆうの心理学マンガなんてどうでしょう、とても中高生向きだと思います。ああそれと、大人なんて子供が考えているほどご立派なものではないです。私も未だに子どもの頃考えていた大人になれなくて、本当にこれでいいのかな?なんて思ったりしています。そういう意味では私は青春時代まっただ中なのかもしれない(さすがに痛いからやめてください)(永遠のセブンティーンだ)(や!め!ろ!)。
 私も高校生時代は悩んだのです。たぶん、どうでもいいことで悩んでいましたけれど、そのどうでもいいことが基盤となって私を支えている気がします。どうでもいいことって、すでに通過してしまったからそう思えるんですよ。あの頃は何度も死ぬことを考えていた。きっと鈍感になったんだろうなあ。死にたくなるような思いでようやく通過して、踏みしめて、見える風景がある。そこに辿り着くまでに鈍磨してしまったけれど、後悔しない生き方ができるといいですね。
 頑固親父って嫌いなんですけれど、頑固になってしまう気持ちがなんとなくわかったりもするんです。来た道を戻る恐怖がわかりますか。死ぬ思いをして、鈍磨して、やっと着いたのが間違った場所だとはなかなか認められません。生き方を否定されることに等しい。まあでも、振り返るのは悪いことではない。来た道を戻るのも勇気です。やってみたら案外二度目は楽だったりします。

 高校生も頑固親父も、道に迷ったら情報収集してみましょう。人間が悩んでいるときって、実は答えはもうできていて、背中を押してもらいたいだけだったりする。そんなときは言葉が自分の気持ちを照らし出してくれる。インプットしてみましょう。文字列の中から最初に見つけた言葉があなたがいちばん望んでいるものです。
posted by clown-crown at 03:02| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック