2009年11月22日

吸血鬼に噛まれた者は吸血鬼になる

 小説ワケワカラン界の重鎮、clown-crown(仮)先生の小説【ラビラブラブ】が待望のコミック化。漫画を描くのは期待の大型新人、clown-crown(仮)さん。これは目が離せない!



吸血鬼1.png

吸血鬼2.png

 続きはwebで。






舞台裏
posted by clown-crown at 23:31| パリ 晴れ| Comment(3) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月20日

恐怖恐怖症

 怖いことが怖いと思える症状。



 いま思いついた言葉であるけれど、まんざら嘘でもない。この世には『高所平気症』なんてものがある(さっきウィキペで見た)。そういえば、『無痛覚症』なんてのもあったね。

 じゃじゃーん。唐突ですが、ここで旅のヒントです。clown-crown(仮)の弱点は──じゃかじゃかじゃかじゃかじゃかじゃかじゃかじゃか、じゃん!──高いところだ。高所恐怖症ってわけだね。馬鹿と煙は高いところが好きっていうのに変だよね。魔王だからって城のいちばん高いところにいるとは限らないのだ。なんでもかんでもいちばん高いところにいればいいってものじゃないんだよ。馬鹿じゃあるまいし。

 会社で三脚(ではない。テニスの審判とかビーチの監視員が座っているような椅子の大型版のアレ)の天板に昇ったら脚が震えたぜ。天板の上に立っても安全なようにできていることはわかっているつもりなのだけれど、不安定に感じるのだ。
 あと、高架も怖いよね。空に向かって走るようでさ。高架が怖いんだったらなんで大阪に高速道路で行ったんだ、って話だけれどさ。電車もダメだし、『どこでもドア』でもないと恐怖を感じずに遠出できない(その『どこでもドア』も、原理を考えると非常に怖い)。
 その高架の中でもいちばん怖かったのは関西空港自動車道。五車線ぐらいある真新しい道路で、ほかに車が一台も走ってなかった。実はまだ完成していなくて、どこかで途切れて落っこちるんじゃないかと思った(ひと昔ふた昔前の漫画みたいな発想だ)。

koukakowai.jpg

 ところで、通天閣は低い。

東京タワー…332.5m
通天閣…100m
名古屋テレビ塔…180m

 ちなみに、ピサの斜塔は55m、東京ドームは56.19m、日本最大の観覧車は120m、台北101は509.2mだった。通天閣って低いと思っていたけれどピサの斜塔の二倍近くも高かったのか。スゴく高いね!
posted by clown-crown at 23:13| パリ | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月14日

当方、東方はまったく存じぬ。





 hoさんに絵を一枚プレゼントした。

 影絵はもともと好き。シンプルな中に美しさを感じる。

 文系と理系の違いについてIwatamさんも書いてたなあ。結論をカオスにもってゆくのが文系、シンプルにもってゆくのが理系なのだと理解した。掲示板で口論になって「まあまあ、意見はいろいろ十人十色だよ」と人間のカオスに結論付けて仲介するのは文系。別に、文系をけなしているわけでもない。日本人らしいんじゃないの? そういうのって仏教的なんじゃない? 知らんけど。

 海外に行って、宗教観が薄い日本人は馬鹿にされるらしいね。異教徒よりも異端に見られるようだ。神様に心の基盤を丸投げするほうが考えられん。八百万神を信じるのなら、自分自身もひとつの神である。「神様は私自身だ」と言ったら、やっぱり馬鹿にされるかな。されるんだろうな。

 馬鹿というのはどういうことなのか考えてみた。馬鹿と一口に言ってもいろいろあるので、相手の意見を聞かず我が強くて自分を押し通す迷惑な馬鹿だ。さすがに強気で出るだけあって言うことは正論だ。だが、それだけだ。どこかで聞いたような台詞を、口から垂れ流しているだけでどうやら自分ではなにも考えていないようなのだ。会話だと、それでも十分な説得力になるので怖いものだ。勢いとか自信が説得力を左右する。自分の意見をもてっつーのも難しい話なので、せめてほかの意見を取り入れられるようになって欲しいものだ。他人もまた神様なのである。

 本を読むと想像力が豊かになるという話を聞くが、本当か。知識は増えるだろう。想像力は増さない。ある一定の想像が鋭く硬くなってゆくだけで、それは豊かさとは正反対だ。絵付きのものなら想像力が豊かになるかもしれない。しかし、こういうことを言うのはだいたい『漫画は本に含めない』人間だ。そんで、自分も本を読まない人間だ。だから本を過信する。

 なにをするにも既視感を覚える。特に食べ物。食べる前からその料理の味を体験できてしまうので、それを食べたいと思わない。なにをするにも愉しいと思えず、よくない傾向だ。なにかをクリエイトしその反応を見るのはまだ予測できないことが多く、愉しい。ただし、クリエイトは一定の水準を超えていないと受け手が現れない。現れても「詰まらん」と一言いって去る。クリエイト行為でしか愉しみを見出せないのは不幸だと思う。クリエイト行為のできない人間が才能がない自分を不幸だと思うのとどっちがマシだろうか。

 シンプルな解が欲しい。
posted by clown-crown at 21:36| パリ 曇り | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月13日

絵が怖いので下げましょう

 いつになったらボスから感想がいただけるのでございましょうか。



 小説の感想返しは感想以上になにを書いていいのかわかりませんね。小説読んでくれてありがとう、感想書いてくれてありがとう、って気持ちはある。「ありがとありがと」って書いてもクドいので書いてない。まあでも、書いとくべきかなって気もする。政略的にも。まあいいや、私はツンデレ。

 一時期、表に出ていたアンチ私の方々は消えたんスかねえ。ずっとご無沙汰していたし、過激なことも書いてないので失せたか。せっかく私がいなかったんだから、理想の登竜門作ってればいいのに。少女祭の立役者は甘木さんだったけれど、まあ私も一役買った。いいか悪いかはわからないけれど、活気は与えていると思うよ。最近の新人さんで目立ってる人いないしなあ。誰か面白い人いる?

 バニラダヌキ御大が登竜門という場においてフィクサーだって気付いてないな。いつものごとくいつものメンバしか感想を入れていない。感想を入れておけば、自作に有力な感想をもらえるのに。「俺が俺が」の人間ばっかだな。登竜門に来ておいてバニラダヌキ親方にご挨拶ナシたぁどういう了見だアアン。媚も喧嘩も売らないようじゃ詰まらんなあ。

 御大はさいきん気付いたアレ、新人賞。登竜門が本当に『登竜門』になったってことだね。賞とったのは本人の実力だろうけれど。投稿しておいて、登竜門がまるで役に立たなかったってことはあるまい。こう言っちゃほかの登竜門関係者にアレでアレなんだけれど、登竜門が『登竜門』たりえるのは感想の部分であって、御大ほど実のある感想を書いてくれる人間はない。要するに、御大万歳。わっしょいわっしょい。

 で、登竜門デビュー作から毎回毎回御大の感想をいただき続けた私はうまくなってるかといえば……うまくなってると思う。とは思うけれど、御大の感想を活かすことができているのか不明。いやたぶん、できてない。感想をもらうたびに「私は基礎もできてないのな」と思うばかり。感覚がぜんぜんつかめないのだ。ゅぇさんとか有○○さんは御大の『正統な弟子』で、御大からいろいろ吸い取ってぐんぐん成長していた気がする。なんつーかさ、バニラダヌキ先生が物語をぐにゅぐにょ曲げて、高くびにょーんと飛ばす方法を教えているのに、私ときたら変ないじくり方をして「すげえ! 物語爆発した! 面白い!」とか勝手に遊んでいるようなのだ。先生が教えようとしていることは【スリンキングキャット】辺りでもう頭打ちになっていて(二作目)、それからその方向ではぜんぜん伸びた気がしない。やっているのはほとんど「やっちゃいけない」と注意されていることを進んでやって爆発させているばかりだ。失敗して学ぶのならよいのだけれど、失敗とは思っていなくて「もっと面白く爆発させるには」ばかり考えている。手のかかる子だね。

 私としては爆発が出し物の気分であるから、別方向から見て話しかけられて「あらー」なのだ。「こちらですよー。ここが清水の舞台です。思い切った決断を清水の舞台から飛び降りるといいますが……」ってガイドしているところにはぐれたツアー客からケータイが鳴って「いま東大寺の大仏殿なんだけど、これ本当に鼻の穴の大きさなの? 通れんわ」とかかかってきた気分なのだ。意味のわからない喩え話だな。バニラダヌキ式を拒んでいるわけではない。のだけれど、私は爆発の魅力にとりつかれていて、で、その爆発の基準は面白いか面白くないかだけなのでその方面の先生がいなくて、私が誰かの『正統な弟子』になる見込みがない。どうしたもんかなー。

 この文章は最初っからまとめるつもりがないのである、まる。
 【崖の上のポニョ】の評を見ていて、感覚がギシギシいいだしたので書いた。私はポニョを観ていないけれど、周りの反応を見る限り、私も「ワケワカラン」しか言うことがなさそうなのだ。そーゆーことはぜんぜんわからんね。
posted by clown-crown at 21:41| パリ | Comment(2) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

逆さまの穴

sakasamanoana.jpg
 逆さまの穴





 ぐるりーん

 めるめるめるめる……

 落ちるーがー

 だだだだだだだ……

 ぐままま

 がうがう

 れや

 まう

 なんなー

 見えるでしょうか

 なにが見えますか
posted by clown-crown at 07:31| パリ 曇り | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月10日

嘘吐き

 私は嘘を“つく”と書くとき“吐く”と漢字を当てるのだけれど、これは“はく”とも読めるからやめたほうがいいのかもしれない。でも、嘘をつくのに“吐く”と書くのはおもしろくて、やっぱりこれからも使い続ける。



 私のブログやらなんやらを見て「clown-crown(仮)さんは自分のことを隠している」と思われているらしい。身の回りでも「もっと自分を表現して、もっと積極的に」とか言われる。ニュアンスは違うが、どちらも『自分ってものを押さえ込んでいる』ってことだろう。何度か書いたことだけれど、押さえ込んでいるのではなく“ない”のだ。あっても薄っぺらい。感じる→思うまでは行くのに、思う→考えるまで進まない。考えるのには自分の中のブラックボックスが必要で、どうやらこれが機能していないくさい。こんなのは私の特殊な人生観とかそんなんんじゃなくて、「最近の若者」とか言われちゃう人種のよくある考え方、というか在り方だ。その最近の若者からも「よくわからん」と指摘されるということは、普通の人間になろうとする偽装がヘタクソなのだ。

 「もっと自分を表現して、もっと積極的に」とか言ってくる人たちに「いや、そんなもんないから……」と言い返そうものなら「そんなはずはない」となんだかムキになって反論される。説教好きな人たちってのは説教が好きなのであって、相手がどうでどうなのかというのは丸無視らしい。酒を飲んでみても変わらないし(気持ち悪いだけだ)、ドラッグでもやってみれば自分が見つかるだろうか。学生時代をひとりで過ごしてきた人間には、もうそれを得る機会が失われている気がする。

 ヘタクソでもヘタクソなりにニセモノの自分をこさえていて、それがまるっきりニセモノだとわかっているぶん、気が楽な面もある。そのニセモノがどんなに傷つこうと嫌われようと悲しもうと蔑まれようと、「それはニセモノなんだ」とトカゲのシッポ切りみたいに切り捨てることができる。

 ホンモノなんてどこにもない。タマネギを剥く空虚さよ。
posted by clown-crown at 04:47| パリ 曇り | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月08日

やーべ超かわいい

 【ディスコ探偵水曜日/舞城王太郎】を読んだ。






舞台裏
posted by clown-crown at 00:16| パリ 曇り | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月04日

一生の半分を起きていて半分を寝ているものなーんだ?

 最近、いままで寝ていなかった分を取り戻そうとしているのかやたら寝ている。さっきまで寝ていた。9時間ぐらい。昨日は仕事だ。帰ってきてからずうっと寝ている。このままいけば、眠り姫になれるかも。

 起きて、朝食にしようかと思ったけれど、夕食を食べていないので腹が痛く、いつものパンでなく非常食のカップヌードル(カレー味)を食べたはふはふ。そんで、パソコン立ち上げて小説の感想読んだりメール着てないか見て、お風呂に入って出てくるとああヤバい時間だ、と思って外に出たらやたら寒くて、それだけじゃなくて太陽の位置が低くてマンションの駐車場にまだいっぱい車が残っているのでもしかしたらと考えケータイを確認するとやっぱりというか一時間早かった。またやっちまうところだった。一時間早く会社に行くことが一年に一回ぐらいある。アナログ時計だと間違いやすいよね。
 で、一時間空いたので化物語つばさキャット其の参を観たのでした。テレビ放送だったらまず切られていたいろいろも映像になってんな。アニメセンスが減ってる気がする。

 で、それも観終わってブログを書いているというわけ。

 少女小説の感想・感想返しも書かないといけないなあ、と思いつつ寝るのに忙しくて、あと【ディスコ探偵水曜日】が面白くてあんまし進んでいない。
 少女小説をまた書くか、って聞かれたらもう書かないと思う。なんというか、ほかの人によって私の少女像が崩れた。私の少女像は処女性に因るところが大きいんだよ。そんな意味では【陽炎少女】がいちばんの佳作だったなあ。
posted by clown-crown at 08:00| パリ 曇り | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月01日

働きたくなーい

 働きたくないのである。

 こんなにたくさん小説が書けるのは、会社がストレスをたっぷりくれるからである。まったくありがたい。クソが。
 「若いから」という理由でなんでもかんでもやらせるのはやめろ。言われればやるから、普通に言ってくれればいい。若さはどうやっても覆らないから、ずっと言われ続けるんだろうかと諦めの境地になってくる。「若いから」でなくて「頼む」とか「お願い」と言われたときは、そこまで悪い気はしないんだけれど。
 なんというか、『社会人の常識』というのを振り回す先輩方が非常に煩わしい。死ねばいいと思う。母親から愛情をもって接してもらうことのなかった子供が自分の子供に愛情を注げないのと同じ、負の連鎖を感じる。俺らも先輩に散々苦労させられたんだ、今度は俺たちがお前らに苦労させてやるぞ、という意気込みが鼻息荒く感じられる。やる気がないのはお前たちが削り取っていくからだ、ボケ。
 転職してもそう変わらないだろうな、と薄々感じている。程度の差こそあれ、ブラック企業の要素はどこかしらあるのだ。海外に逃げればなんとかなるのかも知れないけれど、英語さっぱりな自分にその勇気はない。自分で会社を作るというのも、どうにもイメージが湧かないし。

 働かずに生活する、ということを考える。
 すぐに思いつくのは、使用料をとる、とかか。発明して特許とって、その発明にちなんだ商品が売れれば、その何パーセントかが懐に入る。宝くじが当たるのと比べれば、可能性はあるかもしれない。でも、特許は数年で無効になったはず、特許で当ててもずっと遊んでいれれるわけではない。似たものは、小説家もそうか。いや、小説家は小説を書かないといけないわけだけれど。愉しんで書いているうちは仕事ではない。私は物書きなので、少しは現実的か。印税でがっぽがっぽってのは難しいだろうなあ。一発屋ではそこまで売れないだろうし、何冊も書くとなるとそれはやっぱり働いている感じだ。ネット転売とかデイトレーダも、働くのとはちょっと違う気もするけれど、それでも押さえるところを押さえておかないと一瞬の判断ミスが大赤字になる。誰でも簡単にできる、貯金はどうだろう。利子で金を増やすのだ。年利が1パーセントとして、一年で一万を得るには百万が必要。一年に一万では生活できないから、百万欲しいとなれば一億をもつ必要がある。一億稼ぐ方法があれば、それを続けりゃいーじゃねーかとツッコみたい。株とか不動産とか買っても、マージンとられるのが癪だ。マージンを取る立場に立とうとしても、既得権で排除される。取引している相手がいるのだし、物珍しさで客が集まってもそこまで手広くやれないだろう。ライバルのほうがノウハウをもっている(オンラインゲームってぽこぽこ新しいものが出てくるのだが、儲かってるんだろうか。いまはもう頭打ちなんじゃないか)。では、新しい分野を開拓して案内人よろしく事実上の胴元やれば儲かるか。それが儲かる分野ならば儲かるだろうな。そういうのって、ハゲタカがどのくらい集まってくるんだろう。まずは無名からスタートするから、その時点で集まるハゲタカはそれは有能なのかもしれないなあ。ちょっと脱線した。
 切り拓く分野はもちろん、よく見知ったものがいい。人から求められるのは、逆に言えば人が困っているものだ。自分が困っているのでなければ、相手が困っている内容がわからない。私の武器はなんだろう。小説か、ちょっとばかし描ける絵か。面白いものを探す・作るということにはほんのり鼻が利く……ような気がする。面白いものに貪欲であろうとする姿勢は、ほかの人より素直であるようだ。ただ、私が活動的になれるのはネット上に限られる。私はヒキコモリである。
 金儲けが汚いイメージであることは知っている。特にネットではお金を払うことにやけに否定的だ。これはそもそも、ネットではさまざまなデータがタダで手に入ることに起因する(文章やら音楽やらゲームやら違法性があるものもないものも)。それでもお金を使わせる方法はいくらかある(というか、なにもしなくてもこのままネット文化が広がれば必然的にお金を使うことに抵抗が少なくなるだろう)。ひぐらしとか東方とか、私はまったく知らないのだけれど、外野から見ているとネットで売る法則がなんとなく見える。見えるのだけれど、それをやるためにはなにから手を付けたらいいのだろう。

 紅堂さんみたいにサーバ立ててスペース作ればいいんだろうか。むしろ、エルドラドスタッフになったほうが早いのか。紅堂さんの理想はなんだろう。最近は放置気味だけれど。壮大な計画を立てているフタツキ管理人は例えばなにしてるんだろうねえ。どのぐらい本気なんだろ。本気で考えてみる。
posted by clown-crown at 15:27| パリ 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月31日

少女行列

 少女だぜ。やったぜ。

 鋏屋の『武士は食わねど……』の【ここ最近の登竜門】で作者別の感想があったぜ。見つけたぜ。
 これは引用して残しておくぜ。

 クラウン殿などはなかなか面白い試みをなさる方だと思った。あの方の作品は非常に多面体的というか、見方を変えると色々な方向に飛んでいく広がりを見せる作風で、最後の味付けを読み手に委ねるため、否が応でも考えさせられてしまう。俺が感じた印象はおかしな言い方かもしれないが、とても攻撃的な作品。書き手の意図? 意志というか、プライドのような物が前面に出てきて、油断すると読み手が置いて行かれそうな危うさがあるのだが、読み終わるといつの間にかそれについて考えさせられてしまう自分が居た。なんだか手品を見せられている感じだ。


 本人はふつうに書いているつもりなのに、『考えさせる』作品なんだとさ。投げっぱなしジャーマン。

 いま、登竜門はお祭り騒ぎで活気あるぜ。やったぜ。
 私の書いた【透明少女】を先頭に、甘木さんが洒落で【不透明少女】を書き、私は負けじと【幻像少女】、そこに鋏屋さんも【虚像少女】を書いて、それには【酩酊少女】で応戦した。俺の中村さんも【半透明少女】で参加している。焚きつけたバニラダヌキさんもとうぜん参加するはずだ。参加しないはずがない。

 往け往けー。突き進めー。
posted by clown-crown at 14:12| パリ 霧 | TrackBack(0) | グチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする