2014年06月13日

当事者になりたくない

 という傾向が私にはある。

 これまではアクシデントからの回避率を極振りしていたと認識していた。その理由が見えてきた。どうやら私は私の人生において主人公になりたくなかったようなのだ。主人公は責任追及されるからなあ。

 ちょっと論理が飛びすぎてるな。文章の書き方を忘れてる。

 私がなぜこんなにも逃げ腰だったのかといえば、決断をしたくなかったからだ。アドベンチャゲームのように選択肢が出てこない現実世界では選ばないことを選べる。選ばないことによって「私は選んでいない」と責任追及の手から逃れることができるのだ。選挙権を自ら捨てるバカとメンタルが同じであるな。

 さいきんは自分で選ぶことの楽しさをかみ締めている。こんなに面白かったのか。大人というのは。もしかしたら今まで私は生きていなかったのかもしれない。人生の難易度も上がったが、この楽しさを味わえるのなら悪くない。

 おそらくだけれど、過去の私のような人間がこれから増える。冒険をせず、ギャンブルをせず、安定した人生をまっすぐ進む人間だ。それは親が決めた道だ。よく言われる喩えで面白くもなにもないけれど。親は子供に「こうしたらよかった」という道を歩ませたがる。子供は刷り込まれている。夢に向かえ、と言うんじゃない。自分で決めろ、と言っている。自分で決めたのなら安定した道も楽しめるはずだ。楽しいか?

 私はこれから、いままで顔を背けてきたことに手をつけていこうと思う。メンドいなーと思うけれど、はじめたらきっと楽しくなる。とりあえず、人間に対面してみようか。
posted by clown-crown at 02:17| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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