2014年12月01日

人間という名のモンスター

 11月はまったく更新できなかったよウエーン。
 これからどんどん忙しくなるから、もっともっと遊べなくなるぞー。

 遊戯王のモンスターってさ、プレイヤーの心を表してるって何巻かの単行本で書いてあった。器の遊戯の心はマシュマロンであり破壊竜ガンドラでありサイレント・マジシャンなのだ。

 人間は動物ではあっても動物的ではなく人間的で、人間は人間の顔をしているのは、それは社会性がそうさせているからだ。常識やら秩序やら礼儀やらっていうのは社会を動かすためにある。意思疎通をするためにはひとりひとりの人間を均す必要があって、均すからこそ人間であるといえる。人間から常識やら秩序やら礼儀やらを剥ぎ取れば、それはモンスターだ。

 私はこれまでも自分探しなんてのはバカにしてきた。モンスターを呼び起こしてどうしようってんだ。すごくおかしいんだよ。ああ、言ってしまえばキチガイなんだ。狂っている。それが自分。それが本質。
 モンスターとは感情だから論理とは正反対、言葉とは論理の上に築かれた人工物、なので言葉で感情を丸め込むのは無理がある。他人にはどうにもできない。個の中で押し込めるしかないんだよ。しかし、できないことを欲望するのがまた人間だ。飼い慣らせない極悪モンスターほど、他人に認められて全面的に肯定してもらいたい。
 人間は人間であることに誇りをもちすぎている。危険なほどに過剰な自信だ。自分の中にモンスターが棲んでいることを知りたがらない、いや、認められない。怖いんだよ。たとえばADHDの文章を読んでいて、いくつか共感できてしまうと、恐怖する。これは自分探しと矛盾しない。自分探しに出かける探索者はゴールにお宝があると考えている。実際にはモンスターが眠っているだけなのだ。大人になるにつれ丸くなるのは、モンスターの存在を暗黙のうちに認め、自分が平凡に埋没することに安堵するからではないか。子どもの頃はあんなに、普通であることに反発していたのに。

 全員がモンスターの人狼をやっている。すでに条件をクリアしてゲームには勝利しているのに、それに気付かずに殺し合いをしている。
 勝利しているのだ。私達はてんでばらばらの個性をもった世界にふたりといないモンスターだ。だからきっと私達の幸せは別々のところにあって、そこに辿り着くだけなのだ。ひとつの幸せをみんなで奪い合わなければならないのは、常識やら秩序やら礼儀やらの均された思考が邪魔をしているからだ。感情は個に秘めよ。自分の中でモンスターを純化すれば、鋭き欲望となってほかの誰にも邪魔をされない快楽の地へと導いてくれるはず。

 その欲望がひとりでは叶えられないものだったらどうするんだろう。
 ふたりといないモンスターを探さなければならないのか。
posted by clown-crown at 02:58| パリ 🌁 | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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