いい具合に酔ってきた。酒はいい。
相対主義に対する弾丸をもっているようで、私は中村さんが羨ましいなあ。私はまだ抜け出せない。
高み、いい言葉だ。時代を迎合する必要はない、それはいいな。だからといって絶対主義になるつもりはないけれど、相対主義に傾きすぎている現状、それに反発したくなる。
私はいま、偶然にも理想の環境にいるらしい。ネットだからだろうこの環境はなかなか興味深い。時代に乗るよ。染まるわけではなく、乗りこなす。そんな心積もり。
時代。私の見る現代というヤツは、なんだか小奇麗だな。実態に合わないぐらい小奇麗だ。というのはつまり、事象が細密化しすぎてそれぞれの情勢を把握する前にそれに対する意識が固定されるから。レッテルの切り貼り。もう詳細を突き詰めるようなことができないんだな。やろうとすれば、ほかが疎かになってけっきょくバランスを崩す。ヲタクと呼ばれる人間だって、実のところはヲタクになりきれないんじゃないか。ただ現実も見ないだけの人間は本来のヲタクの意味から離れている。

猫であり、老婆。猫の老婆ではない。
とある女性が呪いのために化け猫になったまま老いたもの。私も老人となっており、その女性と似たような重さの呪いをかけられている。
そんな夢を見た。自分にはどんな呪いがかかっているのかわからない。猫は普通の猫より体積8倍ぐらいのサイズで(縦横高さ2倍)それほど大きくはないのだけれど、生きたライオンを食べてた。人間の意識がないときに出会ってしまって私は食べられそうになる。怖さがいちばんに浮かんではくるのだけれど、憐れみもあったりする。自分もそれ相当の呪いを受けているので仲間意識もあったりと、よくわからない感情が犇く。
どんな状況になったとしても、そこそこなんとかやれそうな根拠のない自信がある。その一方で、このままだとどうにもならない袋小路にはまり込んでしまうような閉塞感が迫ってくる。ひとり暮らしをしていると、世の中はとんでもないバランスで成り立っているなあ、と思える。なにか確実なものを手に入れたいと願うと同時に、そんなものはないと悟っている自分がいて、それは諦めに近いけれど諦めとは違って、極意というのか真理というのかそんな高次のできごとをわかったつもりで知ったかぶりを続けている。知ったかぶりがいつ暴かれるのだろうと不安だ。だから確実ななにか、答えにできるようなものを欲しがっては、そんなものはないと達観することの繰り返し。よく飽きないものだ。
人間には感情がある。でも、なんとなく自分の感情は希薄な気がする。感情なんてないや、そう思い込む。でも、無理だ。他人と関わるためにはどうしても感情が必要となる。感情が希薄な私たちは、感情を呼び込まないといけない。そして感情を理性の後ろに並ばせる。笑うべきだと判断した後でなければ笑ってはいけない。怒るべきだと判断した後でなければ怒ってはいけない。感情をコントロールする。
感情を表出しなければならないのは、それが人間らしさだからだ。相手が人間らしさを求めていなければ感情を表現する必要がなくなる。そういう世の中にならないかしら。世の中がこちらに向かって移行しつつあるとは感じている。
あらゆる可能性を考慮した行動をとろう。そうすれば人間はなにもできなくて停滞する。今まで速すぎたのだからそのぐらいでちょうどいい。無理やりにでも時間を停める。だって誰も実態に追いついてないじゃない。待っていてください時間。





