2016年01月31日

労働とロボット(2)

 なんと続きがあった。

 『カイゼン』は海外でも使える日本語らしいですね。どうすれば能率をアップさせられるのか作業者自身が考える。「効率よく働かせたいなら経営者自身が考えろよ」って私なんかは思いますけれど。作業者自身がカイゼンするメリットってないんですよ。たとえば、効率80%でやっている作業を5ヶ月かけて130%まで上げるとしますね。

 1ヶ月目 80→90 効率1.13倍
 2ヶ月目 90→100 効率1.11倍
 3ヶ月目 100→110 効率1.1倍
 4ヶ月目 110→120 効率1.09倍
 5ヶ月目 120→130 効率1.08倍

 量的には同じ効率化でも高効率であるときほど効果が薄い。「なんで能率が上がらないんだ!」と怒られたって「もうすでに能率が高いからだよ……」と脳内でボヤくだけである。
 中村航の小説で「能率を上げていったら僕はいらなくなった」ってエピソードが出てきておもしろい。努力を認められて役職を与えられるならいいけれど、派遣切りにあったら笑うに笑えないぜ。

 私の好きな小説家が嫌いな言葉が「働かざるもの食うべからず」だそうです。まあ、森博嗣なんだけれどね。

 鉄道が開通したとき、人々は「こんなに大量輸送できるようになっても誰も使わんがな」と思ったのだとか。だんだん煙に巻かれた気分になってる? ここまでで私がいいたいのは「今ある仕事をぜーんぶロボットに押し付けても、人間は新しい仕事を作ってそれに従事するよね」ってことです。前回は仕事を誇りにする輩がロボット化の邪魔をするといいました。今回は働かないものを馬鹿にする輩が無駄な仕事を作る、としましょう。

 作業者は作業をするのが仕事だから作業者なのであって、能率を上げたいなら経営者が考えればいいんだよ。下っ端に「経営者目線をもて」なんていうのが流行ったこともあったけれど、お前の仕事はお前がやれ。今どきの下っ端は高効率を強制されていて、カイゼンなんて余計なことをしている暇はないんだよ。
 だいたいね、現場目線をもってないおエラ方が集まってする会議なんてぜーんぶ無駄なんだよ。カイゼンしたいならお前らの大好きな会議をやめろ。本当に必要な『仕事』をしているのは下っ端なんだ。

 必要な仕事とかいってると最後は第一次産業まで極まってしまう。無駄な仕事こそが人類の文明を発展させたといえないこともないか。

 ──切り取り線──話が脱線するよ。──切り取り線──

 もう人類の文明は飽和状態だと思うんですよねー。どの先進国も伸び悩んでいるでしょう。むしろ衰退方向といえる。中国やインドの発展目ざましいっていったって、先進国に追いつくまでの後追いでしかないんですよ。だから人類が完全に衰退する前に宇宙開発ですよ。
posted by clown-crown at 00:35| パリ ☔ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月20日

ひとり暮らしのおススメ料理

 たまには実用的なことを書いておこうかと思いまして。

 ひとり暮らしのおススメ料理第一位はーじゃかじゃかじゃかじゃかじゃかじゃかじゃかじゃか、じゃん!
 味噌汁。

 はい。ひとり暮らししてると味噌は使わないって、うん、わかるわかる。味噌なんて買っても使いどころがわからないよね。でもだいじょうぶ、味噌汁にだけ使えばいいさ。味噌なんてすぐ悪くなるものでもないしね。そうそう、だし入りを買うんだぞ(cさんは名古屋に引っ越したので味噌人間になってます)。

 いいか、今は冬だ、とても寒い。汁物は身体を芯から温めてくれる最高のメニューだ。ひとり暮らしは人の温かみが恋しい。そんなときは家庭の味、味噌汁で冷えた心を温めよう。味噌汁で心も身体もぽっかぽかだ。

 味噌汁の利点はそれだけではない。その手軽さも忘れてはいけないぞ。具はなんでもいい、この強み、オールマイティーさ、素晴らしい。鍋に水を張って適当に野菜を放り込んで煮る。そこに味噌を突っ込めば味噌汁だ。残り物でカレーを作るとはよく聞くけれど、味噌汁のほうが幅広く受け入れられるのではないか。大根、人参、玉ねぎ、じゃがいも、豆腐、わかめ、ごぼう、レンコン、小松菜、コンニャク、エノキ、なんでもござれ。

 私は多めに作っておいて翌朝も飲みます。ウェイパー(味覇今は名前が違う)をちょっと入れてる。
posted by clown-crown at 23:50| パリ 🌁 | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月11日

胴間声と育児経験の話

 明けましておめでとうございました。もう11日です。

 胴間声が苦手な人っていますよね。私もそのひとりなんですけれど、聞こえてきてもできるだけ平静を装います。弱っちく思われるので。私の話はどうでもいいんだよ。
 自分の子供相手に胴間声を上げる母親に「ヒステリーだなあ」「子供がかわいそう」と思うのは育児未経験者らしいのです。私は育児未経験者の胴間声恐怖症症例者なので「うわあああ」と心中叫びます。自分の話をやめろ。経験者は「お母さん大変だなあ」「お疲れですね、がんばって」と思うらしい。
 胴間声が温情で無罪なんです。じゃあですよ、胴間声を上げざるを得ない人たちというのは皆、我慢に我慢を重ねた上で上げてるのではないかと仮説が立つんですよ。DQNが偉そうに指図するのはオタクが何度言ってもわからない言うことを聞かずなにを考えてるのかわからない愚図で鈍間な生き物だからですね。それじゃあしょうがない。とはならないでしょう。子供なら暴力的な口調でも許される? いまどき学校の教師でさえクレームを恐れて子供を叱れないのに?

 すべての胴間声を許すなっていってるわけでもない気がする。自分のことなのに不確かだ。我が子だからといって胴間声を無罪放免にするのはよくないっていってる、私は。「あなたは育児経験ないでしょ」と育児経験を免罪符にするのがダメだ。肉体の暴力より精神の暴力を私は嫌っている。うん、そんな感じ。でも正しくはないな。バランスが悪いと思っている。世間は肉体の暴力を嫌いすぎている、と私は思っていて、だから相対的に精神の暴力が軽い扱いを受けているように見える。これだ。人類はもっと肉体感覚を養うべき。でないと鈍る。
posted by clown-crown at 00:43| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする