2014年09月26日

他種族を殺すことについて

 韓国の犬食いを馬鹿にするやつは他国から鯨食いに文句言われてもいいんだよな?
 ってのを以前書いた(たぶん)。

 食べることと生きることの関連について『くびき りんね』という小説を登竜門に投稿している。
 収まりの悪い気持ち悪いさを読み手に感じさせる小説だった。結論は出せていない。

 人間を殺すことは違法だ。たとえ法で縛っていなくても、本能は忌避する。
 人間は豚や牛を食べるために殺す。ここにはあまり罪悪感はない。
 虫はうるさいだけでも殺す。魚は食べるためなら殺してもいいだろう。
 曖昧な線引きがたくさんある。

 人間でも虫でもできれば殺したくはない。

 命は重いといいますけれど、それは人間の命だけではないですか?

 たとえば、飼っているポチを殺せばアフリカの子供の命がひとり救えるとしたらポチを殺す?
 私だったら殺さない。人間の命はワニの命より重いけれど、殺さない(ポチはワニの名前です)。
 種族以上に、心の距離が関係している(能動的に殺すのと受動的に救われる違いもあるな)。

 心の距離。なんだそれは。

 ファンタジで考えてみよう。
 チートな主人公が豚っ鼻のオークを死屍累々にしてエルフの王女を救出する。
 どっちも人間ではないのに。悪の命は軽いのかしら?

 そもそも悪ってなんだよ。気に入らないやつのこと? 確かに「死ね」って思うことある。

 ゲームで殺戮するのはいけないこと? 実際の命はなにひとつ失われていないのに。ゲーム世界での情緒を大切にしているの?

 野生の動物はお腹がいっぱいだとそれ以上は狩りをしないらしい。本当かな。

 人間は領土を巡ったり宗教問題を起こしたりして、人間同士で戦争する。→問題の根底は別のところにありそうだ。

 人間はほかの動物に襲われることが極端に少ない。だから想像しにくい。
 殺すかどうかを判断する基準はなに? 感情かな。法律は衝動殺人の抑止に役立っているかな。「人命は尊い」コンセンサスを作る役目を果たしているね。法律がなければ殺人鬼になれる? 人間に似ているけれど人間ではない亜人なら殺せる? 言葉が通じなければ殺しやすいよね。言葉が通じると、たとえキノコでも殺しにくいな。意思疎通できるかどうかが重要なわけ? 相手の心情を忖度してしまうから? 結局、罪悪感を感じにくくしたいだけじゃないの。本来ならなにを殺しても罪悪感を感じる余地があるってことだ。目に見えない虫をつぶしてしまうことを杞憂してちゃ生きていけないわけです。生きるためには食べるわけで食べることは殺すことだし。葉を食べる野菜は殺したことにならないのかな。人間って植物に対しては虫以上に罪悪感を感じにくいよね。精進料理は肉抜き料理。かすみ食ってろ。霊が見える人──特にカルマが見える人に直接聞いてみたい。
 殺す人間は殺される覚悟をしないといけない? 捕食者の身分でも?
posted by clown-crown at 00:17| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月25日

物語の維持費

◆c > http://urasunday.com/tpwcw/index.html [2014/9/22 01:43:51]
◆c > これみんなで作ってくようにしたらいいのになんでこんなことにしちゃったんかな。 [2014/9/22 01:44:17]
◆アスロマ > みんなで作っていくようにとはどういう意味でしょう [2014/9/22 01:47:13]
◆アスロマ > 現在の投稿して投票で決めるのはよろしくないということかな [2014/9/22 01:47:46]
◆アスロマ > 漫画がソーシャルゲームのシナリオになるってあまり魅力を感じないなあ [2014/9/22 01:48:45]
◆c > ソーシャルゲームはもっとファミコンのときみたいなカオスになればいいのになー。 [2014/9/22 01:56:16]
◆アスロマ > カオスになるといいですねえ [2014/9/22 01:56:42]
◆アスロマ > ちょっと小奇麗過ぎる [2014/9/22 01:56:59]


 いくらチャットだといっても、これはちょっと散漫すぎやしないか。

 リンク先でどんな企画してるのかっていうと「世界観とキャラクタを用意しとくんで物語作ってくださいね」です。私としては「ふざけんな」です。
 ええっとですね、なにから書けばいいのかな。
 これはとある場所、とある掲示板の話です。「あなたは世界観と設定と物語、それぞれをどのぐらい大切にしますか?」ってスレッドが立った。確か、私もそのスレッドにレスポンスしたっけな。なに書いたか覚えてないけれど。うーん「どれも大切です」って書いた記憶があるようなないような……。
 大切さはどれも同じだけれど、作業手順ってのはあって、なにを書きたいのか決めたらそこから作る。
 私は物語から作る。例外を書いたことはまだないはずだ。そんな私だから「世界観とキャラクタを先に用意しといたんであとは物語だけ作ってくださいねー」が信じられない。
 物語って創作の中心じゃない? 世界観とかキャラクタって外観じゃないか! まあ商業に乗せるゲームだから外観が脆いと即死するってのは理解できるけれど。だったら白紙から作りたいな。
 骨抜きの肉を出して「さあ、あとは骨を入れるだけ」とさも準備は万端です、みたいにいわれても「骨に肉付けするほうが簡単だよ……」って思うじゃん? この喩えが通じるかわからんじゃん?
 それにさ、世界観とかキャラクタって作るとき楽しいとこなんだよな。なんで楽しいとこ取っちゃうの? そこがやりたいんだよ私は!
 特に結論を出さずに、感情的に終わります。



 ファミコンのカオスは先駆者たちの熱きソウルでした。
 アスロマさんがいう小奇麗ってのはきっと「どっかで見たことがあるゲーム」ばかりだからだと思う。個性をぶつけてくるファミコンソフトたちとは対極ですね。
 私だったら「どっかで見たことあるゲーム」って、作ってる間にパッションがなくなりそうだ。私が作る必要ないんだし。
 近頃のコピペ省エネ主義はよくわからない。老いたのだろう。
posted by clown-crown at 03:04| パリ ☁ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月14日

星の王子さまを読んだ。

 読んだ。

 私はもう大人だったからか、わからなかった。
 小さな星を巡る話は銀河鉄道777のようで面白かったけれど。

 わからないからといってほかの誰かの読書感想文を読む気にもなれない。嫌いではないのだ。なにが大切なものなのか、という個人の主観に因るものを「こうだ」と言われたくない気持ちがわだかまっているだけだ。

 そう考えると、私は子どもの頃の気持ちを忘れていてわからないんじゃなくて、私は独自に別のものを導き出しているから星の王子さまを受け入れられない。のだ。

 なんとなく、星の王子さまは読んでおかないといけない気がして読んだだけ。
 今まで読んだことがなかったから。

 本当はSFものが読みたかったのだ。
 存在しない世界の根底から語るようなSFを。
posted by clown-crown at 22:50| パリ ☀ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする